【2013年8月】のアーカイブ

 

 今日から防災週間です。1960年に制定された防災の日(9月1日)を含む1週間(8月30日~9月5日)を防災週間と閣議了承したのは1982年ですから、既に30年になります。ご存知のとおり、防災の日は関東大震災の発生した日にちなんでいますが、制定の前年の1959年9月26日の伊勢湾台風襲来が戦後最大の台風被害になったことも教訓としています。この週末も台風15号の影響で東日本と西日本は荒れた天気になりそうです。夏休み最後の週末ですが、十分にお気を付けください。

 

 パレスサイドビルでは昨日、社員らで非常食の試食会をしました。現在、パレスサイドビルに備蓄している非常食と、新たに業者から提案された非常食の食べ比べと評価です。今回業者からの提案は「非常時だからこそ、あたたかく、おいしい食事」というものでず。「震災下の食―神戸からの提言」(NHK出版)、「働く人たちの災害食―神戸からの伝言」(編集工房ノア)などの著書がある甲南女子大学名誉教授の奥田和子さんらが、おなかと心①.JPGを満たしてくれる『災害食』を言われていますが、いろいろな経験から非常食の考え方や品質・機能は高まっています。

 私も発熱材で加熱した「とり五目ごはん」と「きのこ汁」をいただきました。加熱袋に発熱剤、とり五目ごはん、きのこ汁を入れ、発熱溶液を注いでチャックを閉め、待つこと20分。(記事中の写真3枚は㊤から「とり五目ごはんときのこ汁」に「溶液を入れ」「湯気がでて加熱中」の様子)。やはりあたたかい食べ物は災害時でもほっとさせてくれます。特にきのこ汁は熱々で個人的にはぜひ備蓄メニューに入れてほしい味です。

 ②.JPG

 ちなみに避難者(設定条件20~50歳代の男女)で摂取目標カロリーは2.300kcal/日、避難高齢者(同65歳以上の男女)は1.600 kcal/日、そして救援者(同30~49歳の男性)は3.500 kcal/日だそうです。たしかにエレベーターも止まった緊急時に階段を駆け上がって動き回る復旧従事者や救助活動者用には高カロリー食③.JPGが必要ですね。この業者の提案でも「大盛り」セットが用意されていました。

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 暑い~中、神保町界隈を歩いていて、路地裏で昭和の匂いのする喫茶店を見つけました。学生街には、喫茶店がよく似合う。1970年代、ガロ(皆さん知っているかな~)の名曲「学生街の喫茶店」もこの街が舞台でした。人気の喫茶店を2店紹介します。

 

  最初のお店は「ラドリオ」(神田神保町1-3)=写真㊤=です。数ある名店の中でも、1949(昭和24)年創業という老舗です。長らく"シャンソン喫茶"として親しまれてきましたが、代が変わった現在では、BGMにジャズも流されています。また、コーヒーに生クリームをのせた「ウィンナー・コーヒー」を日本で初めて提供した店としても有名です。もちろん今でもウィンナー・コーヒーは人気メニューの一つです。

 ラドリオはスペイン語でレンガという意味ですが、先の東日本大震災でこのレンガの壁と看板が崩れ落ちて、今の壁は修復後だそうです。下半分が苔むしたレンガで、上半分には新しいレンガが混じっています。

 夕方からはバータイム、大人の時間がスタート。神保町にゆかりのある小説家の逢坂剛氏が、ここで直木賞の発表を待ったという逸話も伝わるほど、作家や文化人に愛され続けています。

 

 2店目は「さぼうる」(神田神保町1-11)=写真㊦。神保町交差点からすぐのところにあり、ここも著名な作家や有名人がよく利用する店としても知られています。桜の木を使用したログハウス風の店内は、ランプの光がほの明るくあたたかい雰囲気。レンガの壁には常連さん達の落書きがたくさんあり、昔から愛されてきたムードが伝わってきます。中さぼうる1=㊦.jpg2階の壁には昭和30年代に使われた手書きのマッチ箱が飾られており、これを見ているだけでも飽きません。

 

 両店とも、はるばる遠方から訪れるファンも多いようです。数々の名士が座ったという「ラドリオ」のカウンターの止まり木や「さぼうる」でゆっくり腰を下ろして、この街の歴史に思いを馳せてみませんか。

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 8月も残すところ数日、朝夕はそこここに「小さい秋」を見つけることもできるようになってきました。このままシノギやすくなると良いのですが、関東甲信地方の1カ月予報では9月下旬までは平年並みよりも少し高めの気温のようです。

 今、皇居東御苑ではムクゲ=写真㊤=と、フヨウ=写真㊥=の花が彩りを添え、やすらぎを与えてくれています。ムクゲは百人番所、大番所の辺りで、フヨウは芝養生中のために9月下旬まで立ち入りできなくなっている松の芝生と蓮池濠の間で花をつけています。ムクゲもフヨウも初夏から秋口まで咲き続けますが、良く見ないと見分けのつかないくらいにそっくりです。●IMG_7703トリ フヨウ小型.jpg

 ムクゲ(木槿、別名:ハチス)とフヨウ(芙蓉)は、観賞用のハイビスカスなどと同じアオイ科の仲間で、このアオイ科は約75属1500種、美しい花をつけるものが多いことで知られています。さらにアオイ科には食用のオクラ、またワタやケナフなど繊維として利用されるものもあります。ちなみに、家紋に使われる葵(徳川家の「三つ葉葵」、下鴨神社の「双葉葵」など)は別科であるウマノスズクサ科のフタバアオイの葉をデザインしたものです。

 ムクゲは中国原産で「木槿」の漢字は中国名。お隣の韓国では国花とされています。日本へは万葉の時代に渡来したようですが、当時「朝顔」と呼ばれていたのがじつは「ムクゲ」のことではないかともいわれています。花ひとつひとつの寿命は極めて短く、「槿花(きんか)一朝の夢」とか「槿花一朝の栄」などといわれ、朝開花して夜には花を閉じる一日花なのです。短命さと慎ましさなどが、昔から文学や茶の花としてよく取り上げられるゆえんでしょうか。

 フヨウは四国・九州あたりに自生し、白あるいは濃淡、さまざまなピンクの花色で、ムクゲより大きめの花を咲かせます。昔から「芙蓉の顔(かんばせ)」などと美人に喩えられ、こちらもムクゲと同じ一日花です。フヨウの園芸品種、スイフヨウ(酔芙蓉)は朝の咲き始めは白く、次第にピンクっぽくなり、夕方には赤い花色に変わります。まるで色白美人がお酒の酔いとともに赤く染まっていく姿のようなので、この名が付けられています。

 

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 竹橋から地下鉄をちょっと乗り継いで訪ねた千代田区麹町の少年・少女のブロンズ像を7月26日の当ブログで紹介しましたが、この子たち、服をいろいろ着替え、なかなか忙しいんですって。

 まず、日枝神社(東京都千代田区永田町2丁目)の6月の山王祭り。神輿などが練り歩く華やかなお祭りですが、祭りに前後して、ブロンズの少年少女たちは法被(はっぴ)姿に変身します。

