【2014年3月 3日】のアーカイブ

 1月の出初式を当ブログで紹介した際、その起源が1659(万治2)年にさかのぼり、きっかけはその2年前の1657(明暦3)年の江戸の大火だと書きました。

 この火事は「明暦の大火」と呼ばれ、江戸城本丸をはじめ多くの武家屋敷・町屋を焼いた江戸史上最大の大火として有名です。(㊤の絵は明暦の大火を田代幸春が1814年=文化11年に描いた江戸火事図巻の一部、江戸東京博物館蔵)

 火事の発生は1月18~20日ですが、これは旧暦(陰暦)。現在の3月2~4日になります。ちょうど357年前の昨日・今日・明日です。

 政府の中央防災会議は「災害教訓の継承に関する専門調査会」を設け、過去の災害の記録をまとめています。その報告書の中に「1657明暦江戸大火」(2004年3月)があります。

 一部をかいつまんで紹介すると――

 この年の江戸は前年から80日以上も雨が降らず、とても乾燥して正月早々から火事が相次でおり、17日から北西の風が吹き始めて18日の朝に一段と風が激しくなる中で大火は起きました。「明暦の大火」は、3件の火災を総称したもので、①18日午後2時ごろ本郷丸山の本妙寺(現在の文京区本郷5丁目)から出火、②19日午前10時ごろ文京区小石川3丁目から出火、③19日夜に千代田区麹町3丁目から出火――からなります。被害規模は諸説があるようですが、地域的には、現在の千代田区、中央区のほぼ全域、文京区の約60%、台東区、新宿区、港区、江東区のうち千代田区に隣接する地域一体が焼失したと考えられ、当時の江戸の市街地の約60%が焼けたと考えられます。江戸城が西の丸を除き天主閣も焼け落ちたほか、大名屋敷160軒、旗本屋敷770軒、さらに寺社350、橋60、倉庫①明暦の大火 地図2.png9000が失われたと伝えられています。

 火の回り方として報告書に左の図が載っています。江戸城および周辺についての記述を拾うと、概ね次のよう だったと思われます。

 まず、本郷からの①の火事が南東、および東方向に広がったのに続き、小石川の水戸屋敷付近(伝通院辺りとも言われる)から出火した②の火災が「堀を越え飯田町から市谷、番町へと延焼拡大し、19日正午から午後1時にかけて、江戸城天守閣にも燃え移り、・・・猛火は、鍛治橋(現千代田区丸の内)の諸大名邸、旗本屋敷などを焼き尽くした。午後4時頃、北風が西風へと変わり、江戸城西の丸、紅葉山、御三家の上屋敷は焼失を免れた。・・・」。ところが、風向きが変わったところに19日夜、麹町の町家から出た③の火は「またたくまに延焼し、大名屋敷約50を焼失した。さらに、西の丸下(現千代田区皇居外苑)の屋敷多数が全焼した。桜田の火は芝浦の海岸にぬけ鎮火した」といいます。一度は西風で延焼を免れた今の竹橋界隈は、逆に麹町の火事が西風で広がり燃えてしまったのでしょうか。

 ただ、いろいろなサイトなどを見ると、小石川からの②の火が「飯田橋から竹橋に広がり、正午過ぎに江戸城本丸に燃え移って天守閣が焼け落ち、4代将軍家綱は西の丸に避難」などと、②の火災で竹橋界隈が焼けたという記述もあり、正確なところは、よくわかりません。

 いずれにせよ、半端じゃない火事だったのは間違いありません。

 3月第1週(1~7日)は春の火災予防運動の期間です。まだ寒く、風が強い日も多い季節。大昔の大火を思い出すまでもなく、火災予防には万全を期したいものです。

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