【2013年4月】のアーカイブ

 ゴールデンウイークです。今週のお仕事は3日だけという方も多いでしょう(休みもお仕事の方はご苦労様です)。それぞれに楽しんでますか? 後半の5月3~6日にいろいろと計画している方も多いでしょうね。

 というわけで、前半戦の4月28日に高尾山に行ってきました。竹橋など都心から新宿に出て、京王線で高尾山口駅へ特急で最速約50分。JRで高尾まで行って京王線に乗り換えもできます。今回は真面目に登山というわけではなく、のんびり午後から出かけて、高尾山口駅を降りてP1040151.JPGケーブルカーで上がり=写真㊧、さる園・野草園でちょP1040143トリ.jpgっと遊んでから歩いて降りてくるというお散歩程度。写真㊨は、さる園入口付近。とても混雑していましたが、暑くも寒くもない最高の季節に新緑の中を歩くのはホント、いい気分でした。

 今回のお目当ては、食事。訪ねたのは、駅から送迎バスで10分ほどの「うかい鳥山」さん=写真㊦。6500坪の日本庭園に数奇屋造りの離れ方式の個室が優雅に軒を連ねる料亭情緒が味わえることで有名ですね。P1040168.JPG堀ごたつやイス席の個室から大広間まで、まざまな宴会シーンに対応、地鶏や和牛、季節の野菜などを炭火焼で焼いていただきます=一番上の写真。建物は飛騨高山から移築したものもあるとか。窓の外に水車が回っていたり、都会の喧騒をしばし離れ、美味しくて楽しい夢のような時間を過ごしました。どこで飲んでも、ワイワイガヤガヤやっている限りは同じかも......なんて無粋なことは言いっこなしですよ。

 さて、ゴールデンウイークの語源をご存じですか? 元々は映画業界から出た言葉。1951年、この時期の興行収入がお正月を上回ったことから、さらに多数の観客を動員しようと、当時の映画会社「大映」役員が宣伝用語として編み出し、翌年、翌々年と、徐々に一般にも普及し、全国で使われるようになったようです。
 ちなみに、NHKはニュースを聞く限りは「大型連休」という言い方でした。映画という特定業界の宣伝に公共放送として協力できないから、という解説がありますが、当初はまだしも、今更、っていう感じですね。それより、「ゴールデンウイーク」では9文字にもなり、画面にニュースのタイトルなどで使うには長すぎるから、4文字の「大型連休」だという説もあります。
 ともあれ、週末のGW後半、天気も関東などは良さそうです。さあ、どこに出かけましょうか。

 東京・竹橋のパレスサイドビルすぐ南にある皇居東御苑内の二の丸雑木林にキンランとギンランが可憐な花を咲かせています。できるだけ多くの陽ざしを受けようと新しい芽を出して勢いを誇示している高い木々の下で、3~40㎝ほどの高さの黄色い花のキンラン、白い花のギンランは静かにひっそりと春をアピールしているようです。

 キンラン、ギンランはかつて国内の雑木林などでよく見られていたのですが、20年前ごろから急激に減り始め、1997(平成9)年には環境省のレッドデーターブックの絶滅危惧種Ⅱ類に掲載されています。各地の雑木林が開発されて減っていったことや、野生ランブームで乱獲されたことが原因なのですが、家庭の庭やプランターなどで栽培をするのが非常に難しいことからでもあります。

 人工栽培が難しいのは、キンランは他の多くのランと違って、窒素や炭素源など植物の栄養分を他の樹木の根に付く共生菌を通じて接種しており、共生菌との関係が崩れると健全な成長ができなくなるためです。キンランは窒素源の約49%、炭素源の約40%を共生菌から供給されているという植物学者の研究もあります。ギンランにいたっては炭素源が48~59%、窒素源の90%以上依存しているということです。

 このためキンランだけを掘って移植して数年以内には枯死してしまうそうです。樹木と菌、キンランとの共生を構築すれば栽培ができるように思えますが、環境が変われば、菌がそのまま生きていくことは困難になってしまうし、菌の人工培養も難しいため、共生栽培ができる手法は確立されていないそうです。

 他所の雑木林などでキンラン、ギンランを見つけても、そっと鑑賞するだけにしましょう。「やはり野に置けキンラン、ギンラン」といったところですね。

 パレスサイドビルから徒歩5分の区立千代田図書館(千代田区九段南1-2-1、区役所9階)の特別企画「絵本で知ろう!日本のおまつり、世界のおまつり」(5月12日まで)に合わせて、「おはなしに出会えるパン屋さん2013」が図書館のある区役所ビル1階の「さくらベーカリー」で行われています。
 4月23日の「子ども読書の日」に前後して図書館が毎年開く催しとコラボした恒例の企画。今年は「日本のおまつり」「世界のおまつり」にちなんで、コチュジャンドック(韓国)=写真㊤、フィッシュアイ(魚眼)で撮影など「世界のドッグパン」「日本三大祭のパン」の国内外6種類のオリジナルのパン=写真㊦=を用意しています。
 さくらベーカリーは、社会福祉法人「緑の風」が千代田区の指定を受けて運営する公益事業で、「障害者が働くためのパン屋さん」(詳しくは「緑の風」ホームページ=http://www.chiyoda-midori.jp/sakura-gaiyou.html参照)。
 韓国のホットドックは、もち米麹や唐辛子の粉などを主原料とする発酵食品のコチュジャンが、太~いフランクフルトにたっぷりかかっています。コチュジャンは日本では唐辛子味噌とも呼ばれる韓国伝統の調味料ですが、製法はいろいろあり、麹の代わりに水飴等の糖類を使うものもあるようです。食べてみたところ、このドッグはちょいピリ辛ではありますが、それほど辛くはないので、水飴入りかもしれません。なかなか美味ですよ。
 他のドッグパン2種は、それぞれメキシコとアメリカをイメージした「チリコンカンドック」と「チキン&ポテトドッグ」、日本三大祭パンは「タケノコとアスパラの祇園七味がけピザ」(京都・祇園祭)、「たこ焼き風お好みピザ」(大阪・天神祭)、「塩麹チキンサンド」(東京・神田祭)。いずれも1個320円。
 区役所ビルもお店もガラス張りの気持ちのいい空間です。イート・イン・スペースもあるので、焼きたてパンをいただくと、一段とおいしいかも。
 お店は日曜・祝日は休業。今回のオリジナルパンは5月11日まで。