 像の中でも一番目立つ麹町4丁目交差点の「夏の思い出」(吉野毅・作)の法被姿が写真㊤です。麦わら帽子をかぶって釣りざおを手にしているこの夏の思い出2010.11.jpg少年は、実はしょっちゅう着替えてます。4月は水色のシャツに「交通安全」のたすき姿、春と秋全国火災予防週間には消防服姿になります=写真㊨。消防服は近くの大妻女子大学の学生クラブ「服部」(ふくぶ)の製作。麹町消防署の依頼を受け2010年11月から秋から行われているそうです。最初は通常の防火衣の上着だけのバージョンだったのが、レスキュー隊の防火衣、特別消火中隊の防火衣へと〝進化〟を続けています。

 夏に町内で打ち水を企画した際には、少年像の釣りざおをひしゃくに持ち替え、周りにおけがズラリ。赤い羽根の募金活動に合わせて、だれかが赤い羽根を添え、卒業式の季節にいつのまにかバラを持っていたこともあるそうです。

 地元の住民や商店約140社でつくる「麹町地区環境整備協議会」が6カ所にブロンズ製の像を建たことは、前に紹介しました。うち5体は服を着ているのに、この「夏の思い出」の少年像だけが裸ん坊で寒々しいということで、同協議会の事務局の女性が数年前、祭りで余った手ぬぐいで衣装を作ったのが最初とか。これが好評で、以来、毎月のように着せ替えるようになったそうで、地元住民だけでなく、このエリアのオフィスに通う人たちも楽しませています。

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 戦争終結直後の1945(昭和20)年10月上旬から12月まで約3カ月間で、都市ごとに「全国主要都市戦災概況図」が作られたことを初めて知りました。パレスサイドビルからぶらりと歩いて5分、国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)が企画展を開いていて、北海道から鹿児島まで、全国の約130都市分の戦災概況図を3期に分けて展示中です。

 長崎、広島の戦災概況図はいくたびか目にしても、これほど多くの都市に第一復員省資料課によって編纂された地図があったのですね。パンフレットによると、当時復員してきた軍人たちが故国の土を踏んで最初に尋ねることが、故郷の戦災状況であったため、本図の速やかな完成に努めたと記されています。

 各地の図面はその縮尺、紙質、紙サイズ、書き込まれた情報の精度などが様々です。全国主要都市に派遣された調査員たちが物資や調査手段に苦労しながら、しかも3カ月という短期間で仕上げた、その苦労が偲ばれます。

 第Ⅰ期(函館、釧路から静岡、清水、浜松まで)は8月23日で終了してしまいましたが、大津、彦根、岐阜~姫路、伊丹、西宮までの第Ⅱ期が26日に始まり(9月6日まで)、引き続き米子、岡山、広島~鹿児島、鹿屋、川内までの第Ⅲ期(9月9日~20日)があります。第Ⅰ期を含めウェブページ・国立公文書館デジタルアーカイブ(http://www.digital.archives.go.jp/)から検索すればすべて閲覧できます。

 先週、私が訪ねた日は第Ⅰ期の期間でしたが、70歳前後の女性が「戦災概況図 東京」=写真㊤=を食い入るように見つめ、ガラス越しに1地点を指でなぞっておられました。記憶の片隅に残っている場所でしょうか。

 廃墟となった東京の空撮も展示空襲図サブ.jpgされていました=写真㊦。1945年8月25日撮影ということで、説明を読むと、京橋北東の様子で、右側下から2つ目のビルが1932年竣工の味の素本社。ちなみに、角の時計台(写真ではビルの左下角)が特徴で、1980年代まで健在でした。

 国立公文書館は竹橋駅(1b出口)が最寄。月~金曜日、午前9時15分~午後5時開館。土曜・日曜・祝日は休館です。

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2013

23

8

地サイダー

・サイダー高円寺阿波2.jpg

 7月30日の当ブログで、竹橋から東西線で飲みに行った神楽坂で、阿波おどりをやっていたことを書きました。そこでも紹介した東京における阿波おどりのメッカ(?)ともいえる高円寺(杉並区)で今週末の24、25日に「高円寺阿波おどり」が開催されます。

 で、おどりの話でなく、サイダーです。地元限定の記念の地サイダー「高円寺サイダー」(340ミリリットル、200円)=写真㊤=があるというのです。目印は2人の踊り手のシルエットを配した青いラベル。甘みを抑え、後味さっぱりが特徴とか。見た目にも涼しさを出すため、サイダー自体も青色になっているんです。

 発売したのは、会場(JR高円寺高円寺駅周辺)に近い同駅南口にあるコンビニ「セブン―イレブン」の3店舗。6月下旬、「オリジナル飲料で高円寺をPRしよう」と開発した「高円寺南サイダー=写真㊨=は「南」とついていて、ラベルの踊り手は1人です。これが好評だったため、味やラベルなどに改良を加え8月中旬、今回の「高円寺サイダー」を発売しました。名前に「南」がなく、踊り手が2人になった阿波おどりバージョンというわけです。2400本の限定販売で、各店のほか、祭り当日はブースを設けて売る予定だそうです。

 この手の地サイダーは、実はすごくたくさんあるんですって。って、言うか、そこらじゅうにあるという方が当たっているかも。「地ビール」が各地で好評なのを見て増えたと言われますが、ビールに比べたら、作るのは簡単ですから、一気に広がったようで、例えば新宿区商店街連合会は2012年に鉄腕アトムのイラスト入り「十万馬力新宿サイダー」(220ml入り150円)を販売。2009年には横浜港のシンボル・日本丸を描いたラベルが特徴の「横浜サイダープレミアムクリア」(330ml入り180円)が、横浜開港150周年を記念して発売されました。茨城に行けば、金色の葵の御紋のラベルがまぶしい「黄門サイダー」(340ml入り190円)があり、これは県民だったころ、常磐自動車道の友部サービスエリアで買った記憶があります。「大宮盆栽だー!!」(もちろんダジャレ、335ml入り200円)は2010年3月に開館したさいたま市大宮盆栽美術館周辺の商店街を中心に販売中。

 新参組に混じって「老舗」も健在。戦後間もない1947年、向島で発売された「トーキョーサイダー」は、80年代末に姿を消したものの、スカイツリーオープンを前に2011年に復刻されました(340ml入り250円)=以上、各地のサイダーの写真は㊦左から。

・サイダー十万馬力新宿.jpg・横浜サイダー.jpg・黄門サイダー.jpg・大宮盆栽だー.jpg・東京サイダー.jpg

   ネットモールで検索すれば、こうした各地のサイダーがダーッと並び、2本×8種類セットなども売られています。「地域のあらゆる情報を提供」を謳うサイト「Actiz」は「ご当地サイダー特集」(http://www.actiz.jp/cider/index.html)を設けています。

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気象その③.JPG

 

 夏休みも残り少なくなってきました。子供たちは遊び疲れて、親たちは早く9月が来ないかと待ちわびているころでしょうが、夏休みの最後の関門があります。そうです、夏休みの宿題です。いつの時代も宿題に追われている子気象その他①替.JPG供たちと、その尻を叩いている親たちのバトルが8月末の風物詩になっています。

 昔の小学生には「夏休みの絵日記」という宿題がありました。○○したことにしよう、と皆これで空想力と想像力を鍛えていったのですが、なぜかお天気欄だけは律義に実際の天気で埋めたかったものです。まだインターネットもない時代、ウン十年前の毎日新聞の某地域面は8月29日付でページの半分を割いて夏休み期間中の天気と最高気温・最低気温を一挙掲載して読者サービスをしていました。ネタ元はもちろん地方気象台でした。

