【2015年2月】のアーカイブ

 パレスサイドビルを出て江戸城(皇居)を散策・・・の続きです。

 1月22日、2月6日の当ブログで書いた中之門の大規模な修復(2005年8月~2007年3月)で、鳥取藩32万石の第3代藩主・池田吉泰による修復(1704年)の刻銘が出土したこと、その池田家は松平姓を名乗れるなど徳川家一門(親藩)に準ずる家格を与えられていたことを書きました。

 その刻銘には「因幡(いなば)伯耆(ほうき)両国主/松平右衛門督吉明(うえもんのかみよしあき)築之(これをきずく)」(吉明は吉泰の幼名とあります。「因幡」と「伯耆」という表記で「鳥取藩」の藩名はなし。鳥取藩は国としては因幡と伯耆の2国からなっていたということです。

 ちなみに、「藩」と「国」は全国いろいろで、呼び方もいろいろ。少し見てみると、例えば薩摩藩は「薩摩」「大隅」(鹿児島県)と「日向」(宮崎県の一部)からなり、版籍奉還(1869年)の後に定められた正式名称は鹿児島藩ですが、殿様の名前で島津藩と呼ぶ人もいます。長州藩は「周防」と「長門」で、藩庁が長門の萩に置かれたので萩藩ともいわれ、幕末・維新の時期には藩庁が周防の山口に移ったり、2次にわたる長州征伐に絡んで萩に戻ったりと、紆余曲折あり、周防山口藩と呼ばれることもあったそうです。

 ま、それぞれ呼び方はご自由に、って感じですが、鳥取の人には、先の刻銘というか、それを紹介した中之門前の説明(案内)板の解説が、ちょっと面白くないようです。鳥取県のオフィシャルサイトの東京本部のページに「コラム・鳥取ゆかりの地を訪ねて(江戸城本丸中之門)」という記事があり、以下のように書かれています(写真㊦http://www.pref.tottori.lg.jp/116517.htm)。

 「石垣修復後設置された新しい説明板には池田吉明が『鳥取藩主』とは書かれていません。刻銘に『因幡伯耆両国主』とあるものの、鳥取藩の業績であることがわかりにくいように感じます。同じ説明板で、万治元年(1658年)の修復を担当したのは『熊本藩主細川綱利』と説明されているだけに、少し残念な気持ちになるのは私だけでしょうか。」

鳥取ゆかりの地を訪ねて 中之門.jpg こんな書き込みの背景には、明治の廃藩置県の因縁があるようです。すなわち、1871(明治4)年、因幡・伯耆両国と隠岐国(隠岐の島)が鳥取県となった後、1876年に島根県に併合されたという歴史です。そして、鳥取側の士族を中心とした熱心な運動が実り、1881年に隠岐島を島根県に残して再び鳥取県として分離されたのです。だから、鳥取の人は今も「鳥取藩」としてのプライドを持っているのですね。参院選挙区の島根・鳥取合区論もありますが、廃藩置県の因縁、な~んてね。

 (一番上の地図は、「島根県下伯耆国全図」=48×69センチ、㊤=と「島根県下因幡国全図」=47×70センチ、。1881(明治14)出版された島根県時代の地図=鳥取県立図書館サイトより)

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 22日「東京マラソン2015」が都庁(新宿)~東京ビッグサイト(有明)のコースで行われ、パレスサイドビル前を3万6000人のランナーが疾走しました。今年は写真を撮り損なったので、㊨㊦に昨年の竹橋交差点通過のカットを載せます。ここは、ランナーが皇居を最初に目にするポイントなんです。