 東京・竹橋のパレスサイドビルのすぐ前、皇居東御苑江戸城旧本丸跡の芝生広場に「午砲台跡」と記された石碑があります。かつて正午の時報となる号砲を撃つ砲台があったところです。午砲は1871(明治4)年10月に定められた午砲の制により制度化され、毎日全国各地で空砲の音によって町中に正午を知らせていたのです。その響きから俗に「ドン」と呼ばれていました。

 東京では皇居内本丸跡にあった中央気象台隣の練兵場に砲台を設置し、陸軍近衛師団が発砲していましたが、その後運営は海軍兵学校などに引き継がれ、1922(大正11)年に軍が経費節減のため撤退、東京市に移管されました。皇居からの午砲は近くの人たちからはうるさいという声があったものの「丸の内のドン」と呼ばれ、市民の間で親しまれていたそうです。しかし、1929(昭和4)年5月1日、経費難の理由から空砲をやめて、以後市内各所に設置されたサイレンによる時報に切り替わったのです。「丸の内のドン」の実物は現在、東京・小金井市の都立小金井公園内にある江戸東京たてもの園に保存されています。

 午砲台については全国各地、各方面で歴史遺産として研究、保存されています。

 その中で特筆すべきなのが「岡山のドン」でしょう。

 岡山の午砲台は1908(明治41)年、岡山市北の半田山に陸軍第17師団に設置され岡山山砲隊が運用していましたが、軍縮などの影響で同隊が廃止され午砲も1922(大正11)年8月15日に消えました。その後、岡山市が引き継ぎ、1929年3月まで続きました。

 戦後、半田山の午砲台があった所は不法投棄のゴミ捨て場になっていたのですが、「大切な史跡をこのままにして置いてはいけない」と近くの加計学園岡山理科大学付属高校の生徒たちが立ち上がり、発掘調査に乗り出しました。岡山理大とも連携して亀田修一教授らの指導の下、生徒たちは樹木の伐採から不法投棄されたごみなどを取り除く作業を続け,砲車の車止めや排水口などを掘り起こしたのです。

 これに並行して、付属高校機械科の生徒たちは午砲を撃った大砲の復元に取り組みました。鋳造所や博物館を見学するなどして大砲について学習した上で、かつて地元新聞に掲載されていた写真を元に図面を制作。これを元に大砲、砲車の一部をアルミ鋳造で造りました。溶接はしないで鋲を使って組み立て、実際の大砲は青銅製なので青銅色に塗装してレプリカを完成させました。復元された午砲台は2009(平成21)年12月半田山の遺構で披露され、現在も岡山市内を見下ろすように鎮座しています

 季節もよくなったので、街を歩くのが気持ちいいです。パレスサイドビルからぶらり5分、区立千代田図書館(千代田区九段南1-2-1、区役所9階)で始まった特別企画「絵本で知ろう!日本のおまつり、世界のおまつり」を覗いてきました。

 4月23日は「子ども読書の日」であり、「世界本の日」でもあるそうです。これにちなんだ催しです。

 なぜ、この日かというと、「サン・ジョルディの日」だから。元々はスペイン・カタロニア地方の習慣で、守護聖人サン・ジョルディを祭り、女性は男性に本を、男性は女性に赤いバラを贈る日とされます。この日は「ドン・キホーテ」の著者セルバンテスの命日でもあり、スペインでは「本の日」とされ、1995年にユネスコ総会で世界本の日として定められました。(ついでに、シェークスピアの命日もこの日です)

 日本では、図書館関係者らにより2000年が「子ども読書年」とされ、これを契機に、超党派による議員立法で2001年12月、「子どもの読書活動の推進に関する法律」が成立しました。この法律の第10条で4月23日は「子ども読書の日」と定められているといいますから、かなりきちっとした日です。(その割に、文部科学省におホームページでは1年前の2012年のこの日の「平成24年度子どもの読書活動推進フォーラム」が新着情報というのはちょっと残念)

 ま、それは置くとして、「絵本で知ろう...」の展示です。日本各地の伝統的なお祭りに親しむことのできる絵本や、世界各国のお祭りや風習を知ることのできる絵本約30冊を展示しています。例えば、日本のお祭りでは、「なんででんねん天満はん 天神祭」(今江祥智・童心社)、「えほんねぶた」(あべ弘士・講談社)、「ふうこととんどやき」(いぬいとみこ・偕成社)、「げんきにおよげこいのぼり」(今関信子・教育画劇)など=写真㊦㊧。世界のお祭りは、「世界のおまつり」(アナベル・キンダスリー・ほるぷ出版)、「世界のあいさつ」(長新太・福音館書店)など=写真㊦㊨

 記念企画として27日(土)14時(13時半開場)から約1時間、「第5回ことばと音のフェスティバル」として、1階の区民ホールで、神田明神近くの幼稚園児から小学生を中心に活動している神田明神稚児太鼓の皆さんの太鼓の演奏と、絵本の読み聞かせの2つのイベントもあります。

 子どもに本を読んでほしいと願わない大人はいないでしょう。せっかくの日ですから、何か1冊、買って帰ろうかと思います。

 このところ急に冷え込み、真冬に近い寒い日があったかと思うとぽかぽか陽気が続いたりと、相変わらず不順な天候が続いています。外へは何を着て出ようかと迷ったりしますね。でも、草花を見ると開花が早い遅いは多少ずれても、確実に本格的な春、初夏に向かっています。東京・竹橋のパレスサイドビル近くの北の丸公園内、東京管区気象台新露場(ろじょう)西側にある繁みの中で春の花、オドリコソウが咲き誇っています。白い花とピンクの花が、木陰の下で風に揺られていました。

 オドリコソウは花が菅笠をかぶった踊り子に似ていることから名付けられたそうです。確かによく見ると白い笠をかぶり、うちわのようなものを持ち、うす紫色のすその白い着物姿の女性が外を向き輪になって踊っているように見えます。田中絹代から山口百恵まで当時のアイドルが映画で演じた可憐なイメージの「伊豆の踊子」というより、阿波踊りの感じではありますが...。でも、シソに似た葉っぱの下に咲く花は清々しさを漂わせています。