 

 さてパレスサイドビルのお隣のお隣は各地の気象台の元締め、気象庁です。ここには夏休みの宿題の強い味方「気象科学館」があります。予約がなくても入れます。入場料も掛かりません。ここに来れば「自由研究」の宿題はできたも同然でしょう。うまくいくと、自気象その他②.JPG由研究が3つくらい書けるかも・・・

 

 気象庁マスコットキャラクター「はれるん」が迎えてくれて、最初に積雪計で身長をはかりましょう。もちろん本来は積雪量を計測する機械ですが、身長も正確に教えてくれます。津波や地震のシミュレーターもあります。夕立のように突然激しく降る雨(局地的大雨)の怖さが体験できるボックスもあります。このところの東京や各地の局地的豪雨を再現しているような設備で、対処の仕方も教えてくれます。火山や南極のコーナーも、とても勉強になります。そのうえ常駐している気象予報士の方が「何か質問はございませんか」と近寄ってきてくれて、この日も数組の親子連れでにぎわっていました。

 

 「気象科学館」は気象庁(東京都千代田区大手町1-3-4)の1階にあります。年末年始以外は年中無休で午前10時から午後4時までの開館。最寄駅は、パレスサイドビルと同じ地下鉄東西線竹橋駅。

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 見てますか? TBS日曜午後9時の日曜劇場「半沢直樹」。

 堺雅人さん演じる型破りの銀行員・半沢直樹が、銀行内外の敵と戦う池井戸潤さん原作のドラマ(全10話)は、7月7日の初回視聴率19.4%でスタートしてから右肩上がりで数字をのばし、8月11日の第5話は関東地区で29.0%(瞬間最高は31.9%)、関西地区でも29.5%(同32.6%)をマークし、今やスーパーお化け番組。パレスサイドビルに本社を置く毎日新聞の兄弟みたいなTBSですから、ご同慶の至りです。

 18日は世界陸上のため放送は休みでしたが、25日からの後半は、東京の本店に栄転した半沢が、最大の敵となるであろう大和田常務(香川照之さん)と、どのように切り結ぶか半沢饅頭1.jpg、そして、どんな「倍返し」「十倍返し」を見せるか、楽しみです。ちなみに、TBSは25日午後2時から、1話~5話のダイジェストを放送するそうですので、見逃していた方、追いつくチャンスです。

 番組グッズがテレビ局のショップなどで売られることはよくあります。半沢グッズも、赤坂のTBS本社にあるTBSショップで、番組開始に合わせて「キャラクターのイラスト入り塩セット」(焼肉塩・黒岩塩・カレー塩・竹焼き塩・とんかつ塩の5種類で300円)が売られ、7月末には決め台詞や名刺が入ったキーホルダーとストラッ半沢直樹キーホルダー.jpgプ(各525円)=写真㊨㊦、そして8月14日には「倍返し饅頭」(9個入り840円)=写真㊧㊤が登場しました。包装紙は半沢の名刺のデザイン、オマケとして名刺のステッカー付きです。

 話のタネに・・・と、竹橋からの帰りがけ、 赤坂で途中下車して(ちょうど近くで飲み会があったので)、ショップを覗いたら、一番上の写真のように、饅頭は「完売しました」の文字。キーホルダー半沢直樹ストラップ.jpgとストラップも売り切れ、塩に至っては影も形もありませんでした。同ショップは東京駅、ソラマチ(スカイツリー脇)にもありますが、どこも同様の状況のようです。

 キーホルダーとストラップはネット通販の「TBSishop」でも売っていて、一時的な品切れとのこと。塩は追加生産の予定はないそうです。

 聞けば、饅頭は1日余りで完売し、入荷待ちになっているとい言うじゃありませんか。「今週中には再入荷の見込み」ということで、予定が決まり次第ショップのホームページ(http://www.tbs.co.jp/tbsshop/akasaka.html)で告知すると言っていました。

 私もサラリーマンをン十年やってますから、かつては、嫌な上司もいました(今は居ませんヨ)。半沢のようにタンカが切れたらスッキリしたかもと、思わないではありません。

 この饅頭、上司に贈る勇気、ありますか? 気楽に贈れるなら、きっとあなたの会社は良い会社!

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 日曜日に鮫洲の運転免許試験場(品川区東大井1-12-5)に出掛けて、免許証の更新をしてきました。初めて手にしてからウン十年、運転免許証は少しずつ変わっていますが、今回は裏面の備考欄が半分になって、残りの半分が臓器提供の意思表示欄になっていました。「記載は任意」と説明を受けましたから、少し考えてから対応するつもりですが、皆さんはどうされていますか。

社団法人 日本臓器移植ネットワーク(本部:東京都港区)によると、改正臓器移植法の施行から3年間で、脳死で臓器を提供された方は138人、そのうち約8 割の方が家族の承諾による提供だったそうです(2013年6月30日現在)。同ネットワークが10代~60代の男女1000人を対象に「臓器提供の意思表示に関する意識調査」を実施した結果を7月に公表していますが、それによると「臓器提供意思表示カード」の所持率は18%(昨年17.7%)だったのに比べ、運転免許証の所持率は78.5%(同80.7%)で、そのうち裏面に意思表示欄がある免許証は57.5%(同45.5%)。意思表示欄がある免許証を持っていて、意思表示をしている人は16.2%(同17.2%)だそうですから、かなり役立っているようです。

8月10日まで毎日新聞朝刊(東京)で10回にわたって連載されていた「生きる物語:命つないで」は10年前15歳のときにカナダで心臓移植を受け、その経験を踏まえ薬学の研究者を目指す京都大薬学部6年の青年を描いていましたが、その連載最終回でも免許証の意思表示欄を紹介していましたから、これからさらに広がっていくでしょう。

 

ところで、運転免許証は2007年からは順次ICチップ入りになっています。私の免許証も前回発行から既にICカード式でした。このICチップには偽造防止のために運転免許とそっくり同じデータが入っています。偽造など不審な場合には記載事項とICチップのデータを照合するという仕組みです。さらに本籍は印字をせずにICチップの中だけに納めてあります。

ICチップのデータを保護するためには、暗証番号の設定が必要です。私も鮫洲の運転免許試験場で4桁の数字2組の暗証番号を設定しました。最初の暗証番号は氏名や住所,生年月日などのデータ用で、これに2組目の暗証番号を足して「本籍と顔写真」が出てくる仕掛けだそうです。

ただしICチップの中を読み取るには専用の読み取り機が必要です。鮫洲の試験場には1階にも2階にも、そして3階にもかなりの台数の読み取り機が置かれていましたが、これに免許証をかざして暗証番号を入れると空欄に「本籍」が浮かび上がってきます。

銀行や郵便局などの金融機関ではこの専用読み取り機でより厳格な本人確認ができるとのことですが、私は銀行や郵便局でこの読み取り機を見たことはないのですが、どこかで「こっそりと普及」しているのでしょうか。私は更新前の免許証でもこの3年間、ICチップと暗証番号のことはすっかり忘れていました。

いったい、どこで使うのでしょうか。

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 孵(かえ)りました。カブトムシです。今夏、子供の友達の家から、カブトムシの番(つがい)を我が家に迎えたのが6月10日。その日の深夜(翌日未明)、虫を入れたプラスチックの飼育ケースからガサ●P1040592トリ.jpgガサガサと、凄い音。雄が雌を押しつぶしてしまうのでは、といった勢いでした=写真㊧

