2013

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ぶらパレス 夏目漱石の碑

 梅雨が明けて暑い!!  (*´Д`;) それでも、営業マンは外回り。そんな合間に、ちっちゃな石碑を見つけました。パレスサイドビルから歩いて10分余り、明治大学駿河台キャンパス裏のお茶の水小学校(千代田区神田猿楽町1-1-1)の西門脇です。

 「吾輩は猫である 名前はまだ無い 明治十一年 夏目漱石 錦華に学ぶ」と碑文にあり、夏目漱石顕彰碑と呼ぶそうです。

 お茶の水小は、1993年4月に錦華、小川、西神田の3小学校を統合し、錦華小の校地に開校しました。この錦華小に1878(明治11)年の1年間だけ、漱石が通ったということです。碑のそばにあるプレートには「卒業記念 104回卒業生一同」の文字。錦華小は1873(明治6)年開校なので、1975~1980年ごろ卒業記念に建てられたのでしょう。

 漱石(本名金之助)は学校を転々としています。明治維新の混乱期であった1867(慶応3)年、江戸・牛込馬場下(今の高田馬場界隈)の名主の家に生まれ、一時、養子に出されたり戻されたり、挙げ句に実父と養父が対立するなど結構ゴタゴタする中、市ヶ谷学校(現在の新宿区立愛日小学校)を経て転向してきたのが錦華小でした。

 錦華小への転校は東京府第一中学(現在の日比谷高校)への入学が目的だったといわれます。その通り一中に入学したものの、「正則科」という学科で、ここは大学予備門(のちの第一高等学校、現在の東大)受験に必須だった英語の授業が行われていなかったため2年ほどで中退したそうです。漱石と言えば第五高等学校(現在の熊本大学)などの英語教師だったことは有名ですが、英語を学ぶにあたっては、紆余曲折あったんですね。その一端に、ここ神田の小学校が関わってたとは、歴史の面白さを感じます。

 ちなみに、漱石は一中中退後、私塾に通うなどする中で英語に目覚め、1884年(明治17年)、無事に大学予備門予科に入学して英語教師の道に進むのですが、この時の同級生に正岡子規や秋山真之がいたのは、「坂の上の雲」に描かれた通りです。1893年、帝国大学(後に東京帝国大学=現在の東大)英文科を卒業。どっちにせよ秀才だったんですね。

 漱石の碑の隣は錦華公園があり、千代田区観光協会のホームページに「大名屋敷の庭園であった歴史ある公園で・・・水と緑と砂場複合遊具があり、都会の中のオアシス・・・昼間は学生やビジネスマンがお昼をとったり、神保町古本屋街に訪れた人が休んでいたりします」とありました。小生も暑い日差しをしばし避けて木蔭へ・・・少しの休憩は目をつぶってね、部長!(≧∇≦)

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