 花芽、若葉、花はそのまま天ぷらにしてもよし、軽くゆでて和え物、おひたし、酢の物など山菜と同じように食べられます。また、花芽、若葉、花から抽出したエキスは肌荒れ防止、消炎作用があるほか育毛にも良いとされています。さらに乾燥させた全草は腰痛や打撲傷に効く入浴剤として使われるなど、薬効十分な植物です。

 ところが、英語で表記するとdead nettle。死んだイラクサという意味です。葉っぱが似ているイラクサの茎には毛のようなトゲがあり、そのトゲの基部には液体が入った嚢があり、トゲにふれて嚢が破れて液体が皮膚に付くと強い痛みが出たりかぶれたりするそうですが、オドリコソウに触れてもかぶれることもないので"dead"なんて言葉を使って命名したのでしょう。それにしても何とも無粋な命名です。和名の方がずっと趣があり、和名だと踊り子のことを頭に浮かべ、庭で育ててみたくなりますのにねぇ。

 東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開かれている「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」展(毎日新聞社など主催)も21日まで。まだ見ていない方はお急ぎを。

 さて、主人公のネロがルーベンスの絵にあこがれた「フランダースの犬」ですが、アメリカでも5、6回映画化(アニメでなく実写版)されていますが、ネロが生き続けるんですって。ホンマでっか?!

 このうち、昨日の当ブログでもちょっと紹介した1998年の「A dog of Flanders」(ケビン・ブロディ監督)=写真㊤はDVDのジャケット=を何年か前にテレビでやっていて、子供のために録画したままだったので、改めて見てみました。

 概ね、日本のアニメと同じようにストーリーが進み、クリスマスイブの大聖堂のシーンでルーベンス(の亡霊)が登場し、「君(ネロ)の絵は長くみんなの心を揺さぶるよ」と語り、ネロとパトラッシュを天国に導き、そこで幼くして死に別れた母親と抱き合って終わります。最後のルーベンスの言葉に「芸術は永遠」というメッセージが込められているのだろうと理解しましたが、あっけない終わり方だな、という印象も持ちました(DVDの結末は確認していません)。

 ところがです。Youtubeでみつけた映像は、このあと、テレビで見たものにはなかったネロの葬式の場面=写真㊦①=になり、みんなが悲しんでいるのを天国でネロ、おじいさん、母親、ルーベンスが見ていて=写真㊦②=、ネロが「僕、生きたい」と言います。ルーベンスは、みんなに愛されていることを理解させるため、ネロを一時的に天国に連れて行って葬儀を見させたというわけです。続いて大聖堂で倒れた場面に戻り、アロアらが駆け寄って抱き起こすと、ネロが目を覚ます=写真㊦③=という"復活"の物語。しかも、ネロの才能を認めて応援していた画家が、実はネロの父親だとわかり、「マイ・サン」と抱きしめるではありませんか=写真㊦④=http://www.youtube.com/watch?v=t1QxxAyg5hs)。驚きました。日本では悲劇と決まっているので、テレビでは最後がカットされたってことですね。

 映画が作られた当時、日本の新聞では「ハッピーエンドは改悪」「結末変更にファン抗議」「作者の主張尊重を」などと報じられ、毎日新聞の1998年10月19日夕刊社会面に「ネロ少年、死なせない」というブリュッセル発の時事通信社電が載っていて、記事の中でブロディ監督が「小説ではネロは最後に死ぬが、米国ではそのままでは売れない」とコメントするなど、結構、物議を醸したようです。

   

 このほか、1935年の作品(エドワード・スローマン監督)についても、あるブログで紹介されていて、登場人物の名前が変わっている上、ストーリーは、祖父の死に打ちひしがれるネロを支えてほしいとマリヤ(アロア)から頼まれたピーター(原作やアニメで誰に当たるか不明)が、ネロの絵を見て才能に驚愕、絵を売ってもらい、自分の作品としてコンクールに出品して一等賞を獲得。やがてネロが真の作者だと判明し、高名な批評家がネロの将来を約束したことから、コーゲス(アロアの父ゴゼツ)はマリヤとネロの交際を許す――という分かりやすいハッピーエンド(http://ameblo.jp/wa500/entry-11019872395.html)。

 アメリカンドリームの国で、"負け犬" じゃ、お話にならないってことでしょうか。いやはや、何とも。

 「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」展(毎日新聞社など主催、21日まで)が開かれている東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムに、盲導犬普及のための「パトラッシュ基金」の募金箱が設置されています=写真㊤。パトラッシュはアニメ「フランダースの犬」の主役・ネロ少年の愛犬です。基金は2010年、同アニメを制作した日本アニメーション㈱が盲導犬の普及事業を支援しようと設立したもので、募金はNPO法人・全国盲導犬施設連合会を通じ、盲導犬の育成や訓練に役立てられるそうです。

 パトラッシュという名前、ルーベンスの愛犬の名を借りたものという説もあるそうですが、犬種は? アニメではセントバーナードのようにも見えますが、耳が立っている点が決定的に違います。

 英国の作家の原作は下のような挿絵=写真㊦㊧=とともに、「皮は黄色で、頭と手足は大きく、まっすぐに立ったおおかみのような耳」「四本の丈夫な黄褐色の足」などと描写していて、フランダース(フランドル)地方原産のブービエ・デ・フランドル(ブービエはフランス語で牛飼い犬)という毛むくじゃらの犬がモデルというのが定説(ブービエ・デ・フランダースとも言いますが、フランス語のブービエと英語のフランダースという発音が組み合わさっていて、本当は変です)。1998年のアメリカ映画「A dog of Flanders」も、この犬です=写真㊦㊨。レーガン元米大統領の愛犬がこの種で、黒っぽい毛並みが多いのですが、中には明るい褐色や白っぽいものもあるようです。

 

 1959年のアメリカ映画のパトラッシュはラブラドール・レトリバーのように見えます=写真㊦㊧。19世紀半ば~後半という物語の時代にベルギーにこの犬種がいたとは思えません。1935年のアメリカ映画は完全にシェパード=写真㊦㊨。パトラッシュはベルギー原産「ベルジアン・シェパード・ドッグ」との説もあるようです。