 先々週、昼間は土にもぐっているはずの番が、潜らずに地表にとどまっています。そこで、番を別の飼育ケースに避難させ、土を掘り返してみました。出てきました。って言うか、出るわ、出るわ、計22匹の幼虫です。大きいもので3センチほど=写真一番㊤、小さいのは5ミリ足らずでしょうか=写真㊨㊤。透明感があって、ちょっと可愛く思えません? 他に卵が3つ=写真㊧㊦=で、これも孵れば計25匹になります。モノの本によれば、1ペアが30~50個の卵を産むといいますから、ひょっとすると、●P1050065ト.jpgまだ増えるのか。と思っていたら、先週、番のメスが亡く なりました。オスは19日朝現在、存命中ですが、どうやらあと数匹の幼虫が誕生しているようです。

 実は、5月に幼虫2匹をもらいうけたのですが、5~6センチくらいまで育ちながら、死んでしまいました。果たして25匹のうち何匹が成虫になるのやら。

 飼育の書によると、「幅30センチくらいの大型飼育ケースに幼虫5匹程度」とあります。今でも狭い玄関周辺を大小3つの飼育ケースが占拠していますが、大型の●P1050050.JPG飼育ケースがあと2、3個必要なのかと思うと、気が重いところです。

 ちなみに、同じマンションの幼稚園・保育園児~小学生がいるお宅にはカブトムシがほぼ行きわたり、それぞれ、続々おめでたの由。婿・嫁入り先はなさそうです。

 子どもは少々怖がって、母親が飼育係っていうお宅は、結構多いんじゃないでしょうか。その飼育係との会話。

♡「こんなにいっぱい飼えな~い」

♠「だよね、だよね」

♡「パレスサイドビルで飼ったら?」

♠「何、アホなこと言ってんの」

♡「皇居に放したら?」

♠「怒られたら、どうすんの?!」

ということで、近所の公園でクヌギを探すことにします。

 それにしてもです。こんなカブトムシを「甘い匂いに誘われたあたしはかぶとむし」と恋の歌にしたaikoって、凄い!! とつくづく思う、今日この頃です。

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 オーバーホールをご存知ですか? パレスサイドビルでは先週、地下6階に据え付けている複数の非常用発電機3機のうち、2号機の分解清掃(オーバーホール)を行いました。この2号機はディーゼルエンジン部と発電機部を合わせて幅2.3メートル、奥行き6.0メートル、高さは2.8メートル。だいたいマイクロバスくらいのサイズです。

 写真㊤がオーバーホール中の2号機で、エンジン部のピストンを抜き出して既に汚れをきれいに取って清掃を終わったところです。通常の姿の他の発電機=写真㊨=と比べると、普段は隠れオーバーホール2.jpgているの様子がお分かりになるでしょう。

 オーバーホールは、機械製品を部品単位まで分解して清掃・再組み立てをすることによって、新品時の性能に近い状態に戻すことです。かつては車やバイクなどのエンジンやトランスミッションなど一定の走行距離に達したときにオーバーホールすることが必要でしたが、現在では乗用車ではほとんど必要なくなりました。

 オーバーホールでイメージするものといえば、ほかには腕時計や懐中時計、自転車、ピアノや管楽器。変わったものではスキューバダイビング機器などもオーバーホールが必要だそうです。

 一眼レフカメラやレンズも、フィルムの時代はオーバーホールしながら数十年使っていくものでした。私が愛用している1970年代購入の一眼レフは1995年くらいにメーカーSCでオーバーホールを受けて現在も軽やかにシャッターが切れます。しかし、今やカメラといえばデジタル。オーバーホールや修理よりも、買い換えた方が安上がりでかつ性能アップというのはデジタル機器の流れ。パソコンのプリンターなどは、ちょっと壊れても、修理代がバカみたいに高くて買い換えるように誘導されてるように感じることがしばしば。「機械」が好きな世代としては少々寂しいですね。

 パレスサイドビルの複数の非常用発電機は常に日常的にメンテナンスをして、さらに一定の間隔で定期的にオーバーホールを実施しています。ばらばらになった2号発電機は細かいところまで丁寧に清掃され、部品の劣化・摩耗をチェックして、元どおりに再び組み上げ、今週初めにオーバーホールは完了しました。

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 話題の映画『終戦のエンペラー』を見ました。1945年8月30日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)司令官としてダグラス・マッカーサー元帥(トミー・リー・ジョーンズ)が厚木に降り立った1945年8月30日から米大使館で元帥が天皇と会見した9月27日までの約1カ月間を刻々と追い、元帥から、太平洋戦争の責任者追及を命じられた部下ボナー・フェラーズ(マシュー・フォックス)が、「天皇の戦争責任」をめぐる昭和史の謎に迫る歴史サスペンスという触れ込みです。

 原作は、元毎日新聞記者、岡本嗣郎のノンフィクション『陛下をお救いなさいまし 河井道とボナー・フェラーズ』(文庫化にあたり『終戦のエンペラー』と改題)。まあ、天皇の戦争責任という重いテーマですから、人により考え方はいろいろでしょうが、映画の中でもフェラーズが「1000年調べてもわからない」と語っているように、真相を解き明かすというより、一つの見方をエンターテインメントとしてうまく見せた作品ということでしょうか・・・。

 この季節、毎年、戦争をテーマにした映画が封切られています。真珠湾奇襲を描いた『トラ・ト ラ・トラ!』(1970年)など、戦闘シーンが売りと思える作品も少なくありませんが、『日本のいちばん長い日』(1967年、ポツダム宣言受諾決定から玉音放送に至る1日を描く)、戦争末期の硫黄島を題材にした『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(2006年)という米国映画もありました。戦闘シーンがない米国映画という今回の作品は、二重の意味でこれまでと異質とかもしれません。

 新聞その他で、いろいろ取り上げられていますが、ちょっと面白いと思った話を2つ紹介。

 一つはロケ。撮影は、基本的にニュージーランドのオークランド市に再現したセットで行われ、監督ピーター・ウェーバーはインタビューなどで、「真実味のある1932年のアメリカ、1940年と1945年の日本、その当時の世界を作り上げた」と自賛しているように、東京の第一生命ビル6階のマッカーサー執務室(現在も保存されている)をはじめ、アメリカ大使館、天皇が一時期仮の住まいとした防空壕、マッカーサーが搭乗していたC54輸送機の機内なども精巧に再現されています。

 ただ、日本ロケも少しだけありました。それが皇居。監督が「撮影終戦のエンペラー1.jpg許可を取るのに、日本人プロデューサーたちが頑張ってくれたよ。今まで誰も、皇居敷地内での撮影を許されたことはないから、僕たちが初めてになる」と語っています。といっても、皇居の前で撮った程度のようで、フェラーズを演じたフォックスはインタビューで、「規制もすごかった。何も食べられないし、たばこも吸えない。限られた時間しか与えられなかったし、常に監視されていた」とぼやいた後、「でも、とても神聖な場所にいる感覚を覚えたよ」と話しています。終戦のエンペラー本物.JPG

 もう一つが、クライマックスの天皇とマッカーサーの会見場面(写真㊨㊤が映画、㊨㊦が本物)。奈良橋陽子プロデューサーが雑誌などで語っているところでは、天皇を演じた歌舞伎の片岡孝太郎と、マッカーサー役のジョーンズは、そのシーン撮影本番の時が初対面だったというのです。事前に挨拶したいと言うのを、あえて止めたとか。そう思って見ると、なるほど、だからこその漂う緊張感、ってことですネ。

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2013

14

8

名残の落書き

 パレスサイドビルから神保町交差点に向かって歩いて5分、小学館ビルが、えらいことになっています=写真㊤。なんだ、この人だかりは?!

