【2013年2月】のアーカイブ

 東日本大震災から2年を迎えるのに合わせて、全国の文学館で共同展示「文学と天災地変」が一斉に開催されます。全国文学館協議会の主催で、共通のテーマを掲げた展示は初の試みとのこと。北は旭川市井上靖記念館「井上靖『小磐梯』の世界展」から南は熊本近代文学館 「3・11に向けて ことばと記録」まで39館が一斉に特設コーナーなどで展示します。多くは3月1~31日の期間ですが、既に展示を始めているところ、3月中旬で終了するところ、6月まで展示するところなど様々です(同協議会ホームページ「hthttp://www.bungakukan.or.jp/kyougikai/index.htm」、チラシ=写真㊤http://www.town.tsuwano.lg.jp/shisetsu/tirashi.pdf」参照)。

 趣意文によると、「被災地の復旧、復興のめども立っていないといっても言い過ぎではないでしょう。......この企画展に展示される多くの作品によって、被災者の方々に対する私たちの心情をお伝えし、さらに私たちの文明を考える機会とし、未来を創造する契機とすることを願っているのです」という狙いだそうです。

 このうち、被災県では、「郡山ゆかりの文学者が描く天災」(こおりやま文学の森資料館)「磐城七浜~豊穣と脅威の海」(いわき市立草野心平記念文学館)の2館が参加。まだ復興の道半ばということでしょう。その他のテーマをざっと眺めると、関東大震災や阪神・淡路大震災と作家や作品の関係を取り上げたものなどが目立ちます。

 都内では田端文士村記念館(帰宅)、荒川区日暮里図書館、日本近代文学館(目黒区)、三鷹市山本有三記念館、武者小路実篤記念館(調布市)、吉川英治記念館(青梅市)が参加しています。

 リストを眺めていると、好きな作家の記念館など盛りだくさん。鎌倉文学館や軽井沢高原文庫など、展示は別にしても、素晴らしい環境の中の古い建物などもありますから、もう少し暖かくなったら、行ってみたいですね。

 さて、この中で、個人的な作家の好みと、近さから、日暮里図書館の吉村昭コーナー」の「吉村昭『海の壁』と『関東大震災』」を紹介します(6月19日まで、原則として月曜休館)。

 吉村(1927~2006年)は日暮里に生まれ、1992年に荒川区区民栄誉賞が贈られたのを記念して「コーナー」が設けられたそうで、自筆原稿や草稿、愛用していた万年筆、眼鏡、サイン入り書籍、写真など寄贈された数多くの資料が常設展示されています=写真㊦、図書館ホームページより。

 吉村が太宰治賞を受賞した『星への旅』(文藝春秋、1968年)の舞台が三陸海岸だった縁で、その後も岩手県田野畑村を幾度も訪れ、土地の人に津波の歴史を聞き、丹念な調査に基づき「海の壁」(中公新書、1970年、後に「三陸海岸大津波」に改題)を執筆。73年には「関東大震災」(文藝春秋、1973年、菊池寛賞)も著わしています。

 今回は▽『海の壁』の書影▽『関東大震災』の原稿と講演会の直筆メモのパネル▽『大正大震災大火災』という書籍のパネル▽東日本大震災後に雑誌、新聞等で吉村が紹介された記事などを一覧できるパネルが見られるそうです。

 日暮里図書館はJR、京成本線の日暮里駅から徒歩10分、竹橋から日暮里は電車を乗り継いでも30分前後。平日は午後7時半まで開館。

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 まだまだ寒い日が続いていますが、明後日はもう弥生3月。花月、花見月、夢見月などとも呼ばれ、春に向かってグーンと暖かくなり、心も何となくウキウキする3月ですが、春霞が立つ日が多いため星を観察するには今一つすっきりしない季節でもあります。

 そのためか、東京で最初のプラネタリウムを備えた有楽町の東日天文館(毎日新聞社の前身、東京日日新聞社のビル・東日会館内)で1941(昭和16)年に発行されたパンフレットの天体解説は「南極の夜空」と、日本の夜空から離れたテーマでした。この号の解説は英文学者、随筆家とも知られ、冥王星の和訳命名者で、天文民俗学者の野尻抱影さんが書いたものです。