 よくわからないので、アニメを制作した日本アニメーションさんに問い合わせたら、次のような返答をいただきました。

 「作品を制作するにあたり、当時のスタッフがイメージをオリジナルで作成させていただきました。パトラッシュは正式な犬種ではございません。」

 まあ、可愛いからいいですよね。

 

 先日紹介したベルギー現地での物語の低い評価ともかかわりますが、単純に今の感覚で人間と犬の関係を理解しない方がいいのではないないかと思います。ブービエ・デ・フランドルは「牧畜犬、運搬犬としてまたバター製造の攪乳器を動かす為に使用されていた」(ジャパンケンネルクラブのサイト)ということです。話の中で、パトラッシュは強欲な金物屋にこき使われ、鞭打たれた挙句、働けなくなった瀕死の状態で捨てられたところをネロに救われ、回復すると、牛乳缶を積んだ荷車を曳いて恩返しします。「健気」が現代人の感覚ですが、物語の時代、犬が荷車を引くのは当たり前だったということも、押さえておきたいところ。「虐待」は論外ですが、時代の移ろいを含め、いろいろと考えさせられます。

130416スーチービル2.jpg 来日中のノーベル平和賞受賞者でミャンマーの野党、国民民主連盟議長のアウンサンスーチーさんが16日、東京・竹橋のパレスサイドビルに本社がある毎日新聞社を訪問し、大歓迎を受けました。毎日新聞が1995年からアウンサンスーチーさんの「ビルマからの手紙」を連載していることに対するお礼として訪れたのだそうです。

 アウンサンスーチーさんのこの日の装いは、民族衣装である紺色の上着に紺色に花柄をあしらったロンジー。ピンク色のストールをまとい、後ろに束ねた髪にはピンクのミニバラの髪飾りをつけていました。ミャンマーの女性は生花を髪に飾るのが好きで、正装では必ずと言っていいほど髪飾りの花をつけています。ただ、アウンサンスーチーさんの髪飾りには特別な思いがあるという話が伝わっています。

 アウンサンスーチーさんはイギリスのオックスフォード大学に留学中に知り合ったイギリス人男性と恋をし、結婚します。二人の子供も生まれ、イギリスで生活していたのですが、42歳の時にビルマにいた母親の危篤の報を受け、単身帰国しました。当時の軍事政権下でビルマに帰れば二度とイギリスに戻れないことを知った上でのことです。イギリス人男性の夫は何度もビルマ入国を求めましたが、軍事政権は認めませんでした。その後、イギリス人男性の夫は癌を患い、闘病生活を送っていたのですが、アウンサンスーチーさんがイギリスに行くことなく、二人が再開することなく1999年に亡くなったのです。

 アウンサンスーチーさんが髪に付けている花は、学生時代からイギリス人男性と誕生日に贈りあった品種だそうです。そして、それをつけることで民主化運動に弾圧を続ける軍事政権への抵抗の無言の証となっていたというのです。

 改めてアウンサンスーチーさんの髪飾りを見ると、来日した13日に成田空港に降り立った時は黄色いバラ、15日の京都と16日の皇太子殿下と面会、毎日新聞社訪問など昼間はピンクのバラ、16日夜の岸田外相との会談では黄色いバラでした。その時の服装は成田ではクリーム色の上着に茶色のストール、15日の京都ではピンクの上着にピンクのストール、16日夜は緑色のストールで、髪飾りとストールなどが見事にコーディネイトされていたのです。

 また、かつて撮られた写真を見ると、髪飾りは白いバラ、白と紫色のオーキッド、黄色いパダウなどいろいろな花を髪に飾っていました。

 こうなると、いったい夫と贈りあった品種は何なの?となりますが、お二人はいろんな品種を贈りあったのだろうと勝手に推測したくなります。でも、正解は二人だけの胸の中にあって、二人の誕生日の日に飾られる花がそれなのだろうと思われます。アウンサンスーチーさんの誕生日の写真が出たときには髪飾りにも注目してみてはいかがですか。

 東京・竹橋のパレスサイドビルのすぐ近くの北の丸公園の清水門を上がったところで、ハナミズキが白とピンク色の花を咲かせ、見ごろになっています。向かい合わせで立つ杖をついた吉田茂像が見事な咲きっぷりを鑑賞し、楽しんでいるようです。

 ハナミズキは今でこそ日本のいたるところで見られますが、もともとは北アメリカやメキシコ北東部に自生し、日本にはなかった植物です。外来種と言ってしまえばそれまでですが、日本に入ってきたのには桜と深いかかわりがあるのです。

 米国・ワシントンDCのポトマック河畔の桜は今や世界的な桜の名所になっていますが、約100年前の1912(明治45)年、時の東京市長だった尾崎幸雄が米大統領夫人のヘレン・タフトさんの要望で贈った3000本の苗木がもとになっています。その返礼として日本に贈られたのがハナミズキだったのです。1915(大正4)年のことでした。約40本の白い花が咲く苗木は日比谷公園や小石川植物園などに植えられました。2年後にはピンク色の花のハナミズキ13本と0.5キロほどの種も贈られ、育てられました。ハナミズキの花言葉は「返礼」「私の思いを受けてください」で日本から贈った桜に対してのお礼としては本当にふさわしい木なのですね。

 しかし、太平洋戦争が勃発するとハナミズキは敵国の花として冷遇され、終戦を迎えたころからは多くが忘れ去られていました。これに心を痛めたのが、朝日新聞のコラムニスト、荒垣秀雄さんで、荒垣さんは「天声人語」や週刊朝日で日本でのハナミズキの復興を訴えたのです。これに東京ロータリークラブが呼応して創立50周年プロジェクトとして日本国内でのハナミズキの植樹を決定、1971(昭和46)年、米国ペンシルベニア州のアーモードロータリークラブから苗木300本が送られてきました。新宿御苑に仮植後、1973(昭和48)年10月に北の丸公園に植え替られえたのです。その後皇居外苑や東京都立水元公園にも植えられ、各地のロータリークラブなどが植樹をして広がっていったのです。