 9月2日からの取り壊しが決まっている同ビル(地上9階、地下3階建て)に、●2013-08-13 13.32.47.jpgゆかりの漫画家らが思いっきり落書きを描き、通り沿いのガラスに貼りだされ=写真㊨、また、中を覗くと壁や柱に描かれているのが見えるのです(建物内は関係者以外立ち入り不可)=写真㊦。これを知った見物人が、暑いのにドッと繰り出したってわけ。この人出、ただごとじゃないですよネ。

 仕掛けたのは、漫画雑誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」編集部で、同編 集部のTwitterによると、「発端はライターさんから『漫画家さんに落描きしてもらえば?』と言われ、無理と思いきや社長室からOK出た」とのこと。同ビルは1967年1月完成ですが、その少し前の64年2月から「少年●2013-08-13 13.46.22.jpgサンデー」で連載がスタートした藤子不二雄の『オバケのQ太郎』がテレビアニメ化されて大ヒットし、その儲けで建てられた・・・と社内でも言い伝えられ、「オバQビル」とも呼ばれたほどなんですって。漫画と切っても切れないビルなんです。

 で、落書きは8月9日に行われ、呼びかけに応じた藤子不二雄(A)さんはじめ、浦沢直樹さん(『YAWARA!」『20世紀少年』)、ゆうきまさみさん(『機動警察パトレイバー』)、島本和彦さん(『逆境ナイン』『吼えろペン』)、吉崎観音さん(『ケロロ軍曹』)ら漫画家約25人が集まりlululuブログ.jpg、道路に面した1階応接ロビーの壁面や窓ガラスに次々に〝作品〟を描いたそうです。自身の作品のほか、浦沢さんと島本さんが石ノ森章太郎さんの『サイボーグ009』を描くなど、思わぬコラボも実現したといいます。他にも、『ポケモン』『うる星やつら』など新旧入り混じって賑やなこと=写真㊨は小学館lululu文庫編集部のブログより。

 当日、スピリッツ編集部がTwitterで「いま小学館ビルの取り壊し前の落書き大会が大変なことになっております!」と写真付きで"実況中継"すると、続々リツイート(RT)を呼び、「夕方のツイートが18000RT・・・こんな数字あり得るのですね」と編集部が絶句する事態に。あまりの反響に、12日には、16日までの8時半~20時、照明を点灯するサービスを始めたほど。17日以降はブラインドを下ろすため見えにくくなるようですが、昼間なら見えるといいます。

 まだご覧になっていない方は、お急ぎを。

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2013

13

8

火垂るの墓

 8.15にあたって、今年も様々なテレビ番組があります。11日夜放送されたドラマ『火垂(ほた)るの墓』(BS日テレ)もその一つ。原作は野坂昭如さんの同名の小説で、2005年に終戦60周年スペシャルとしてドラマ化されて話題になった作品の再放送です。神戸空襲で家を焼かれ、母を失った中学生の清太が、4歳の妹節子を連れて親戚に身を寄せたものの、けんか別れして家を出て、結局、栄養失調で息絶える話です。ドラマは、健気に生きようとした兄妹とともに、二人に冷たくせざるを得なかった親戚のおばさん(松嶋菜々子さん)の側にも光を当てます。「戦争に翻弄される人々の人間ドラマ」と、ホームページの解説にあり、野坂さんは「戦時下を懸命に生き、死んでいく、美しい兄妹愛のお話と受けとめられている。だが、実際のぼくは生き残り、さらに、あんなに優しい兄ではなかった。あの時代は、誰もが生きにくかった。男たちは命を懸け、女たちもまた戦っていた」とメッセージを寄せています。

 野坂さんは毎日新聞で毎週、「七転び八起き」を連載中ですが、その133回(2012年6月23日付)で『火垂るの墓』に触れ、「・・・壕の中にゴザを敷き、半纏(はんてん)の上に妹を寝かせ、ぼくはふらつきながらひたすら食いものを探していた。・・・『火垂るの墓』にはこの一部を書いた。フィクションも多く混じる。・・・ちょうど今頃の季節、湿気と暑さと、何より飢火垂るの墓アニメ3.jpgえに苦しんでぼくらは横穴壕にいた。67年を経てぼくは八十を過ぎた。他のことは忘れても、あの深い闇は昨日のことのように、ぼくにのしかかる」と書いています。

 この作品は1988年にスタジオジブリがアニメ(高畑勲監督)=写真㊧=を制作し、また2008年7月に実写映画(日向寺太郎監督)=写真㊨㊦=も公開されています。

 最初にアニメを見た時、兄妹、特に幼い節子が懸命に生火垂るの墓 映画.jpgき抜こうとする健気さに胸が詰まり、むき出しになる大人たちのエゴや打算に押しつぶされていく残酷さは、見ていてつらいものがありました。

 ところが、高畑監督の制作意図は意外でした。月刊アニメ雑誌『アニメージュ』(徳間書店)1988年5月号で、次のように語っています。

 「・・・(兄妹の二人で)家庭生活を築く楽しさ、そのなかでの心のかよいあい、いうならば愛、その限りにおいて、清太は大変充実した生を生きたと思います。・・・けれど、"社会生活"に失敗するんですね。・・・まわりの大人たちは冷たかったかもしれない。しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。・・・しかし私たちにそれを批判できるでしょうか」

 そして、現代に引きつけて、続けます。

 「社会生活はわずらわしいことばかり、出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、自分だけの世界に閉じこもりたい、それが現代です。・・・清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。・・・清太と節子が生きた時代というのは、隣組とか、愛国婦人会、産業報国会、それにもちろん軍隊・・・抑圧的な集団主義がとられていました。・・・清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。・・・もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、・・・全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします」

 見方、感じ方は人それぞれでしょう。高畑監督の言葉は考えさせられます。見るのが辛いというような単純な反応ではいけないのかな・・・だからこそ、『火垂るの墓』は何度もドラマや映画になるのでしょう。私自身、これから何度も、読み直し、映像も繰り返し見直すと思います。ただ、子どもが何歳になったら見せようか・・・この点はちょっと悩みます。

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 平日の朝8時半ころ、パレスサイドビルにほど近い皇居界隈は、いつもどおりに出勤途中の勤め人とジョギングをする人、散策をする人が行き交います。その日も最高気温は30度を超えるだろうと天気予報は言っていましたが、朝であれば、それなりにしのぎやすい感じです。

 当ブログでも紹介したカルガモの親子の近況報告でもと思ったのですが、残念ながらこの日、大手濠では彼らの姿は見かけませんでした。

 代わりに、大手門あたりの石垣近くにハクチョウが1羽。性能の劣る旧式デジカメにとっては撮影距離が遠いなぁ~。と、思っていたら、いきなりス~っと近寄って来るではありませんか。えっ何、皇居のハクチョウはサービス精神旺盛なのか?? いえいえ、誤解です。少し離れた岸を目指していただけでした。木の陰に隠れてよく見えませんでしたが、どうやらジョギング途中の若い女性が餌を与えていたようです。

