【2014年3月13日】のアーカイブ

 パレスサイドビルからほど近く、漫画家たちのお別れ落書きが話題になった千代田区一ツ橋の小学館ビルは建て替え中ですが、この小学館から「週刊少年サンデー」が創刊された日と、講談社から「週刊少年マガジン」が創刊された日が、まったく同じ日だったという話はわりと有名な話です。ちょうど55年前の1959年3月17日がその日です。

 もっとも、企画立案はサンデーの方が早く、手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄といった気鋭のマンガ家たちをおさえていました。マガジンは、小学館が週刊少年誌を準備しているという噂を聞きつけて、実質1カ月半で創刊に間に合わせたといいます。

 創刊時の読者の多くはいわゆる団塊の世代ですが、今も少年向けコミック誌は50万~250万部数を発行していますし、電子書籍でも成人向けを含むと8割以上がコミックですから、やはり漫画は手軽に、よく読まれているというべきでしょう。

 創刊後もサンデーは、横山光輝の『伊賀の影丸』、赤塚不二夫の『おそ松くん』、藤子不二雄の『オバケのQ太郎』といったヒット作を連発。1962~64年のあいだに発行部数は50万部に到達、マガジンをみるみる引き離していきました。とはいうものの当時の小学生たちは回し読みしていましたから、決してサンデーかマガジンの一方だけが読まれていたわけではありません。1959047.jpg1959046.jpg

 しかし、1967~68年を境に両者の部数は逆転していきます。マガジンは1966年から梶原一騎・川崎のぼるの『巨人の星』を連載開始、68年から高森朝雄(梶原の別名)・ちばてつやの『あしたのジョー』が始まるとすっかり形勢は入れ替わり、マガジンは1970年には発行部数150万部を達成しました。このころから、読者が少年から学生・社会人にまで広がったということでしょう。まあ、団塊の世代が社会人になってもずっと少年誌を読み続けていたということにもなるのですが、小学館は1968年に、青年向けのマンガ誌として「ビッグコミック」を創刊。さらに系列会社の集英社から「少年ジャンプ」(翌69年に週刊化)を創刊していますから、小学館を中心とする一ツ橋グループも、実質的には講談社のマガジン150万部に相対していたとも言えます。

 5年前の2009年3月17日に「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」の創刊50周年大同窓会が帝国ホテルで行われました。

 メーンの写真はその50周年同窓会に出席した関係者への記念品として配られたサンデーとマガジンの<創刊号完全復刻版>です。創刊号の表紙を飾ったのは、いずれも当時人気のスポーツ選手。マガジンは第46代横綱・朝潮関。サンデーは長嶋茂雄さんでした。

 写真㊨㊤は「週刊少年サンデー」創刊号の新聞広告。定価30円=1959年3月18日の毎日新聞から

 写真㊨㊦は「週刊少年マガジン」創刊号の新聞広告。定価40円=1959年3月19日の毎日新聞から  です。

 1969年はジャンプのほかに、秋田書店から『週刊少年チャンピオン』も発売され、この4大少年誌を舞台に新しい文化が成長していきました。

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