 約100年前、日本に最初に入ってきたハナミズキの原木は、東京都世田谷区の都立園芸高校に2本、小石川植物園に1本残っているそうです。

 ところで、ハナミズキは日本にあったヤマボウシに似ていることから当初、アメリカヤマボウシと名付けられました。しかし、ミズキの仲間で花が目立つところからハナミズキに変わったのです。桜の返礼ということで、日本人の「花見好き」から来たのではなさそうです。

2013

15

4

八重桜

 NHK大河ドラマではありません。毎年、楽しみにしているサクラの季節のお気に入りスポット、馬事公苑(世田谷区上用賀2-1-1)を紹介します。14日に行ったら、ちょっと風は強かった中、学生の障害競走をやっていて、八重桜をバックに、見事に飛び越える馬の姿がグッドでした=写真㊤

 釈迦に説法ですが、八重桜という品種はなくて、あの、桜モチのようにボテッとした八重咲きになるサクラの総称なんですね。馬事公園にもいろんな種類があって、咲く時期も微妙にずれるようで、ソメイヨシノが咲く3月半ばから4月中下旬まで1カ月かそれ以上、いろんなサクラを楽しめるので、毎週行っても飽きません。

 で、馬事公苑の八重。全体に淡く紅紫であり、花の先端ほど色が濃くなるミクルマガエシ(御車返し)、大形の花が五輪ずつ群がって咲くゴショザクラ(御所桜)、濃い桜色で多いと花弁が50枚を超える大輪のカンザン(関山、セキヤマとも言う)、花弁が少しねじれるように曲がるフクロクジュ(福禄寿)等々。黄色がかったウコンザクラ(鬱金桜)なんていうのもあります。苑内には所々にサクラ並木のアーチがあり、馬車道も、馬車や馬が走らない時はのんびり歩けて、サイコーです=写真㊦

 馬事公苑では季節季節に、子供も楽しめるイベントがあるのも楽しみ。4月21日(日)には「馬に親しむ日」が開催され、体験乗馬・馬車試乗会のほか、曲乗りのような馬のアトラクション、厩舎見学ツアーなど盛りだくさん。詳しくはホームページ(http://www.jra.go.jp/bajikouen/index.html)をチェックしてくださいね。まだ八重桜も楽しめると思いますし、きれいな庭園などもあって、今ならフジのほか、ボタン、ヤマブキ、チューリップ、パンジーなどがいっぱいです。私は競馬をしませんが、その収益でこんな良い場所が運営されていることには感謝です。

 パレスサイドなど都心からは概ね1時間くらい。東急田園都市線・桜新町駅と小田急・経堂駅の中間あたりで、それぞれ徒歩だと15~20分かかるので、バスがお勧め。渋谷からの成城学園前駅行き、調布駅南口行き、祖師ヶ谷大蔵駅行きなど、いずれも農大前下車・徒歩2~3分です。

 東京・竹橋のパレスサイドビルから歩いて約20分のところにある千鳥ヶ淵とその周辺には貴重な自然が残っており、ヘイケボタルも棲んでいることは一昨日のこの欄で紹介しましたが、そればかりでなく国指定の天然記念物もあるのです。都会のど真ん中に天然記念物? と思われるかも知れませんが、江戸城跡の石垣の間にヒカリゴケが自生しているのです。1969(昭和44)年に近所の人によって見つけられ、都心に生育することはきわめて珍しいとして1972(昭和47)年に指定されました。

 ヒカリゴケは暗い洞窟などの中でエメラルド色に光って見えますが、自力で発光するのではなく、胞子が発芽してできる原糸体の球状のレンズ状細胞が、わずかな光を反射することによって暗い所hikarigoke.pngで輝いているように見えるのです。環境の変化に敏感で、わずかな変化でも枯死してしまうそうです。環境省レッドデータブックの「近い将来における野生での絶滅の危険性が高い」絶滅危惧I類に分類されています。

日本では北海道から本州の中部以北の地域に分布しますが、生育地のほとんどは国立公園内なのです。千鳥ヶ淵の石垣のほか、長野県佐久市岩田村、埼玉県吉見町の吉見百穴の計3か所の自生地が国の天然記念物に指定されています。

千鳥ヶ淵を管理する環境省皇居外苑管理事務所によりますと、千鳥ヶ淵のヒカリゴケは江戸城築城の際に運ばれてきた石垣用の大きな石にコケ自体か胞子がついていて育ったのか、ヒカリゴケの胞子がどこからか運ばれてきて石垣の間で自生したのか、はたまたいつごろから生えていたのか全く不明だということです。しかし、このほど公開された同省の「千鳥ヶ淵環境再生プラン」では「石垣等の史跡とともに生きてきた生物を環境とともに保護していきます」と記されています。このヒカリゴケはまだ一般公開できるほど強く、多くはありませんが、うまく育てば呼び物の一つになるかもしれませんね。

で、「皇居周辺」「石」「コケ」と聞くとなんとなく「君が代」の最終フレーズを連想し、「むすまで」となるコケはこのヒカリゴケを指すのかと想像したくなりますが、これはまったく関係ないようです。でも、ヒカリゴケといいヘイケボタルといい、皇居の周りには他所ではほとんど見られない貴重な"光る自然"が残っているのですね。

 東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開かれている「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」展(毎日新聞社など主催、21日まで期間中無休)では、音声ガイドを俳優の谷原章介さんが務めています。谷原さんのルーベンス展見聞特集が4月6日の毎日新聞に載っていて=写真㊤、ルーベンスに触れた記憶として、谷原さんも「フランダースの犬」を挙げていました。

 「フランダースの犬」の原作はイギリスの作家ウィーダが19世紀に書いた児童文学。日本では1908(明治41)年に翻訳されて初めて出版され、日本人になじみやすいよう、ネロは「清(きよし)」、パトラッシュは「斑(ぶち)」と日本名に変えられていました。時代ですね。以後、幾多の本、絵本が出されています。

 地元ベルギーでも出版されていますが、あまり有名ではなく、評価も日本とは対照的だそうです。「Excite News」(2007年5月10日)によると、「ベルギーの方たちは『子供一人を空腹で亡くすような残酷なことを私たちは決してしない』といった批判的な意見さえある」ということです。ネロが農場の旦那に娘のアロアと親しくすることを禁じられ、風車の火事で濡れ衣を着せられ、最後に旦那は落とした全財産の入った手提げをネロが拾って届けてくれたことから改心しますが、時すでに遅し......。そんなストーリーを、地元のフランダースの人々が面白く思わないのは理解できなくはありません。