 近づいてみると、白鳥は慣れた様子で、ちぎったパンと思しき餌を幾つかついばみ、と、すぐ離れていきます。その場所を数匹のコイが引き継ぎます。こちらは結構、食欲モリモリ。

 穏やかな、秩序ある調和の世界とでも言いましょうか。いつもの朝の大手濠・桔梗濠あたりの一コマでした。

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 パレスサイドビルからぶらぶら10分、神保町交差点を駿河台下の方に右折して100メートル足らずのところに「本と街の案内所」(千代田区神田神保町1-7-7、11時30分~18時営業、日曜・祝祭日は休み)があります。同僚が外回りのついでに写真を撮って、ちょっと調べてくれました。一見、居酒屋風の目立つ看板ですから、ご存知の方も多いのでは。でも、入ったことがある人は案外少ないかもしれませんね。

 170店に及ぶ古書店や30の新刊書店、さらに出版各社がひしめく世界有数の「本の街」である神保町。神保町交番のお巡りさんは「古書街地図」が手放せなかったそうで、「観光地にあるような案内所があれば、目的の店を探せて便利なのに」という声はかなり以前からあったといいます。

 そんな、こんなで2007年10月にオープンしたのが、この案内所。神田古書店連盟が空き店舗を借り、NPO連想出版をはじめナビブラ神保町、神保町応援隊、NPO神田雑学大学、千代田区立千代田図書館など、この地域で活動、活躍している諸団体が協力して運営をしています。

 ここの"売り"が連想出版が手掛ける「連想検索」。神保町にあるおよそ50店舗の在庫35万冊を収録した「古書データベース」のほか、新刊書も含めた検索が可能で、ある言葉や文章を投げかけると、関連情報を集めることができるのです。たとえ漠然とした質問でも、関連するさまざまなキーワードが勝手に(?)立ち上がり、興味の世界を広げてくれます。実際の検索の雰囲気は「ナビブラ神保町」のホームページ(http://www.navi-bura.com/special/annaijo_book.php)を参照してください。案内所にはボランティアの案内人が常駐しているので安心。

 神保町というと、本だけでなくグルメの街でもあるので、その案内もバッチリ。これも「ナビブラ神保町」のホームページ(http://www.navi-bura.com/special/annaijo_food.php)で紹介されています。どっちかと言うと、こっちの方がニーズは多いかも。

 どうも、本を買うのもオフィスや家のパソコンで済ませてしまうことが多くなりました。以前はよく神保町を歩いていたのが、最近は小生も、ちょっと足が遠のいています。たまにはぶらぶら歩いて、そのあと、美味しいものでも食べようかな......でも、熱中症が心配ですから、もう少し涼しくなってからにします。

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 8月6日の広島に続き、明日9日は長崎原爆忌です。毎年この時期、新聞やテレビなどは戦争や原爆を特集する記事や番組を展開します。季節的に取り上げる(この時期しか取り上げない)ことへの批判はあるものの、悲惨な歴史を風化させないための「戦争ジャーナリズム」として定着しています。

 今年、東京新聞(8月1日夕刊)が広島の原爆ドームにまつわる話題を報じました。記事の概要は①チェコ南東部ブルノの中央墓地に、神社の鳥居をかたどった100年ほど昔の墓石がある=写真㊤はチェコのニュースサイト「Lidovky.cz」より②これがチェコ人建築家ヤン・レツル(Ja  Letzel、レツェル、レッツェルの表記も)の作品だと近年分かった③レツルは、後に「原爆ドーム」となる広島県物産陳列館を設計した――というもの。ドームにまつわる秘話というわけです。

 記事にも「近年」とあるように、この事実を地元の美術史家が発見したのは4年前。写真㊨㊦が「 Lidovky.cz 」の2009年11月の報道です(http://www.lidovky.cz/v-brne-objevili-hrob-od-tvurce-atomoveho-domu-v-hirosime-p29-/zpravy-domov.aspx?c=A091116_080045_ln_domov_ter)。チェコ語は分かりませんが、Googleで翻訳をしてみると、デザインが「日本の伝統的なヤン・レツル.jpg鳥居に似ている」こと、墓石の裏面に「レツルが作者であると確認する碑文を発見した」などと書いてあるようです。ちなみに、東京新聞によると、「墓石は、砂岩の石材を組んであり高さ1.3メートルほど。1910年に29歳で亡くなったクララという女性の墓で、クララの死亡時、レツルは日本に滞在しており、どのような経緯で墓石が作られたかは不明」とのことです。

 レツルは1907(明治40)年に来日し、横浜や東京で設計事務所に勤めたり、自ら会社を設立したしたりし、一時帰国の後、商務官として再来日しましたが、1923年9月1日の関東大震災で自身も被災し全財産を失い、設計した多くの建物もやられ、同年11月に失意のうちに帰国し、25年に45歳でプラハで病死したとされます。彼の作品は、神戸のオリエンタルホテル(3代目、1907年頃)も1945年の神戸大空襲で焼失するなど多くが失われ、東京では、聖心女子学院校舎(1909年竣工)が関東大震災で倒壊しましたが、正門だけは当時のまま残っているそうです。

 その中で世界遺産までになり、永久に残ることになったのが原爆ドーム。原爆をテーマにした「広島の女」シリーズなどで知られる演出家・劇作家・翻訳家の村井志摩子さんが「原爆ドーム、ヤン・レツル三部作」を発表し、チェコ公演も実現しています。

 またドーム前.jpg、コピーライターの秦岡紀行さんは2007年に製作の3分間ドキュメンタリー「61年目の風景~Hiroshima Mindscape」でドーム自体が被爆前から持つ平和のメッセージを訴えています。2007年3月29日の毎日新聞広島県版にこれに関する記事があり、その中で秦岡さんは「レツルは故郷がオーストリア・ハンガリー帝国に支配されていたこともあり、争いを好まない思想が背景ドーム後3.gifにある東洋文化にひかれて来日。ドーム壁面の飾り付けは着物などの抽象的な図案がヒントとされており、被爆前から平和への思いが込められていました。『平和のシンボル』と言うなら、そこにもスポットが当てられるべきと思います」と述べています。

 さすが、戦争ジャーナリズム。今も、またこれまでも、いろんなことを、いろんな角度から報じているのですネ。

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2013

7

8

ついに頂点

 千葉県船橋市の非公認ゆるキャラ、ふなっしーが天下を取りました。各地のご当地キャラクターが人気を競う「総選挙」で、ふなっしーが堂々の初代チャンピオンに輝いたのです。8月6日に大丸東京店(東京都千代田区)であった表彰式で「感謝してるなっしー」と、トロフィーを手にお得意のジャンプを披露し、喜びを爆発させました=写真㊤

 キャラの人気投票では、秋に行われる「ゆるキャラグランプリ」が先駆けで、2011年にくまモンがグランプリに輝き、その後の大ブレークにつながったのは有名です。今回の「総選挙」は日本百貨店協会の主催で、「各地の百貨店を舞台に、ご当地キャラとヒーロー、ファンの方達と一緒になって日本を元気にするために立ち上げた」(同協会ホームページ)といいますが、はっきり言って二番煎じ。既に名前が売れているくまモンバリィさん(愛媛県=2012年のグランプリ獲得)、ひこにゃん(滋賀県)、せんとくん(奈良県)などの"一流どころ"は参加していませんから、どこまで盛り上がるか、不安視する向きもあったのではないでしょうか。

