【2014年3月10日】のアーカイブ

 竹橋からも地下鉄ですぐ、東京・日本橋室町東地区の再開発が進んでいることを2月26日の当ブログで報告しましたが、ここに"さすらいの神社"があることをご存知でしょうか。

 「福徳神社」です。江戸時代、富籤(とみくじ=宝くじ)の販売を許された数少ない神社とのことで、宝くじの当せん祈願に来る人も多いそうですから、その筋では結構、有名なのでしょう。

 今の所在地は中央通りの三井日本橋タワーの真向かい、「COREDO室町」の北の並びに●福徳神社.jpgある「YUITO(ユイト)」(日本橋室町野村ビル)の裏。中央通りから「YUITO」と「YUITOアネックス」(浮世小路千疋屋ビル)の間を入って行ったところです。写真㊨㊤のように、2階建ての社務所(左側)の脇に、キオスクのような超こじんまりした売店みたいのがありますが、中に小さな社殿がみえます。中央通りのところに1メートル足らずの小さな石柱もあります=写真㊨㊦

 創建年代は不詳ながら、清和天皇の時代(平安時代)にはすでに、今の日本橋のエリアにあったとされ、福徳村の稲荷神社として●福徳神社 石柱.jpg祀られたことから、地名をとって社号としたと伝わります。江戸時代に2代将軍徳川秀忠が参詣したとき、椚(クヌギ)の皮付き鳥居に若芽が出ていたことから、「芽吹稲荷」の別名が付いたそうです。

 その後、当ブログで何度か書いた「明暦の大火」でも焼けましたが、最大の危機は天保の改革(1830~40年代)。この時は歌舞伎が弾圧されたりしましたが、福徳神社も富籤認可もあってか羽振りが良かったのでしょう。「豪華すぎる」として一時廃止されたといいます。改革を主導した老中水野忠邦が失脚した後、氏子たちが奉行所へ嘆願書を出し、再興されたとか。

 明治以降も、関東大震災や空襲の被害にも遭いました。こうした苦難を乗り越え、その都度再建されてきましたが、都心という立地ゆえか、戦後は鎮守の森も減少し、1973年には再開発で敷地を失い、ビルの屋上に社殿だけが移されました。そのビルが取り壊されると、2006年には近くのビルの居酒屋の一隅に社殿が置かれたこともあったようですが、地元で再建の機運が生まれ、2011年に現在の姿に。今回の再開発で社務所の向かいにあったタワー型駐車場が取り壊され、10月に新たな社殿が完成します。これは、「地域コミュニティーの核となる神社を含めて再開発したい」という三井不動産の意向だそうで、敷地は今の40平方メートルから500平方メートルに広がり、鎮守の森も復活するとのことです(一番上の写真は完成予想図)。

 戦後だけでも3度移転を繰り返した「さすらいの神社」ですが、波乱の歴史に、やっと終止符が打たれます。

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