 プラネタリウムでは南極の1年の夜空を映し出して解説を進めていたようです。まずその序曲として、北極南極点飛行で有名な米国のリチャード・バード少将の探検紀行による3月4月の南極の夜空の紹介をしています。旧仮名遣いで書かれていますが、現在の文章にすると「4月19日、太陽は南極海の昼に告別するが、その前幾日かの間は、日一日と低く北西の地平伝いに交隣を転じている。物の色彩は次第に繊細に精巧になってくる。高い巻雲はまるで熱帯植物を思わせるような濃厚な色にひるがえる。黄、金、緑、淡紅、藍――その華やかさ目覚ましさは言語を絶して、しかも見ている間にも微妙な変化を続ける。空の上層は大胆な透徹した大西洋の藍色に染み、北と南の地平は薔薇色の霧に煙る。鯨湾の崖、岬、雪の尖った押し出しは長い影の畝を刻み、岸壁の上の窪々は、生き物のように腹這う光で輝いている。......」などと、当時の人たちに未知の大陸、南極の自然素晴らしさを訴え、本当に行ってみたくなるような表現で解説されています。

 そして、「夜が深く大きく流れ込んでくる。空には豪華な星座が輪を描いて廻り、オーロラが目まぐろたい(?本文のまま)舞踊(バレー)を展開し始める」と、オーロラの解説に入ります。「無限大のプリズムのo-rora.jpg色が、流れ、融け、滲み、そして美しい複雑な律動に分かれて、まるで昼が春恋としてでもいるようである。振り返ると自分の影が実に大きく長く曳いていて、人間のものとも思われない」としています。

 当時の日本人で実際にオーロラを見た人はほとんどおらず、プラネタリウムの映像を見たり、パンフレットの表紙の絵と天体解説で幻想的でロマンあふれるものと感じたことでしょう。

 このパンフレットはアマチュア天文家、小川誠治さんのコレクションの一つですが、小川さんはオーロラの美しさに魅せられ、自分がアラスカで撮影したオーロラの写真を送ってくれました=写真。実際にオーロラを見た人は世界観が変わるといいます。それだけ魅力的な天体ショーなのですね。

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 世の中、アベノミクスの株高で賑やかですが、古来、市場では時々の空気をどう読めば儲けるか、日々熾烈な頭脳戦が繰り広げられます。天変地異や戦争などは、中でも相場を大きく動かす極めつけの材料です。

 本日は1936年の2・26事件から77年。事件について当ブログで何回か書いてきました。昨年12月6日に、事件当日に山種証券(現在はSMBCフレンド証券)創業者の山崎種二(1893~1983年)が竹橋を通りがかったことを紹介し、1月10日に事件に伴う株暴落の話を書きましたが、今回はその続き。

 鹿島建設のホームページに、山崎が2・26事件で大儲けした逸話が紹介されています(http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki18/kobore18.html)。

 「(山崎は)226日朝7時過ぎに新築したばかりの麹町三番町の自宅で事件を知った。そこへ新潟の長距離電話が繋がったとの知らせが入る。当時長距離電話は事前申し込みが必要で、たまたま別件で前日に予約をしていた電話だった。新潟取引所の立会開始は東京より10分早い。事件の詳細は不明のまま、次々と成行(なりゆき)売注文を出した。......社に着いたのはいつもより遅かったが、まだ場は立っていなかった。東京の取引所では結局立会停止、各地の取引所も同時に立会停止となった。しかしこの時点で山崎が新潟で出していた巨大な売り注文は、取引が成立していた。株式市場の再開は事件から13日後の310日。売り一色の中、山崎は買いまくった......

 事件で株の暴落は必至と見て新潟で売りまくり、それ以前のカラ売り残も含め、取引再開後、株がショック状態でドーンと値下がりしたところを安値で買い戻し、さらに安く買いあさり、その後の相場の戻ったところで売り抜け、ガッポリ儲けたというわけです。

 実はこの時、山崎は苦境に陥っていました。前年、42歳で当時としては珍しい5階建て、花崗岩や大理石をふんだんに使い、東京でも2番目の自動エレベーターを備えた本社ビルを完工する一方、高級住宅地の麹町には総檜造りの豪邸を新築し、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。当時、山崎は「売り将軍」と呼ばれ、先行き値下がりすると見込んだ株を空売りする「売り方」に回っていたのですが、2・26の前年10月、イタリアがエチオピアに侵攻すると、相場は一段と高騰し、年が明けても騰勢は衰えず、「戦争は買い」と市場は強気一辺倒。巨大なカラ売りの残高を抱えた山崎は、追証(おいしょう=空売りするための証拠金が株価上昇で不足し、追加を求められる事)が発生して資金も尽き、ついに腹をくくり、カラ売りした分の買戻し(損切り)を覚悟した――まさにそのタイミングで2・26事件が起き、息を吹き返したわけです。このときの儲けは500万円にも達したといいます。今の価値では50億円を超えるでしょうか。あまりのタイミングのよさに「山崎は2・26事件を起こした反乱軍と内通していたのではないか」との疑いをかけられ、一時連行されたというおまけつきです。