 さて、マラソンの今年のハイライトは新聞もテレビも、挙げて「ランニングポリス」でし●DSC00336.JPGた。上の写真は毎日新聞23日朝刊1面で、「警察官もリレー」と見出しにとって「『ランニングポリス』も初めて導入した」と報じれば、主催の読売新聞は1面に警察官の写真を使い、文中に「ランナーと一緒に走りながらテロ警戒に当たった」、さらに都内版にも小さな写真とともに短い記事を掲載。朝日新聞は社会面に写真付きの記事を載せ・・・といった具合です。22日夜のNHKニュースなどでも、メンバーに箱根駅伝経験者がいることなども含め、事前の練習風景などのVTRとともに紹介していました。

 いうまでもなく、中東の過激派「IS」がテロを扇動する中、かつて米国のボストンマラソンで爆破事件があったこともあって、国内のマラソンで初めて「ランニングポリス」が導入され、64人のお巡りさんが2人1組で走りました。耳のあたりに着けた小型カメラでランナー や沿道の様子を撮影し、リアルタイムで警視庁の本部に送信したそうで、毎日新聞の記事によると、実際に走った警察官が「沿道の様子がかなり把握でき・・・マラソンには有効な警備になる」と話していたとのことです。

 その警視庁提供の動画(コマ撮り)がネットで見られます。毎日新聞のニュースサイトにもアップされています=写真㊧㊦http://mainichi.jp/movie/movie.html?id=865314809002)。結構、臨場感があるかもです。

 ●2015ランニングポリス動画.jpgこんな話がメーンニュースになるのは悲しいことですが、有志連合ですから致し方ないところ。なにはともあれ、参加ランナーも、走ったお巡りさんも、お疲れさまでした。

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 きょう19日はちょっと暖かです。朝は2度くらいまで下がり、家を出るのがちょっと辛い朝でしたが、昼は、空気は冷たいながらも、気温は14時現在で12.4度と、かなり上がってます。

 そんな陽気に誘われてパレスサイドビルを出ると、東側の春日通りを挟んでお隣の丸紅本社前庭に植えられているカワヅザクラの花が咲き始めていました=写真、向こうに見えるのがパレスサイドビルです。早咲きの桜として有名なカワヅザクラは、早ければ1月から見られるといいますから、ことしはちょっと遅めでしょうか。週初は、蕾がかなり膨らんできたなぁという感じで、火曜の昼に通りかかった時は何輪か咲き始めていましたが、きょうは、写真の通り、相当な数がパッと咲きました。全体では、1、2分咲きといったところでしょうか、まだまだこれからですが、そこは、あっという間に散ってしまうソメイヨシノに比べ、1カ月ぐらい楽しめるのがカワヅザクラの特徴ですから、しばらく、この界隈を歩くサラリーマンやOLの目を楽しませてくれますね。

 毎年、この季節に必ず話題になるカワヅザクラは、今から60年前の1955年ごろ、静岡県河津町で偶然発見され、その後、増やされ、各地に植えられていったもの。早咲きオオシマザクラ系とヒカンザクラ系の自然交配種と推定され、ソメイヨシノよりピンクが濃いのが特徴です。

 河津町には約8000本のカワヅザクラがあり、2月10日~「河津桜まつり」が開かれていて、3月10日までの期間中、地場の農作物や海産物などの出店、桜並木ライトアップのほか、土日には「伊豆の踊子との記念撮影」なんかもやっているそうです。

 他にも、東京近郊にもカワヅザクラの名所はあります。一部紹介します。

三浦海岸(神奈川県三浦市)=京浜急行の三浦海岸駅から小松ヶ池公園までの線路沿い約1キロに約1000本のカワヅザクラが植えられていて、3月15日まで「三浦海岸桜まつり」開催中。

松田山(神奈川県足柄上郡松田町)=松田山ハーブガーデンがある山の斜面に約260本。3月15日まで「まつだ桜まつり」。

保田川(千葉県安房郡鋸南町)=川沿い3.5 kmに約600本。3月7日に「保田川頼朝桜の里 竹灯篭まつり」開催。「頼朝桜」は石橋山の戦いに敗れ、小舟で逃れた源頼朝が同町の竜島海岸に上陸し、再起を図った故事にちなんだ愛称。