 司馬遼太郎は「街道を行く35 オランダ紀行」で「フランダースの犬」を論じていて、大阪府立国際児童文学館の横川寿美子氏の「十五(歳)にもなっているのに、なぜ雄々しく自分の人生を切りひらこうとしなかったか」という分析を紹介しています。これも一つの見方です。ネロの年齢はアニメで10歳、原作は15歳。これが決定的な違いでしょう。

 ということで、現地にモニュメントのようなものはなかったのですが、日本人観光客が訪れては話題にしたからでしょうか、1986年に、物語の舞台とされるアントワープ近郊の村ホーボケンにネロとパトラッシュの銅像=写真㊦㊧=が建てられ、2003年にはアントワープ・ノートルダム大聖堂前の広場に日本語の記念碑=写真㊦㊨=が設置されました。なお、現地で「フランダースの犬」の物語の普及に尽力した人の取り組みなどを含め、この物語については、ベルギーの国際非営利団体「『フランダースの犬』情報センター」のサイト(http://www.a-dog-of-flanders.org/1-3-1.html)に詳しいです。

 

 東京・竹橋のパレスサイド近くの北の丸公園や千鳥ヶ淵は、桜の名所としてだけでなく水と緑豊かな自然を有する都心のオアシスにもなっていますが、環境省はこのほど千鳥ヶ淵とその周辺について皇居の森と一体となって多様な生物が棲める環境となるよう「千鳥ヶ淵環境再生プラン」を策定しました。

 千鳥ヶ淵をはじめ清水濠、平川濠、桜田濠、清水濠など皇居のお濠は近年、水質の悪化により大量のアオコが発生したのですが、日比谷に設置した水質浄化施設で浄化した水をお濠に流しているほか、東京都が雨天時の下水道の越流をお濠に流さないようにする対策を進め、同27年にはアオコの発生は解消される見込みとなったそうです。このことから、皇居外苑の象徴的なスポットである千鳥ヶ淵周辺から自然環境を再生して行こうというのです。

 注目されるのは、現在、田舎の方でしか見られない貴重な自然がこの都心に残っていること。特に、都会ではあまり見られなくなったヘイケボタルが千鳥ヶ淵の隣で、九段会館や旧千代田区役所庁舎と北の丸公園の間にある牛ケ淵に生息していることが分かった点です。

 ヘイケボタルは、ゲンジボタルとは違って清流にしかいないカワニナだけを餌にするのではなく、モノアライガイやタニシなど水田などにもいる巻貝も食べて育ちます。したがって幼虫は里山の流れの穏やかな小川や水田、湿地でも生息するのです。ただ、水田地帯などでは農薬の散布や家庭雑排水などの非常に汚れた水が流れて餌が無くなったり、川や水路がコンクリート化されて洪水時に幼虫が流されたりしたことから極端に減少したのです。heikehotaru.jpg

 山や高原、里山など自然を売り物にする地区などでは観光の目玉としてホタルを養殖して放しているところも少なくありませんが、牛ヶ淵のヘイケボタルはよそで生まれたものを持ってきて人為的に放したのではなく、正真正銘の"江戸っ子"。環境省皇居外苑管理事務所は「DNAでも南関東に生息していたホタルの子孫であることがわかっています」と話しています。

 同省はこの"純血"を守って今後も他で育ったヘイケボタルを入れずに残っている本籍・牛ヶ淵のヘイケボタルを大事に育てていくとしています。ただ、心配なのは年によって発生する数が不安定なこと。比較的多い年もあれば、見つけにくい年もあり、安定させるのが大きな課題だといいます。環境再生が軌道に乗ってヘイケボタルが増えていけば、他のお濠でも見られるようにしたいといい、何年か後には、皇居の周りでホタルが乱舞する風景が見られるかもしれません。

 ルーベンスといえば、「フランダースの家」を思い浮かべる人も多いでしょう。東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開かれている「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」展(毎日新聞社など主催、21日まで期間中無休)にも、所縁の「キリスト降架」の版画が展示されています=写真㊤

 「フランダースの家」の主人公は画家になることを夢見る15歳の少年ネロですが、クリスマス前日、絵画コンクールに落選。最終回で、食べるものもなく、希望を失ったネロが吹雪の中、アントワープ大聖堂に辿り着き、愛犬のパトラッシュとともに命の炎が燃え尽きんとするその瞬間、雲間から射した一筋の月光が差し込み、ネロはあこがれ続けたルーベンスの名画を見ることができて救われ、至福の思いを抱いたまま昇天する――このシーンで多くの人が泣いたことでしょう。

 大聖堂にはルーベンスの「キリスト昇架」=写真㊦㊧、「キリスト降架」=写真㊦㊨=が対であります。「降架」の版画は、絵画と左右反転ですね。

 

 ルーベンス展の会場で「フランダースの犬」関連グッズも販売していました。ねだられてマグネット=写真㊦=を買わせていただきました。

 白く細長い花を鈴なりに咲かせています。薄緑の花の根元から5つに分かれたメシベに、18本のオシベを持ったアメリカザイフリボク。東京・竹橋のパレスサイドビルのすぐ前にある皇居東御苑内、大手休憩所の東側で訪れる人たちの目を楽しませてくれています。

 漢字で書くと「亜米利加采振木」。「采」は30㎝ほどの長さの棒の先に紙や獣の毛をつけて細長く垂らしたもので、かつて戦場で武将が軍勢を指揮するためや鷹狩りの時に使った「采配」を意味し、花が「采配」を振った形に見えることからこの名が付けられたとのことです。

 花が終わると5月ごろから実が目立つようになり、サクランボのように赤くなった後、6月ごろには実は濃赤紫色になります。熟した実は食べられ、甘くておいしく、ジャムにしても人気があります6月に収穫することから、アメリカなどではジューンベリーとも呼ばれています。

 「アメリカ」がつかないただのザイフリボクというのもありますが、こちらは秋に青紫色の実になり、リンゴのような味がするという人もいます。花もよく似ていますが、花弁や花のつき方が、神社の縄や大相撲横綱の化粧まわしの綱、サカキの玉串などに白い和紙を切ったものを折ってぶら下げる四手(しで、紙垂)に似ていることから、シデザクラという別名があります。