 米問屋の丁稚から成りあがった山崎は伝説の相場師として有名で、このほかにも逸話に事欠きませんが、それはまた機会があれば書きましょう。(写真は自伝「そろばん」)

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 古書店をはじめ多くの書店が集まる本の街、神田神保町。この神田神保町で番地を頼りに目的の建物を探そうと思って歩いて苦労した人は少なくないと思います。

 同町には1~3丁目までありますが、番地は奇数が靖国通りを挟んで南側、偶数が北側にふられており、隣り合わせになっていないのです。番地が増えるにつれ、奇数偶数とも2番ずつ西側のブロックに移っていくのですが、丁境まで行くと奇数のブロックは南側に、偶数のブロックは北側に進んでいき、だんだんと離れていきます。そしてブロックの数は南側と北側では必ずしも同じでないので、番地が進んでいくと、一方が2番ずつ増えていくのに、他方は番地が無いということが起きています。

 例えば、神田神保町1丁目1番は三省堂があるブロックですが、2番は靖国通りを挟んで北側のマクドナルド神保町店のブロックとなり、3番はまた靖国通りの南側の書泉グランデ、4番が靖国通り北側の万年筆専門店・金ペン堂のブロックといった具合です。番地は順次西側に進み、9番、10番が神田神保町2丁目の境、神保町交差点になり、11番は9番のすぐ南側、12番は10番の北側に移り、今度は番地が増えるにつれて南北に分かれて東側に進みます。その後、丁境まで来るとさらに南北はわかれてきます。そして、靖国道理の南側の奇数番地は再開発ビルがある101,103,105番を除くと41番で終わりますが、北側の偶数番地は64番まであります。で、41番と42番は直線距離で400メートルも離れているのです。

 神田神保町2丁目も同様な感じで奇数番は岩波ホールがある1番から始まり23番で終わり、偶数番はセレクトイン・キムラヤ神保町店の2番から増えていって48番まであります。同3丁目も同じ番地のふり方ですが、こちらは偶数番が12番で終わり、南側の奇数番は29番まであります。

 このような番地の振り方は同町だけではありません。神田小川町1~3丁目も靖国通りを挟んで南が奇数、北が偶数ふられています。竹橋のパレスサイドビルすぐそばの神田錦町も1~3丁目ありますが、神田警察通りを挟んで南北で奇数と偶数番、神田駿河台は1,2丁目が明大通り、3,4丁目が本郷通りを挟んで東西に奇数後偶数に割り振られています。

 これらの町は、1962(昭和37)年に施行された「住居表示に関す神保町地図.jpgる法律」がまだ実施されず、昔の地番表示のままになっているからなのです。千代田区では1964年から順次各町で実施を始めたのですが、1980年の紀尾井町以降、住居表示が進まず、区全体で約26%は住居表示でないままになっています。実施していない町があるのは東京23区中7区で、同区では「各町内会をはじめ学識経験者や関係方面の方と協議しているのですが、なかなか進展は見られません。東京の中でも千代田区は遅れています」と話していました。

でも、最近はスマホやPCなどのインターネット地図検索で目的地を表示してくれるので、そんなに不便さを感じなくなってきているのかも知れませんね。

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 東京・竹橋のパレスサイドビル前にある皇居東御苑内、本丸緑の泉北側に植えられているアセビ、アケボノアセビがスズランの様な小さな花を数多くつけています。白い花がアセビ、ピンク色がアケボノアセビで、まだ緑も少なくさびしい春先に明るい彩をそえてくれています。

 アセビまたはアシビは漢字で書くと馬酔木。葉っぱに毒があり、馬が食べると酔ったようにふらふらになって苦しむというところから来たようです。鹿など葉っぱを食べる草食動物たちもそれを知っていて、他の木の葉を食べるためアセビだけが残って目立っているところも多いそうです。葉っぱを煎じて殺虫剤として使われたこともあるそうです。

 でも、喫茶店やカフェ、レストランなど飲食店で「馬酔木」という名がついて店も各地に結構あります。飲食の店でわざわざ毒がある植物の名前を付けるのはなぜ? という感じもしないでもありません。一つ一つの小さな花の可憐さと花が塊となって咲いた時の見事さに感じ入って付けられたのでしょうか。

 万葉集に、作者不詳ですが、

馬酔木なす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は のめどあかぬかも

という和歌があります。

 栄えたあなたが掘った井戸、石の井戸の水はでいくら飲んでもあきないものですね、という意味で高貴な人と、井戸を褒めたたえた歌です。「馬酔木なす」は栄えの枕詞で、アセビの白い花が下を向いて垂れ下がって咲く様子に稲に見立て、穀物の豊かな実りを保証し、繁栄を祝う意味もあるようです。