 そこにふなっしーの登場でした。彼のことは当ブログでも5月2日以降、何度も書いているように、テレビ番組やCMへの出演など、すでに超人気者ですから、いまさら総選挙でもなかろう、と思われますが、そのおかげでしょう、表彰式の様子は毎日新聞をはじめ、ほぼ全ての新聞が7日朝刊社会面で報道。テレビでも多くの局が伝えましたネ。ふなっしーが出場しなかったら、こんなに注目されなかったでしょう。恐るべし、ふなっしー効果。

 票数を見ても、勝負は決まっていた感じです。総選挙は全国約480のキャラが立候補、全国7地区の予備選(3月30日~4月21日、ウェブ投票のみ)で各地区上位3キャラ(関東は6キャラ)を決定、続く地区予選(5月11日~6月16日、百貨店店頭投票&ウェブ投票)を勝ち抜いた7キャラ=写真㊦=で決勝(7月10~25日、ウェブ投票のみ)が争われました。決勝進出7キャラの予選得票を見ると、ふなっしーが39万票台と、2位いしきりん(大阪府、18万票台)以下を既に圧倒。決勝の投票総数3万3573票の中でも、ふなっしーは1万1220票を獲得し、2位オカザえもん(愛知県、7840票)、3きゃら総選挙1.jpgことちゃん(香川県、6698票)などを寄せ付けませんでした。

 いまさらですが、改めてふなっしー人気の秘密をおさらいすると、「ゆるキャラ論〜ゆるくない『ゆるキャラ』の実態〜」の共著があるデザイナーの犬山秋彦さんが、毎日新聞8月3日夕刊で「非公認なのが強み。お役所の『お墨付き』なしでも頑張る姿が庶民の共感を呼んでいるのでは」と分析する通り、公式キャラのように行動を制約されない自由さ、破天荒さが大きいのでしょう。

 でも、ちょっと心配があります。激しい動きと独特の声がふなっしーの特徴ですが、逆に、だから、中に入る人は余人をもっては代えがたいでしょう。この暑い季節、体力が持つのかなぁ~。

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 竹橋から九段下で半蔵門線に乗り換えて渋谷に行ったら、ハチ公前広場の緑色のモニュメント車両の窓に、前になかった案内板が出ていました。「SHIBUYA CITY Tourism Association」の文字=写真㊨㊦。聞けば、6月から外国人旅行者向けの観光案内所が開設されたそうです。

 「シブヤ経済新聞」によると、渋谷区と東京商工会議所が共同で設立した渋谷区観光協会が開いたそうで、毎日10~18時、英会話のできる専任スタッフが1人常駐。時間帯によ2013071018110001トリ.jpgって、通訳ボランティアも手伝い、スペイン語、ドイツ語、中国語を話せる人もいるそうです。渋谷、原宿、代官山・恵比寿の観光マップなどを配布、特にハチ公に興味を持つ外国人観光客が多いため、解説パンフレットも置いているといいます。

 昨年10月、試験的に開いたところ、26日間(1日3時間)で延べ417人(外国人84%、日本人16%)が訪れ、100円均一ショップやSHIBUYA109、代々木公園など特定の場所への道案内237件を中心に、飲食店・服飾店などの紹介143件、六本木・浅草など他エリアへの交通案内65件などの問い合わせがあり、ニーズがあると判断し、常設が決まったそうです。

 青がえるは、1954(昭和29)年~59年に計105両が製造された東急「5000系」(全長約18メートル)。運転席の操作レバーや座席などは当時のまま残されています。2006年10月、「青少年育成活動の拠点」として区が東急から譲り受けて設置されました。

 「5000系」は航空機の技術を応用した超軽量構造と、米国からの技術導入による最新鋭の電装機器を兼ね備え、それ以前の日本の電車とは隔絶した高性能と軽快なスタイルが一世を風靡。下ぶくれの愛嬌ある形態とライトグリーンの塗装から「青がえる」のほか「雨がえる」などの愛称で親しまれました。1980年頃までに東横線から退き、大井町線、田園都市線、目蒲線で使われ、1986年に東急での運用は全て終了しましたが、1970年代から松本電鉄など地方の私鉄にも譲渡され、ローカル線の近代化に貢献。熊本電鉄では今も「ケロロ電車」として土曜・日曜・祝日に北熊本駅~上熊本駅間を運行中という現役です(整備・点検等で運休の場合も)。

 渋谷は東横線のホームが地上2階から地下深くに移転し、そのあとは再開発が進むなど、街の姿を劇的に変えようとしています。そんな中に佇む学生時代に通学で慣れ親しんだ電車は、何とも、ほっとさせてくれます。

 思い返せば通学の時、この車両が来ると、ジュラルミンの新しいでなくてガッカリした記憶があります(1970年代のこと)。今から考えると、なんと浅はかだったんでしょう。

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 NHK大河ドラマ「八重の桜」は、1868(明治元)年9月、鶴ヶ城(若松城)が落城し、最大の山場を越えました。会津戦争の中で、家老西郷頼母の母や妻ら城下の家に残った一族21人が自刃したエピソードは涙なしには見られませんでした。

 2012年11月2日の当ブログで、竹橋事件を目撃した会津藩出身の陸軍大将柴五郎を紹介し、彼の祖母・母・兄嫁・姉・妹の5人も自刃したことを書きました。

 柴の備忘録をもとにまとめられた『ある明治人の記録――会津人柴五郎の遺書』(石光真人著、中公新書、1971年)に描かれる会津戦争後の会津藩士の運命は過酷です。1869(明治2)年11月、下北半島の斗南(となみ)藩としてお家が再興され、多くの藩士がそこに向かいましが、23万石が3万石に削られ、しかも火山灰の痩せた極北の地だけに、藩士たちは筆舌に尽くしがたい極貧の生活を送ることになったのです。

  「八重の桜」でも出てきますが、籠城して戦った会津藩士たちは猪苗代の収容所に入れられ、その後、江戸に送られます。その数2000人余りとか。他に城外で動いた旧藩士1800人は越後の高田藩にお預けとなりました。会津戦争当時8歳だった柴は、山荘に疎開中、城外の戦いで負傷した長兄太一郎と再会して戦争終結。江戸に送られる太一郎に随行しましたが、負傷した兄を介護する下男として認められたもの。徒歩で十余日、「一ツ橋門内、御搗屋(おつきや)と称する幕府糧食倉庫に着きたるときは疲労困憊」と『ある明治人の記録』に書かれています。1869年6月のことでした。

 柴は別の文書で御搗屋の場所を「一ツ橋内文部省のある処」と書いています。維新後の文部省とは、まさにパレスサイドビルが建っているこの場所です。ここに会津藩士が居たとは、感慨深いです(写真は1872年=明治5年ごろの文部省)。

 収容所は「謹慎所」と称し、他に音羽の護国寺、小川町の講武所、麻布の幸田邸(後の近衛歩兵三連隊営所)にあり、後日、芝増上寺が加わったといい、柴より先に江戸に送られた父・佐多蔵が講武所、兄五三郎は幸田邸、兄茂四郎は護国寺と、分散していました。行動はかなり自由で、「たがいに訪ねることを得たり」といい、また、後に飯田町に会津藩事務所設置が許され、大河ドラマで玉山鉄二演じるカッコイイ散切り頭と軍服の山川大蔵(後に浩に改名、八重の幼馴染)を総督として新政府との折衝などにあたったそうです(山川は、謹慎解除後、斗南藩大参事として藩政運営を担いました)。

