2013

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丸の内のドンは皇居東御苑に。岡山のドンは高校生が発掘、復元

 東京・竹橋のパレスサイドビルのすぐ前、皇居東御苑江戸城旧本丸跡の芝生広場に「午砲台跡」と記された石碑があります。かつて正午の時報となる号砲を撃つ砲台があったところです。午砲は1871(明治4)年10月に定められた午砲の制により制度化され、毎日全国各地で空砲の音によって町中に正午を知らせていたのです。その響きから俗に「ドン」と呼ばれていました。

 東京では皇居内本丸跡にあった中央気象台隣の練兵場に砲台を設置し、陸軍近衛師団が発砲していましたが、その後運営は海軍兵学校などに引き継がれ、1922(大正11)年に軍が経費節減のため撤退、東京市に移管されました。皇居からの午砲は近くの人たちからはうるさいという声があったものの「丸の内のドン」と呼ばれ、市民の間で親しまれていたそうです。しかし、1929(昭和4)年5月1日、経費難の理由から空砲をやめて、以後市内各所に設置されたサイレンによる時報に切り替わったのです。「丸の内のドン」の実物は現在、東京・小金井市の都立小金井公園内にある江戸東京たてもの園に保存されています。

 午砲台については全国各地、各方面で歴史遺産として研究、保存されています。

 その中で特筆すべきなのが「岡山のドン」でしょう。

 岡山の午砲台は1908(明治41)年、岡山市北の半田山に陸軍第17師団に設置され岡山山砲隊が運用していましたが、軍縮などの影響で同隊が廃止され午砲も1922(大正11)年8月15日に消えました。その後、岡山市が引き継ぎ、1929年3月まで続きました。

 戦後、半田山の午砲台があった所は不法投棄のゴミ捨て場になっていたのですが、「大切な史跡をこのままにして置いてはいけない」と近くの加計学園岡山理科大学付属高校の生徒たちが立ち上がり、発掘調査に乗り出しました。岡山理大とも連携して亀田修一教授らの指導の下、生徒たちは樹木の伐採から不法投棄されたごみなどを取り除く作業を続け,砲車の車止めや排水口などを掘り起こしたのです。

 これに並行して、付属高校機械科の生徒たちは午砲を撃った大砲の復元に取り組みました。鋳造所や博物館を見学するなどして大砲について学習した上で、かつて地元新聞に掲載されていた写真を元に図面を制作。これを元に大砲、砲車の一部をアルミ鋳造で造りました。溶接はしないで鋲を使って組み立て、実際の大砲は青銅製なので青銅色に塗装してレプリカを完成させました。復元された午砲台は2009(平成21)年12月半田山の遺構で披露され、現在も岡山市内を見下ろすように鎮座しています

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