 正岡子規の後、写生を旨とする根岸短歌会が発行し、伊藤左千夫、長塚節らが編集者に名を連ねた短歌雑誌や水原秋桜子、山口青邨、石田波郷らの同人俳句雑誌にも「馬酔木」というのがあります。

花の見た目だけでなく万葉集で表現される「栄える」にあやかって付けられたのでしょう。

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 本の街と言えば神保町。ですが、神楽坂(新宿区)も「本の街」なんでだそうです。ということで、これをPRしようというイベント「レ・ラ・ド・ビブリオテック(Les rats de bibliotheque)」が24日まで開かれています。約60店舗・施設でのワークショップや本にちなんだオリジナル商品の販売など。竹橋から東西線で飯田橋か神楽坂へ2、3駅。今週末までなので、急ぎご紹介。

 「レ・ラ・ド・ビブリオテック」とは「図書館のねずみ」という意味のフランス語で、日本語で言えば「本の虫」にあたるとか。神楽坂はネコが多いことでも有名だからか、イベントのサブタイトルは「猫も歩けば本に中(あた)る」。

 神楽坂は夏目漱石や尾崎紅葉らが居住し、数多くの小説の舞台にもなるなど文豪と馴染みの深い街。出版社や印刷会社、編集プロダクションなども集まっています。でも、「花街」として有名過ぎるためか、「本の街」というイメージが認知されていないので、アピールしようってわけです。

 イベント参加店などを探すのは、写真㊤(イベントポスター)と同仕様の本を開いた形を縁取った共通用紙の右半分に、「本との関わり」を書き入れ、店頭に掲示するだけ。「ゆっくり本が読めるカフェ」ってな具合。これが目印です。

 主な企画は、革のブックカバー販売~京極夏彦の文庫本用ブックカバーあります(筑土八幡町の鮎藤革包堂)太宰治「斜陽」の初版などを手掛けた装丁画家・岡村夫二(ふじ)の装丁・原画展(3月3日まで、矢来町の光鱗亭ギャラリー)「猫と読書」 文庫本カバー販売(津久戸町のココットカフェ)神楽坂をお題にした古本市(横寺町のうす沢)小説の主人公が好みそうなカクテルをつくってもらおう(神楽坂3のバー六角堂)池波正太郎や向田邦子の本に出てきた料理を一部再現して提供する池波正太郎を喰らう(白銀町の旬菜料理 恒)校閲業務を紹介する校正とはなんぞや展(学校の作文やブログの記事など身近な文章の無料校正ほか=22日まで、矢来町の鴎来堂)アンティークの本、立ち読みできます(津久戸町のRoberts)、読書家で知られるオーナーの蔵書をオリジナルの紙製ブックカバーに包ね覆面古本プレゼント(箪笥町のキイトス茶房)など、それぞれ趣向を凝らしています。

 23日16~18時には、本に名刺を挟んで交換する「ブクブク交換会」が日本出版クラブ会館(袋町6番地)であります(e-hon主催、要予約=http://www1.e-hon.ne.jp/content/event_info.html#event03)。

 各企画の開催日、時間はまちまちなので、確認してくださいね。イベント全体の問い合わせ先は和食器の「うす沢」(03・5228・6758)へ。公式Facebook(https://www.facebook.com/Lesratsde?ref=stream)もあります。

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  アジア調査会(パレスサイドビル4階)主催の定期講演会が、帝国ホテルでこのほど開催されました。講師は前駐中国大使の丹羽宇一郎氏。尖閣列島問題で大揺れの日中関係の真っ只中にいた前大使の講演だけに、経済界、官界、政界などの多数の人が聞き入りました。

 2010年6月から2012年12月までの在任期間を振り返り、「中国の人たちの日本に対するわだかまりは100年消えないでしょう。日本人の対中観も同じかも知れない。しかし、若い人たちの交流を通じて、少しでも理解を深めあう努力はし続けなければならない」と述べました。そのうえで焦点の尖閣問題で「歴史的に見て領土問題の解決というのは極めて難しい。話し合いで解決する、領土を売買する、戦争をする、の3つの方法がある。しかし、話し合いで解決した例は皆無であり、売買もありえない。戦争は愚かなことだ。ならば、今できることは1つ。『お休み』をすることだ。危機管理について話し合う実に忙しい『お休み』をすることだ」と私見を披露されました。

 第55代首相の石橋湛山氏が切り開いた日中関係は1972年の田中角栄首相と周恩来首相の間で締結された日中友好条約で結実しました。第96代の現政権まで紆余曲折はありましたが、多くの人たちが努力して友好を少しずつ深めてきました。「その重い歴史を今の政治家や国民が壊していいのでしょうか。偶発的なところから始まる戦争をいかなることがあろうと回避しなければなりません」と力説していました。

