2014

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回向院の相撲興業

 大相撲秋場所が始まりました。開幕前日の土曜には、「触れ太鼓」がパレスサイドビルを訪れます(今回は写真撮れず、㊨㊦の写真は2012年1月7日)。相撲報道に力を入れ、優勝額を送っている毎日新聞社だからこそのことです。

 さて、相撲といえば両国。以前、何度か書いた1657(明暦3)年の「明暦の大火」が、両国を相撲のメッカにしたのをご存知ですか?

 明暦の大火で数万~10万人超とも言われる犠牲者を慰霊するふれ太鼓2012.1.7.jpgためにできたのが両国にある回向院(墨田区両国2‐8‐10)であることは3月14日の当ブログで書きましたが、この回向院の境内で、寺社の再興・造営・修理などの費用を得るための勧進相撲が江戸時代から興行されるようになったのが始まりです。

 回向院や東京都立図書館のホームページなどによると、江戸の勧進相撲が記録で判明する最初の場所は1684(貞享元)年の深川八幡宮で、その後、蔵前八幡神社、芝神明社、回向院、市ヶ谷八幡宮、芝西久保八幡宮、市ヶ谷長龍寺、深川三十三間堂、茅場町薬師、芝愛宕山、神田明神などを転々としたようです。回向院では1768(明和5)年に初めて催され、天明年間(1781~89年)以降は回向院での開催が多くなり、1833(天保4)年から回向院が春秋2回の興行の定場所となって開催を独占、「回向院相撲」と呼ばれる伝統行事として定着したとのこと。これは1909(明治42)年、旧両国国技館が建てられるまで76年にわたって続き、今日の⑪両ごく回向院元柳橋.jpg大相撲の起源とされます。かくて両国は相撲の聖地になったのです。

 一番㊤の浮世絵は天保年間の歌川広重「東都名所 両国回向院境内全図」で、左が回向院の本堂、その右側に見えるヨシズ張りの巨大な建物が相撲小屋で、表門の外に建てられた櫓から打ち出される櫓太鼓の音で、江戸っ子に勧進相撲の開催を知らせたということです。

 ㊧の「両ごく回向院元柳橋」も広重で、手前に回向院の櫓(回向院自体は描かれていません)、その奥に隅田川、川の向こう岸には薬研掘に掛る元柳橋、更に遠くに富士山。夕陽のグラデーションがなんとも美しい、見事な構図です。この2枚を併せて、位置関係を考えてみるのも面白そうです。

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