 会津戦争とその後の会津藩の扱いの評価は様々。一般に、その苛酷さが知られ、同書でも「当初より戦う意思なく、すでに大政は奉還され、藩主は・・・会津の城下に謹慎せるにも拘らず、・・・汚名を着せて討伐し、あまつさえ言語に絶する狼藉を行い、良民を塗炭の苦しみに喘がせ・・・」と、柴の怒りが所々で迸ります。

 他方で近年、新政府で軍事部門を統括した元長州藩士・大村益次郎が、「八重の桜」で稲森いずみ演じる会津藩主・松平容保の義姉・照姫移送にあたり厚く遇したとか、容保の2人の側室について出産まで会津に居させたことを記した手紙が発見されるなど、新政府は案外、寛大だったという説もあります。

 サラリーマンの世界でもいますよね、能力はあって、仕事もしっかりしてるはずなのに、うまく立ち回れないで不遇をかこつ人が。会津は、時代の大きなうねりに飲み込まれ、そんな損な役回りを担わされたように思われます。

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 自宅最寄りの地下鉄駅へいつもと違う路地を歩いていて、レトロな手押しポンプを見つけました。水道が普及するまではどこにでもあったあれです。路地の脇、引き戸の玄関横に備え付けられています。レトロ風とはいっても近くに掘り井戸もなく、パイプを乗せる台板も見当たりません。一瞬オブジェかとも思いましたが、よく見るとそれほど古いものではなく、きちんと使える状態になっているようです。塀も柵もない開放的なお宅とはいえ、あまりジロジロ物珍しげに覗き込むのも憚られて、写真を1枚撮らせてもらって通り過ぎました。近くの地下鉄駅からパレスサイドビルのある竹橋駅までは乗り換えを含めて30分、もちろん田舎ではありません。

 数日前のニュースで利根川水系ダムの水位低下を受け、6都県(東京、千葉、埼玉、茨城、群馬、栃木)で10%の取水制限を行うことを決めたと報道されていたから、古井戸のポンプが何気なく目に入ってきたのでしょう。実際は都心の住宅地でも、井戸を利用している家庭は珍しくないのかもしれません。

 気象庁の3カ月予報でも、9月にようやく雨量が回復すると予想され、関東地方では水不足が心配される、ということです。

 井戸があれば水不足も心配なし、というわけでもないでしょうが手押しポンプは近年、どうやら静かなブームのようです。防災用に公園などに設置している自治体もあるようです。

 写真のお宅のポンプは、4本の脚で本体を支え、中央からパイプが直接地中に入っていく「打ち込み式」というポンプです。ネットのマーケットでは15,000円から35,000円くらいの価格帯で、直径サイズ違いも含めて50台以上がずらずら出て来ます。うたい文句は「昔ながらのデザインでガーデニング用にもぴったり」。たしかに写真のお宅も玄関脇に鉢植えの嘱物が置かれていましたから、この水やりに使われるのでしょうね。

 マンション派には縁がないのですが、井戸水で冷やしたビールも旨いし、と。

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 8月3日は土用の丑の日(二の丑)。7月22日が一の丑で、今年は2回あることは、7月23日の当ブログで書いた通り。

 今年は、稚魚(シラスウナギ)の乱獲で鰻が絶滅危惧種に指定されるということで、お店が価格高騰で困っているというニュースが目立ちますネ。1980年代後半以降、中国での日本向け養殖が盛んになって鰻は大衆化したわけですが、7月22日に東京・本郷の東大で開かれたシンポジウムでは、専門家が「飽食をやめ、ウナギを『ハレの日のごちそう』として大切に食べてほしい」「持続性を無視したお手軽な消費が水産資源と食文化の衰退を招いた」などと訴えたそうです(毎日新聞7月23日朝刊)。昔は高級品だったのが、いつの間にか庶民の味になったと喜んでいたものの、あだ花だったようです。大量消費に向かない資源を薄利多売のビジネスにしてしまったのが間違いだったということでしょう。

 たまたま読んだ本で、鰻が高級品だった時代のエピソードを見つけました。

 「覚書 幕末の水戸藩」という本で、著者は婦人問題研究家の草分け、山川菊栄189019801947(昭和22)年、片山内閣の下で新設されたばかりの労働省(現厚生労働省)の初代婦人少年局長も務めた人です。彼女は水戸藩士で弘道館教授頭取代理を務めた儒学者・史学者の青山延寿の孫で、延寿の父延于が弘道館初代教授頭取の儒学者。それら祖先の記録等をもとに書かれたのが同書です。尊王攘夷の先駆けとして思想的に明治維新に大きな影響を与えた水戸藩は、しかし、徳川御三家の一角の立場と尊攘との折り合いに苦慮し、天狗党に代表される尊攘派と保守派の間で、まさに血で血を洗う生臭い内紛を経験します。そんな幕末の様子を、実証的、かつ庶民の視点からまとめ、第2回大仏次郎賞を受賞した名著です。

 藩内の権力闘争にからんで士族の貧乏ぶりを描いた部分で、水戸藩士から東京帝大教授になった内藤耻叟(ちそう)という人が「水戸の家中はみな貧乏で、役人にならぬものは内職をして糊口をする者が多かった。・・・役人になれば鰻が食われるが、役人にならなければ鰻串を削らねばならぬ。食うと削ると、これ政権争奪の原因なり」と語ったとあります。鰻が贅沢のバロメーターだったんですね。

 ついでに興味をひかれたのが、鰻と切っても切れない関係の「串」。筆者は内藤の話に続けて次のように書いています。「鰻の串を削る内職も割合に近ごろ(出版されたのは1974年なので、今から40年ほど前か)まで水戸の特産となっていた武家のおきみやげで、その削り方が正直一途、いかにも念入りででき上がりがきれいなので、鰻の串は水戸に限るといわれ、特に値のいい高級品とされたという」

 元茨城県民としては、不覚にも、串が当地の特産品とは知りませんでした。そこ小川竹串店の串.JPGで、ネットで見つけた小川竹串店さん(茨城県鉾田市)にメールで尋ねたら、丁寧な返事を頂きました=写真㊨は同店ホームページより。

 「ウチは元々祖父が竹籠を作っていました・・・昭和30年代の終わり頃プラスチックの登場で竹籠が売れなくなり、竹串を作る商売に転換しました。需要もあったのでしょうね、水戸や岩間(現在は笠間)あたりでも竹串を作っている人が沢山いたようです・・・台湾や中国から安い竹串が入って来るようになり、今は国産の竹串を作っているところはあまりないようです。ウチも震災前まではかなりの数の国産を作っていましたが、地震で工場が倒壊し、ほとんど作ってません・・・竹串は主に中国から半製品(竹ひご)を輸入し加工して出荷しています。これは中国産として売っています。ウチで竹を切って、つきだして、乾燥して、先端を削って選別した物は国産の表記で売ります!と言ってもあまり作れないので大々的には言えませんが。いずれにしても自営業として、食べていくのが大変な商売です」

 震災がこんな特産品にも打撃を与えていたとは! 小川竹串店さん、頑張ってください!!

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