 「中国も経済的に発展してきていますが、日本に追いつくことはありません。それは労働者の教育の問題につきます。日本製品の品質の高さ、安全性は、いまの中国の労働者には絶対にできませんし、まだその教育ができていません。日本も非正規社員に頼る生産体制を敷いていると、製品のクォリティが保てなくなる恐れがあります。それだけは油断してはいけません」と国内向けにも厳しい指摘がありました。

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 ズワイガニのことをいろいろと検索していたら、各地にカニをイメージしたご当地キャラがたくさんいるのを知りました。流行の「ゆるキャラ」ですね。ちょっと紹介します。

 とりあえず鳥取県。調べただけで4人(?)。それぞれ雰囲気が異なり、バラエティーに富んでいます。最初は、鳥取市と近隣4町で作る「鳥取・因幡観光ネットワーク協議会」の観光PRに活躍中のカニーラ=写真㊤、㊦㊨。元々は鳥取で2009年開催の「鳥取・因幡の祭典」マスコットキャラで、松葉ガニ+砂丘ラッキョウという鳥取名産品がモチーフ。相棒のナシータ=写真㊦㊧=と「イナバーズ」のコンビを組んでいます。ちなみに、どちらも性別は♂。

 続いてかに太郎=写真㊦㊧。2002年に「カニの街 境港」PRのため「境港カニ水揚げ日本一PR実行委員会」が発足し、「魚と妖怪のコラボ」を目指し水木しげるロード振興会からマスコットとして寄贈されたとか。恥ずかしがり屋ですぐ赤くなるのが特徴だそうです。

 ととリン=写真㊦㊥=は2011年秋に鳥取で開かれた第31回全国豊かな海づくり大会のマスコットといいますから、比較的ニューフェース。魚の「とと」と海の「マリン」から名付けたとのこと。チャームポイントは、つぶらな瞳だそうですが、それって、カニのかぶり物と顔と、どっちなんでしょう。「ゆるキャラ(R)カップ」第5回大会(2010年)で全国51のキャラが集まる中で総合優勝。もっとも、開催地は鳥取砂丘ですから、ちょっとお手盛りっぽいかも......。

 もう一人、ちょっと異質な美少女系がリトット=写真㊦㊨。鳥取県出身のイラストレーター、企画プロデューサーとして有名な赤井孝美(たかみ)さん=「帰ってきたウルトラマン」特技監督=がデザインした"本格派"だけに、ちょっとカワイ過ぎ? 髪がカニで、ハサミの付け根に巻いてあるのは白ネギ、ワンピースの黄色は砂丘など、鳥取の名産品や観光地を全身に盛り込んています。様々なイベントには、リトットに扮したコスプレーヤーも登場、昨年の「とっとりアニカル(アニメカーニバル)まつり」では「コスプレ参加は登録料1日300円(2日間通し500円)、更衣室の利用時間は10:00~16:00......」などの規制がされたほどで、地元では結構なスターらしいです。

  

 他県にも、いろんなキャラがいますが、続きはまた後日。

 カニの話を書いていると、食べたくなります。パレスサイドビルからも地下鉄などで簡単に行ける新橋駅近くの「食のみやこ鳥取県」(港区新橋2-19-4)という県のアンテナショップで産地直送の松葉がにの注文販売を受け付け。鳥取県物産協会のホームページ(http://tottori-bussan.or.jp/product/2012/06502.html)をはじめ、漁師さん自ら運営するサイトなど通販もいろいろあります。

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 爆発して、ロシア中部のチェリャビンスクに落下、大きな被害をもたらしたという隕石のニュースは先週末から大きな話題になっています。直径17㍍、1万㌧で秒速18㌔のスピードで大気圏に突入し、放出エネルギーは広島に投下された原爆の30倍以上といいますから、自然の驚異というか宇宙というは想像をはるかに超える規模なのだということを改めて思い知らされました。それがまた、天文ファンにとっては大きな魅力になっているのだと思います。

 今回の隕石の落下の映像はかなり多く撮られているようです。流星や彗星の映像は少なくありませんが、隕石落下の映像が撮影されたのは珍しいことです。特に明るい日中に写るというのは初めてではないでしょうか。その多くが車載カメラで撮られたものだとか。ロシアでは交通事故でもめるケースが多いため、その解決に車載カメラが威力を発揮するそうで、多くの車に搭載されているようです。今回の隕石落下の映像は、流星や彗星とともに全国のプラネタリウムで再現されるのではないでしょうか。

