東京・有楽町にあった東日会館(毎日新聞社の前身・東京日日新聞社のビル)の東日天文館に設置された東京で最初のプラネタリウムは、昭和13年11月の開館以来大評判となりました。同新聞社では、さらにプラネタリウムの評判を広めようと、オープンから約1か月の12月9日には「星月の歌」のタイトルの天体、特に星、月を賛美する歌詞の懸賞募集を始めました。
同日付の社告によりますと、「外国ではワグナーの名作『タンホイザー』のうち夕星のように世界に普(あまね)く愛吟されているものであり、或は国民的に、或は民族的詠唱歌として幾多の名歌佳曲が生まれているのである。然るにわが国においては未だ現代歌曲として一般に歌われるものが世に現れず、最も自然現象に敏感な現代日本人に雄大にしてしかも優美な天象の歌曲の乏しいことはむしろ不思議である。この企てによって一世を風靡する星、月の詩歌の出現を希望する」と説明しています。
募集したのは歌謡曲1曲、童謡1曲で、入選作の賞金は歌謡、童謡とも200円。童謡については賞金のほか所属校、団体に記念品を贈ることになっていました。あんぱん、鉛筆が5銭、そば10銭、米10キロ2円28銭――などの時代なので、懸賞金の200円というのは当時としてはかなり高額です。
で、懸賞には約5000通の応募があり、西條八十、佐藤惣之助、サトウハチロー、久米正雄、山田耕筰の5氏が審査に当たりました。
その結果、歌謡曲部門では熊本県の北里悦雄さん、童謡部門では東京・代沢小学校の目崎志真子さんの作品が入選と決まりました。これとは別に佳作として歌謡曲で5、童謡で2作品が選ばれました。
歌謡曲入選の北里さんの作品は4番まであり、
1) 幼きころよ「のの様」と
胸にいだかれ仰ぎたる
月の光の美しさ
未だうら若き母上の
月のおもわにほのぼのと
うかびいづるもなつかしや
2) 優しき月は母にして
星は小さきはらからと
語りたまひし母こひし
そのオリオンの三つ星に
つきぬ訓(おし)への真善美
高く今宵もかゞやけり
3)七ツの星はゆるぎなく
北に連なる銀の百合
めぐるみ空の春秋に
光正しく身にうけて
この世の旅をたどれよと
さとし給ひしそのみ声
4)おもひでつきぬ星月に
母の教へを道しるべ
智慧の高根を極めても
なほむらさきの雲のはて
神秘は深き大空に
永久(とわ)のひかりを仰げかし
というものです。
この作品は山田耕筰作曲、二葉あき子の歌で、「星月の歌(此の一篇を慈愛深き母に捧ぐ)」というタイトルのレコードとなって、1939(昭和14)年5月にコロンビアレコードから発売されました=写真、星の会・小川誠治さん提供。