旧中川(江戸川区平井)=亀戸公園の向かい側の小松川ポンプ所あたりに河津桜の並木。上流の木下川排水機場~ゆりのき橋(墨田区東墨田)にも河津桜。

 どこも、今週末~来週末が見ごろと思われます。早めの春を楽しもうという方は、出かけてみてはいかがでしょう。

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 税金の2014年分の確定申告の受け付けが、16日に始まりました。これに合わせてパレスサイドビル恒例の無料税務相談会(麹町法人会、東京税理士会麹町支部主催)が、16日から1階正面玄関の脇、オープンスペースで開かれています。18日(水)までの3日間、午前10時~午後4時、東京税理士会麹町支部の税理士さんらが交代で確定申告を中心に税金に関する相談に気軽に応じてくれます。

 2014年中に2カ所以上からの収入を得たり、20万円以上の原稿料や講演料といった副収入があった人などは確定申告が必要です。また、医療費が多くかかったり、住宅ローンを組んだ、慈善団体に寄付したなど、申告すると税金が一部戻ってくる人も多いはず。近年、ふるさと納税する人も増えていますが、税金を取り戻すには、2014年分は確定申告が必要です(2015年分からは確定申告不要になる制度を導入予定=まだ関連の法改正が済んでいません)。

 いずれにせよ、聞きたいことがあれば、この機会に聞いちゃいましょう。税の申告でわからないことや疑問点はもちろん、申告書の記入の仕方など、なんでもOK。会場に設置したパソコンを使ってe-Taxの方法を教えてもらう人もいます。

 確定申告とは直接関係しませんが、相続税への関心がここにきて高まっているようです。というのは、2015年1月1日から税制が変わり、①定額控除が5000万円→3000万円、②法定相続人数の比例控除が1000万円×法定相続人数→600万円×同、③最高税率50%→55%と、かなり増税になるのです。相続にお悩みの方も、気軽にご相談ください。

 今年の確定申告受付は、3月16日(月)までです。

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 パレスサイドビルに本社を置く毎日新聞が12日、日本の新聞で初めて、5万号に到達しました=写真㊤。もちろん、長けりゃいい、ってもんじゃぁありませんが、ひとまず、めでたい。1872(明治5)年に、毎日新聞の前身の「東京日日(東日)新聞」が創刊されてから143年間、ほぼ毎日積み重ねてきた結果ですからネ。

 ちょっと説明が必要なのは、「5万号」が東日本(毎日新聞社の「東京本社」と「北海道支社」管内(静岡~長野~新潟以北)だけで、「中部本社」「大阪本社」「西部本社」管内は12日で「4万7581号」ということ。これは、現在の毎日新聞が「東日」と「大阪毎日(大毎)新聞」が合併してできたため、通算号数は、それぞれ前身の新聞の数字を引き継いでいるのです。

 ちなみに、夕刊は朝刊と同じ号数です。1年前の2014年2月12日は4万9636号でしたから、1年間で約364号。365日に1号足りないって? そう、朝刊のない日は原則として年間10日あり、日曜や祝日の翌日の朝刊が休みでも、その日の夕刊は発行され、号数は増えていきますが、1月2日の朝刊が休みで、年末年始のため夕刊がありません。なので、この日だけ号数がカウントされないということ。今のペースでは30年5万号1面.jpg足らずで1万号増える計算になります。

 さて、5万号の12日朝刊は、紙面でPRしています。1面左下に「毎日新聞きょう5万号/ご愛読 感謝します」との囲み記事を掲げ=写真㊨、中の方には見開きの特集面が計4ページ。