 1938(昭和13)年に東京で最初にプラネタリウムを備えた東日天文館(のちに毎日天文館、毎日新聞社の前身東京日日新聞社のビル、東日会館内)では、当時天文に興味を持っていた人たちで天文倶楽部を結成、天文学の専門家らを招いて講演会を行っていたようです。星の会の小川誠治さんが集めた貴重な史料の中には、「天体発見に就いて」「新星と太陽の爆発について」などと題した講演の詳録を掲載した冊子があります。また、天文同好会というのもあり、同様に講演があり、会報の付録として速記録が掲載されています。

 1943年11月に行われた同好会の講演は東京天文台技師で理学博士の神田茂氏が「流星の観測と研究」というテーマでした。流星は8月と11月ごろには比較的表れることや、流星群などについての解説を話しています。流星と隕石は起源が彗星と小惑星と違いますが、宇宙への興味は尽きないもので、講演会には多くの人たちが聴きに行ったと思われます。

 ただ、東日(毎日)天文倶楽部、毎日天文同好会についての史料は、小川さん収集の冊子以外ほとんど残っておらず、詳しくはよくわかっていません。講演会では、隕石が恐竜絶滅の原因になったことやアメリカアリゾナ州の直径1.5㌔、深さ170㍍のバリンジャー・クレーターが巨大隕石の落下でできたことなども語られていたのかもしれません。

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 先日の当ブログで冬の風物詩、ズワイガニの産地を証明するタグをいろいろ紹介した中に「とっとり(鳥取)松葉がに」のタグもありますが、何やら下に小さい文字。よく読むと、「キトサン入り因州和紙」とあります=写真㊤

 キトサンは、カニやエビの殼などから精製され、「コレステロールが高めの人に」と健康食品(特定保健用食品=トクホ)に使われるほか、化粧品、さらに素材として繊維やフィルムなど幅広い分野で使用されます。カニが多く上がる境港がキトサンの生産量日本一と聞きました。鳥取県特産の因州和紙を、このキトサンでコーティングしたこだわりのタグなんです。

 「因州和紙」とは、因幡紙(いなばのかみ)ともいわれ、因幡国(鳥取県東部)で、三椏(ミツマタ)や楮を原料に生産されてきた手漉き和紙です。県のホームページによると、起源は定かではありませんが、奈良時代の正倉院文書の中に、因幡の国で抄紙されたと推測される紙が保存され、平安時代の「延喜式」(えんぎしき=905~927年編纂)に因幡の国から朝廷に紙が献上されたという記録も。江戸時代には藩の御用紙として、また庶民の使う紙として盛んに生産され、明治時代に入ると、海外からの漂白技術導入などのおかげで生産が飛躍的に伸びたそうですが、戦後はコピー機等の台頭や生活様式の激変で事務用薄葉紙や障子紙等が壊滅酌な打撃を被ります。新製品として「画仙用紙」等の書遺用紙と工芸紙、染色紙を開発、特に手漉きの高級画仙用紙は現在日本一の生産量を誇っています。書き心地がよく、他の和紙で1枚書くうちに2枚書け、墨の減りも少ないことから「因州筆切れず」と言われ、全国で愛用されています。最近は、伝統的技術を基礎として、立休形状の紙や機能性和紙など新製品の開発にも取り組んでいるとか。

 「日本文化いろは事典」というサイトによると、紙を漉く技は、原料の液を簀桁(すげた)で汲み、揺り動かしながら繊維を絡め合わせ、何度も汲み上げることによって希望の厚さにします=写真㊦、鳥取県因州和紙協同組合のホームページより。画仙紙は全判1枚の重さが8匁(もんめ)5分(約31グラム)で、名工の漉いた紙は100枚が100枚、同じ重さで厚さにも差がないという神業だそうです。鳥取県農林水産部によると、東京では小津和紙(中央区日本橋本町3-6-2、http://www.ozuwashi.net/index.php)が因州和紙を多く取り扱っているとのこと。最寄駅は地下鉄日比谷線・小伝馬町、銀座線と半蔵門線・三越前など。パレスサイドビルの竹橋からもすぐです。

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  元毎日新聞記者で和歌山市長に転身した大橋建一さん(66)。毎日時代から「唄う新聞記者」として有名でしたが、今や「唄う市長」。2002年に市長に当選して3期目。2011年夏からは中核都市市長会会長としても活躍しています。毎日新聞時代は大阪本社やパレスサイドビルの東京本社で仕事をしていました。

 その大橋市長が「元記者市長の百歌自典」を出版しました。自身のホームページに連載している随想(本人は雑文と言っていますが)を本にまとめて2007年に出版した「元記者市長の雑学自典」に続く第2弾です。