桜とほぼ同じ時期に咲き、花も可愛いのですが、ザイフリボクたちは残念ながら花見をしたいと思うほどもてはやされません。でも、采配とか四手など昔からの有難いものにあやかった名前がつけられ、しかもおいしい実がなり、紅葉も美しいのでもっと注目されてもいいのではないでしょうかねえ。

 食通で知られる池波正太郎をして、「時の流れをとめてしまう」(著書「東京のうまいもの」から)と言わしめた「かんだやぶそば」の濃い口のそばつゆ。秘伝の「返し」は2月19日夜の火災で失われてしまいましたが、「一日も早い復活を...」と願うファンの声に押されて、いま再建計画が進められています。

 パレスサイドビルから歩いて15分ほど。神田淡路町の火災跡で建屋の解体が進んでいます。「かんだやぶそばを、ご愛顧いただき誠にありがとう存じます。この度の店舗火災につきましては、皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけいたし心よりお詫び申し上げます。3月21日より再生に向け、店舗解体に入りました。既存店舗は内部炎焼が激しいため、全面的に取り壊し新規に店舗を建築することとなりました。建築計画は現在白紙ですが、早期再開に向け全力で努力いたします。再開時期等決まり次第お知らせさせて頂きますので、今暫くお時間を頂戴したく存じます」という張り紙があります。

 「かんだやぶそば」は創業130年、「江戸三大蕎麦」の一つである藪系の本家にあたる店です。池波をはじめとする文人や落語家などが足しげく通った店として有名で、店に入ると名物女将が「いらっしゃ~~い!」と独特の節回しで客を迎えることでも知られています。

いまテレビで加山雄三さんの「若大将のゆうゆう散歩」が人気を呼んでいますが、その「若大将シリーズ」のロケにもお店は登場しました。映画「帰ってきた若大将」で、若大将の実家として、撮影が行われました。昨年5月に加山さんがお茶ノ水駅周辺を散歩した時にそのことが語られていました。

一日も早く復活して「いらっしゃ~~い!」の声に迎えられて、またあのそばを秘伝のつゆで味わってみたいですね。

 東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」展(毎日新聞社など主催)の続きです。前回(4月2日)、書けなかった「ヘクトルを打ち倒すアキレス」=写真㊤=です。一騎打ちはトロイ戦争のハイライト。まさにアキレスの剣がヘクトルを貫いた場面を描いた油彩下絵の最高傑作の一つとされる作品です。

 ルーベンスは、1630~35年頃に、8点からなる「アキレス連作」タペストリー(室内装飾用の織物)のためなど数多くの下絵を手がけています。通常、小サイズの荒い油彩スケッチで構想を示し、工房の助手たちが拡大して丹念に彩色したモデッロ(手本)を描き、それに基づいてタペストリーと同じ大きさのカルトン(厚紙に描かれた下絵)が制作されたそうですが、この作品では、最初のスケッチから大幅に変更が加えられ、また他のモデッロより質が際立って高いのが特徴。だから、大部分をルーベンスが描いのに違いないと考えられているのです。

 で、この絵をじーっと見ていて、なんか、違和感がありませんか? 分かりました。アキレスも、ヘクトルも、左利きなんです。古代は、左手が剣、右手が盾なのか......などと一瞬考えてしまいました。でも、映画「トロイ」のブラピたちは、右利きです=写真㊦。タペストリーの作り方は、イマイチ、よくわかりませんが、版画と同じように左右反転になるってことでしょう。下絵とはいえ、左右逆に描くのって、しっくりこないんじゃなか、などと余計なことを考えちゃいました。

21日まで期間中無休。当日券は大人1500円、大高生1000円、中小生700円。

 「春に三日の晴れ無し」ということわざ通り、このところ晴れて暖かい日があったと思うと、雨が降ったり曇ったりで、あいにくの天候が続いていますね。あいにくどころか、今年はまったくおかしな春になっています。最近の冷え込みで3月16日に開花した東京の桜は、2,3日の雨にもかかわらずまだ散らずに残っており、所によっては週末まで持ちそうな気配です。こんなに長く桜の花がもつのも珍しいとのことです。

 それも、3月から今月初めのおかしな気温の変化が影響しているのでしょう。気象庁のデータによりますと、桜の開花宣言が出される前日の3月15日までの10日間の平均気温の平均が12.58℃、最高気温の平均が18.33℃で、開花から満開の25日までの10日間は平均気温の平均こそ14.02℃とそれまでの10日間を上回っていたのですが最高気温の平均は17.78℃と下がっています。そして満開の翌日から4月2日までの8日間にいたっては平均気温の平均が10.86℃、最高気温の平均は14.13℃と開花前10日間に比べて平均気温で1.72℃、最高気温では4.3℃も低く、はるかに寒くなっています。まったく花見泣かせになっています。

 ところで、ウェザーニューズ社が3月下旬に実施した「全国お花見調査」(30,412人回答)の結果が新聞などで報道されましたが、日本人の平均お花見回数は1.6回。一番お花見時間が長いのは青森県の人で、平均3時間26分、次に長いのが大阪府の2時間51分、全国平均は2時間29分で、最も短かったのは沖縄県で1時間7分だそうです。そして一人当たりのお花見予算でもっとも高かったのがやはり青森県で、2,908円でした。青森県の人はお花見に予算も時間もかけてじっくり楽しんでいるのでしょう。全国平均は2,224円で最も安価なのは富山県の1,736円。お花見1時間当たりに換算して比較した場合、一番多いのが沖縄県の1729円で北海道の1,362円、三重県の1,082円が続きます。あまり時間をかけず充実した花見を楽しんでいるのでしょう。

 で、東京はというとお花見時間は2時間38分で全国10番目でしたが、一人あたりの予算は2,099円と全国で40番目。1時間当たりの予算となると797円と、宮崎県の789円に次ぎ47都道府県の中で下から2番目でした。東京人、江戸っ子は渋ちんなのか、あまりお金をかけずに花見を楽しむ落語「長屋の花見」の精神が生きているのでしょうか。