 特集の1つ目(東京本社版の最終版は12、13面)=写真㊦=は、創刊当時から、1万号、2万号、3万号、4万号の各節目の前後の社会状況などを解説。

 ・創刊2年後の1874年12月に社説欄を新設し、他紙も社説欄を常設する先駆けに

 ・日露戦争最中に1万号を迎え

 ・2万号の1932年は前年に満州事変、32年5月に5・15事件などがあり、翌年の2・26事件などを経て言論の自由が失われていった

 ・戦後になって3万号を迎えた1959年は高度経済成長へ向かう時代で、皇太子さま(現天皇陛下)の正田美智子さま(現皇后陛下)のご結婚という明るいニュースの一方、「総資本対総労働の対決」といわれた三井炭鉱の労働争議など、時代の転換を示す出来事があった

 ・4万号(1987年)は「昭和の締めくくり」といえる時期で、自民党田中派の「闇将軍」の支配の終わりなどを記述、その田中角栄元首相が脳こうそくで倒れ、車いすで庭に出る姿の空撮に成功して1986年度の新聞協会賞に輝いた

――などと書かれています。

 もう一つの特集(東京本社版の最終版は20、21面)は、「文字」と「画像」の変遷を振り返っています。

 1面の囲み記事は「自由と多様性を重んじながら、質の高い情報で責任のある紙面を作り続けたいと思います」と、次の6万号に向けた決意を記しています。約30年後は、どんな時代になっているのでしょうか。

5万号特集面.jpg

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 パレスサイドビルに入居するテナントの皆さんとビル関係者、またテナント同士の絆を深めようと「パレスサイドビル賀詞交歓会」が1月下旬、同ビル地下1階の毎日ホールで開かれ、テナントやビル関係者ら約80人が参加しました=写真㊧㊦

 テナントの皆さんとビル関係者が一堂に会しての新年の催しは3回目。東日本大震災を契機に、いざという時に助け合おうという機運の高まりを受け、開かれるようになりました。

 交歓会は講演と懇親会の2部構成。第1部ではTBSテレビの「Nスタ」「情報7Daysニュースキャスター」「いっぷく!」などのコメンテーターも務める毎日新聞の元村有希子記者(デジタル報道センター編集委員)が「気になる科学」と題して講演=写真㊤

 科学というと範囲が超広いんですが、最近は日本人3氏が青色発光ダイオード(LED)の発見と実用化で受賞したノーベル物理学DSC_4733.jpg賞という一級の明るいニュースの一方、STAP細胞騒動やノバルティスファーマ社の高血圧症治療薬「ディオバン」臨床試験疑惑など悲しい事件、腹立たしい事案も含め、話題は豊富。元村記者は、以前、ノーベル賞受賞式後の晩さん会に出席したことなど自身の取材体験も交え、科学ニュースの背景を解説しました。

 例えばノーベル賞受賞について、「赤崎勇・名城大学教授と中村修二・米カリフォルニア大学教授は事前にマークしていたが、アイデアを考えた赤崎さんの弟子として(実験など)実際の作業をした天野浩・名古屋大学教授はノーマークだった」と、発表から短時間で取材に走りまわった舞台裏を披露。STAP細胞については「疑わしい点はあったが、(小保方氏の)周りを固めていたのが凄いドリームチームだったことなどから、理研も、ネイチャー誌も、記者も、みな騙された」などと語った。今年の日本の科学界の注目テーマとして、"中年の星"油井亀美也宇宙飛行士の宇宙への旅立ちなどを挙げ、期待を語りました。理科系の話に怖気づいてしまう我々にも、なかなか勉強になりました。元村さんに感謝!!