 例えば「和歌山ブルース」について以下のように書いている。

 この歌を44年間唄い続けている古都清乃さんは群馬県太田市出身で、元々和歌山には無縁だった。1965年、18歳で作曲家・吉田正に弟子入りしてレコードデビュー、それから4年目の68年9月に8枚目のシングルとして「串本育ち」を出した。よくある話だが、「和歌山ブルース」(吉川静雄作詞、吉田正作曲)はそのB面で、最初は「串本育ち」の方が有名だったが、和歌山市を中心にじわじわと「和歌山ブルース」が浸透、発売から11年も後の1979年、九州で火がつき、大阪の」有線放送にリクエストが届き始め、ラジオ、テレビにも広まった。一説には、住友金属和歌山製鉄所には九州出身者の職員が多く、彼らがこの歌を覚え、里帰りして広めたといわれる。

また、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」。1978年にリリースされオリコン3位の大ヒット曲です。和歌山県串本町大島で1890年にオスマントルコの軍艦エルトゥールル号が台風で遭難、589人の死者、行方不明者が出ましたが、生存者69人を串本の人たちが命がけで救った話はトルコの教科書にも出ています。それが縁で和歌山とトルコは友好関係を築いてきましたが、トルコつながりで庄野真代さんは「熊野古道ランドマークソング奇跡の森」というアルバムを出し、08年には串本でコンサートを開いたそうです。

「明日があるさ」から「和歌山市歌」まで100の歌を50音順に並べてウンチクを傾けている「元記者市長の百歌自典」。発行所は有限会社アガサス(073-428-1010)、定価1500円です。

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  税金の確定申告のシーズンが近づいてきました。今年の確定申告受付は、2月18日(月)から3月15日(金)までですが、東京・竹橋のパレスサイドビル1階正面玄関脇のオープンスペースでは申告の方法や申告についての疑問などに答えようと、13日午前10時から麹町法人会第8地区会、東京税理士会麹町支部主催の無料税務相談会が開かれました。

  東京税理士会麹町支部の税理士さん4人と麹町税務署の担当官1人が相談に応じ、昨年中に2か所以上からの収入を得たり、20万円以上の講演料などの副収入があったなど確定申告が必要な人たちや、医療費などの各種の控除を受けようといった人たちが、税の申告でわからないことや疑問点、申告書の記入の仕方などを教わっていました。また、会場に設置した2台のパソコンを使っての電子申告の方法を税理士さんから聞いたり、代理申告を税理士さんに行ってもらうなどしていました。

 同支部によると、昨年は大きな税制改正はなく相談内容もそれほど大きな変化はなく、例年通り株で損した人たちからの相談や、生前贈与や相続税などについての質問が多いといいます。この日だけで約50人が相談に訪れました。14日も午前10時から午後4時まで同じ場所で開催されます。

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 先日の当ブログで、冬の味、ズワイガニが土地により、いろんな呼び方をされることを書きましたが、一般的には冬の日本海=「松葉がに」でしょうか。

 京都府のホームページによると、「松葉がに」という呼び名の由来は、細長くすらっとした脚の形や脚の筋肉が松葉のように見えるからという説や、漁師が浜で松葉を燃やして焼きガニを食べたという説などがあるものの、正確なところは分からないとのこと。別のサイトには「刺身を冷水につけると身が広がって松葉のようになるから」との説も載っていました。

 でも、学問的には、ちょっと紛らわしいんです。ズワイガニは学名Chionoecetes opilio、ケセンガニ科に分類され、山口県以北の日本海、茨城県からカナダまでの北太平洋、オホーツク海、ベーリング海に広く分布します。一方、本州中部以南にいるずんぐりしたマツバガニ(学名Hypothalassia armata、イソオウギガニ科)=写真㊤は大分県佐伯市で水揚げされたもの、wikipediaよりとは全くの別物。日本人の多くは「まつばがに」と聞いたらズワイガニを思い浮かべるでしょうか(ちなみに、ズワイガニと並び人気の高いタラバガニは脚が8本。10本の「カニ」ではなく「ヤドカリ」の仲間)

 ちょっとズワイカニの目利きのワンポイントレッスン。甲羅に黒いぶつぶつが着いているのをみたことはありませんか? これは「カニヒル」と呼ばれる海蛭の卵です=写真㊦。でもご心配なく。カニの体内に入ることはありません。それどころか地元では美味しいカニの目安になっているそうです。カニは脱皮を繰り返して大きくなるので、黒いつぶがびっしり甲羅にくっついているということは、脱皮してから充分成長していて、身もよく詰まって、みそも旨いというわけです。