 週末は残り少ない桜を楽しむ最後のチャンスかもしれません。6,7日にはパレスサイドビル前に千代田さくら祭りの無料シャトルバスが停車して花見客の便をはかります。また、7日は日曜日ですが竹橋・パレスサイドビルは開館し、営業する飲食店もあります。ただ、天気が心配ではありますが...。

 週末、ルーベンスを見てきました。東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで4月21日(日)まで開催中の「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」展(毎日新聞社など主催)です=写真㊤は会場入り口付近。6カ国から集めた84点とは、よくも集めたもの。一生分のルーベンスを見た気分です。

 17世紀バロック絵画を代表する画家ペーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640年)は、フランダース(現ベルギー北部)のアントワープに育ち、23歳から8年間、イタリアで宮廷画家を務めた後、帰国してアントワープに工房を構え、「マリー・ド・メディシスの生涯」(ルーブル美術館蔵)など大作を次々と手がけました。1620年代からは外交官として、スペインとオランダの和平交渉にもあたったのも有名です。

 今回の目玉は自画像、そしてオオカミに育てられた双子の兄弟を描いた「ロムルスとレムスの発見」=写真㊦のチラシの絵=など(ロムルスとレムスは古代ローマを建国したとされています)。これら油彩のほとんどが本邦初公開だそうです。

nec250.jpg

 展示は、イタリア時代もさることながら、アントワープ工房の活動に焦点を当てていて、特に彼が直接指導して制作させた版画も目を引きます。画家と言うと、孤独な求道者というイメージを持ってしまいますが、ルーべンスは、ちょっと違うようですね。

 毎日新聞の特集記事などによると、当時、工房はヨーロッパで画家になるための入り口。授業料を払って技術を習得し、その後、助手として親方に雇われ、指示に従って絵を描くという仕組み。ルーベンスの工房が際立っていたのは、大作を引き受けるためにシステマチックにした点で、ルーベンスが小さな油彩スケッチを描き、依頼主のOKを得たら、その手本をもとに工房の助手が大画面に描き、最後にルーベンスが加筆して完成させたといいます。彼の工房は助手が少なくとも25人いた大所帯だったそうです(助手から独立した画家では、イングランドの上流階級の肖像画で知られるアンソニー・ヴァン・ダイクが出世頭か)。

 そんな工房の仕事ぶりがうかがえる展示があります。同じような版画が複数あり、ここの髪のボリュームをもっと膨らませ、こちらの体の影をもっと濃く、というように書き込みがあり、その通りに直した作品と比較できて面白いです。

 もう一つ、宗教画が中心だった中で、花が得意のブリューゲル、動物を得意としたスネイデルス、風景画のウィルデンスら、特定分野を上手に描く「専門画家」が登場し始めていたといい、ルーベンスは彼らとの共同制作にトライしています。例えばスネイデルスと共同で描いた「熊狩り」なども見どころですね。

 4月21日まで期間中無休。当日券は大人1500円、大高生1000円、中小生700円。その後、28日~6月16日・北九州市立美術館、6月29日~8月11日・新潟県立近代美術館でも開催。主要展示作品の画像や解説が主催者ページ(http://rubens2013.jp/index.html)でみられます。

 パレスサイドビルはもう初夏の装い――。東京・竹橋のパレスサイドビル地下1階、1階のアーケード街中央廊下に、初夏を彩る風物詩、鯉のぼりと武者のぼりが1日、お目見えし春休みに家族連れで訪れた人たちや館内のテナントで働くサラリーマン、OLの目を楽しませています。

 館内の飲食店や商店の有志で組織する「パレスサイドビル名店会」(会長・中島潜赤坂飯店社長)が、館内を利用する人たちに季節感あふれる日本の伝統的風習に触れてもらおうと、4年前から毎年この時期に展開しているものです。1階廊下の手すりや天井からは、吹き流し、真鯉、緋鯉、青鯉の鯉のぼりが吊るされ、中央廊下吹き抜け部分を泳ぐように飾られているほか、東西の夢の階段の上には、長さ7メートルもある武者のぼりが階段を上下する人たちを見守るように斜めに飾られています。武者のぼりの絵柄は上杉謙信と武田信玄が戦った川中島の合戦と、豊臣秀吉、加藤清正が中国地方で戦った合戦図の模様が描かれています。さらに、名店会加盟各店の入口では小さな鯉のぼりが見られいます。

 中央廊下の鯉のぼりや武者のぼりは、岐阜県の無形文化財に指定されています郡上八幡の紺屋、渡辺染物店、渡邊庄mushanobori1-3.jpg吉さんが430年前から郡上八幡に伝わる郡上本染の技法で染め抜いたもので、味わい深い色合いが魅力です。この郡上本染めは、餅糊で様々な柄や文様を手描きで描いた布を、甕(かめ)で藍玉や木炭、石灰、麩などを入れて醸成させた染液に何度も浸した上に、冬の時期に郡上八幡の中央を流れる吉田川でさらして作られたものです。

 鯉のぼり飾りは5月2日までの予定。5月1、2日には地下1階を通る人たちに先着順で菖蒲の葉のプレゼントする企画もあります。また、パレスサイドビルは日曜、祝日は閉館ですが、4月7日の日曜日は「千代田さくら祭り」に協賛して開館し、商店街の数店が営業します。この祭りに合わせて、6、7日には丸の内、大手町などをめぐる無料シャトルバスが神保町の古本屋街や九段下、竹橋にまでルートを延長、パレスサイドビル正面玄関前に「竹橋・毎日新聞社前」という臨時バス停ができ、約15分おきにシャトルバスバスが停まります。

竹橋ガイド

calender

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

April 2013

category

カテゴリ

月別アーカイブ

月別 アーカイブ

eBook

  • 江戸城散歩2008年3月、毎日新聞掲載
  • 江戸城今昔ものがたり
  • 東京・竹橋 花図鑑
  • 東京・竹橋 続花図鑑
  • 東京・竹橋 新緑図鑑
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 原始〜江戸時代初期
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 江戸時代前期〜現代
  • 東京・竹橋 国際図鑑
  • 東京・竹橋 アカデミー図鑑
  • 東京・竹橋 文学散歩
  • 東京・竹橋 紅葉図鑑
  • 東京・竹橋 歳時記
  • 東京・竹橋 さくら図鑑