 続く懇親会では、羽田恒夫・毎日ビルディング社長の挨拶と乾杯の発声の後、元村記者も交えて、名刺を交換したり、会社や自己紹介など、交流を深めました。

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 パレスサイドビルお向かいの江戸城(皇居)石垣、中之門がまだ続きます。

 1月22日の当ブログで書いた大規模な修復(2005年8月~2007年3月)で、江戸時代の修復の「証拠」が出土しました。

 中之門の石垣は1638年(寛永15年)にその原形が普請され、1657(明暦3)年の明暦の大火で焼け、1658(万治元)年に熊本藩主・細川綱利により再池田吉泰.JPG構築された後、1703(元禄16)年に起きた地震でも被害を受け、翌1704年に鳥取藩第3代藩主・池田吉泰=写真㊨によって修復され、その石垣が今に残ることは、すでに書きました。

 その1704年の修復の刻銘で、次のように刻まれています=一番上の写真

寶永(ほうえい)元年甲申(きのえさる)四月日

因幡(いなば)伯耆(ほうき)両国主

松平右衛門督吉明(うえもんのかみよしあき)築之(これをきずく)

 「池田吉泰」のはずが「松平吉明」なのは? 吉明吉泰の幼名で、池田家は、元々は外様でありながら松平姓を名乗るのを許されたからなのです。

 ちょっと説明しましょう。吉泰のルーツは織田家の家臣、池田恒興。本能寺の変を受け秀吉に与して功を挙げた後、秀吉vs家康の小牧・長久手の戦いで長男・長可とともに戦死、後継の二男輝政は秀吉によく仕え、豊臣姓を許されるなど厚遇を受けましたが、1594(文禄3年)に秀吉の仲介で家康の二女・督姫を娶り、徳川とも良い関係を保ったのが幸い、関ヶ原では東軍で活躍し、姫路52万国の大大名に。その輝政の弟・長吉が6万石で入封して鳥取藩ができ、その後は池田一族の間でいろいろ入れ替えなどもあって、1615(元和元)年に輝政の長子・利隆の嫡男光政が32万石を与えられて鳥取に入り、ほぼ、今の鳥取県全体を支配体制になりました。さらに1632(寛永9)年に利隆の弟・忠雄の嫡男光仲が鳥取藩へ来ました。公式には、この光仲が初代藩主とされます。

 結構、ややこしいですが、ポイントは輝政が家康の女婿になったことでしょう。利隆も2代将軍徳川秀忠の養女・鶴姫を正室に迎えて幕府との関係を一段と深めました。血縁おそるべし、でしょうか。

 こうして徳川家一門(親藩)に準ずる家格を与えられたわけで、通常大名が江戸城に登城する際は刀を玄関前で家来に預けなくてはいけなかったのが、鳥取池田家は玄関の式台まで刀を持ち込むことが出来たそうで、親藩と前田家(加賀藩)、鳥取池田家だけに許された特権だったとか。

 たかが門の修復と言えばそれまでのこと。でも、陰にある逸話を探れば話が広がりますネ。

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 2月3日、パレスサイドビル西口玄関前で「出張献血」が実施されました=写真㊤は献血車内。年末の予想外の需要急増で血液の在庫が急減するという状況を受け、急きょ、実施されましたが、最終的に74人受け付け、54人の方に献血していただきました。ご協力、有難うございました。

 毎年、原則として春と秋に実施していますが、今回は在庫ピンチということで、急に実施が決まりました。このため、周知期間が短く、心配したんですが、寒風吹きつけた前日までとはうって変わって、この季節としては比較的150203③.jpg暖かかったためか、終日、受付が絶えることはほぼなく=写真㊨、1日としては近年で最高になりした。ホッ。

 昨年から、献血の受付手順が少し変更され、カードと暗証番号で行っていた経験者の本人確認に「生体(指静脈)認証」が導入されました。前回(昨年9月)に登録していたので、今回は「暗証番号は何番だったっけ?」と悩むことなく、専用の読み取り機に右手中指を入れるだけ。楽勝です。申し込みの際の問診も、従来のように紙に記入する必要がなく、タッチパネル式の専用のタブレット端末を操作して簡単に完了。とってもスムースでグッドでした。

 次回はいつになるか、未定ですが、またご協力、よろしくお願いします。

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