 ズワイガニ漁は資源保護のため、省令によって海域ごとに解禁日がきめられ、新潟県以北の海域は雌雄ともに10月1日~翌年5月31日、富山県以西の海域は11月6日解禁で、雌ガニは翌年1月10日まで、雄ガニは3月20日まで。大きさの規制(雄の甲羅9センチ以上など)や海域による漁獲量の制限などもあります。

 解禁は地元には待ち遠しいもの。新聞も毎年、いろいろ工夫して記事にします。昨年11月の解禁日、毎日新聞の兵庫県・但馬版に、津居山港のカニ漁船同情したルポが乗っています=写真㊦。こんな記事に接して、捕る人の息遣いを感じながら味わうカニの味は、一段と美味しいような気がしませんか。

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 先日ありついた鳥取産の「松葉がに」。左の前脚というか、ハサミのある腕についている「とっとり松葉がに」のタグ=写真㊤=は甲羅の幅が11センチ以上のものしか付けられないそうです。もちろん、足折れや甲羅に傷があるなどはダメ。産地偽装を許さないブランドガニの"出生証明"です。

 タグの裏=写真㊦=には「鳥取港 第三生洋丸」の文字。タグには大概、漁船と所属港を書きます。鳥取と言えば全国漁獲量ランキング3位(2011年)、ベニズワイガニを含むカニ水揚げ日本一という境港じゃないのかって? もちろん「境港」のタグ入りもありますが、遠くまで長期間の漁に出る大型船が多く、大半は船上で冷凍にしてしまうとか。生ものなら小型船が近海で漁をする小さい港が狙い目という話も耳にします。

 鳥取だけではありません。各地に色とりどりのタグがあります。下の写真を順に見ていきましょう。まず、福井県は、黄色いタグの表に「越前ガニ」、裏に「越前港」「三国港」など。ちなみに「越前港」は越前町ですが、実際の港の名「小樟(ここのぎ)港」=写真①、「大樟(おこのぎ)港」と小さく入っています。これと別に、三国港で揚がる1.1キロ以上の皇室献上レベルのカニにだけにつける特別のタグもあるそうです。

ブランド名が統一されていなかった石川県は、石川県産ズワイガニ」などとしていましたが、県漁協が2006年11月、公募のうえ、加賀の「加」と能登の「能」を合わせた「加能ガニ」と定め、タグも青色の同デザインに統一=写真②

 京都は府が決めた緑色のタグ。表に「京都」の文字とカニの絵、裏は「舞鶴」「たいざガニ」=写真③、「網野」の3港と船名です。丹後沖20~30キロ程の近海に良質な漁場があり、日帰りで漁ができるため、新鮮なカニをいち早く水揚げして出荷できることで知られます。中でも"幻のカニ"とされるのが「たいざガニ」。間人(たいざ)の漁船は小さいうえに数隻という少数精鋭。冬の荒れた日本海では何日も漁ができない事もあり、安定した水揚げが確保できない半面、却って高級ブランドとして珍重されるようになったとか。

 お隣の兵庫はタグが統一されていません。京都府との境・津居山港の「津居山がに」は青色タグ=写真④、その西・柴山港の「柴山がに」が紫です=写真⑤(柴山はオレンジもあり)。さらに西隣・香住港の「香住がに」はズワイガニが緑=写真⑥、似た種類のベニズワイガニが白と、区別しているようですですが、緑でも漁船の大きさでタグの形を変えているとか。これらは京都府の「たいざガニ」と漁場は同じですが、津居山港は大きめの船もあるために水揚げが比較的安定しているとのことで、水揚げされると26段階にランク分けされ、漁師、仲買人の厳しい選別で認められたものだけがタグを付けられます。鳥取との県境の浜坂港の「浜坂ガニ」は水色のタグを付けています=写真⑦

 最後に、島年県・隠岐の島の隠岐松葉ガニは島周辺で籠(カゴ)を仕掛けて回収するので、他の産地に多い底曳網と比べ、脚折れなど傷みが少ないのが特徴とか。700g以上で身入りの良いものだけがタグを付けることができ、晴れて「隠岐松葉ガニ」=写真⑧=になります。

       

 北陸でカニを食べようと、パレスサイドビルがある都心から行くとしたら、羽田から小松などに飛ぶのが普通でしょうか。でも、2014年度中に北陸新幹線が開通し、東京から金沢まで2時間半(現在、在来線は3時間47分)で結ばれます。福井県・敦賀までの延伸工事(125キロ)も昨年夏に着工されました。開業見込みは2025年度末ごろと、まだ先ですが、少しずつ近くなりますネ。

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 冬です。カニです。食べましたか? 先日、都内某所で「松葉がに」にありつきました。山陰から北陸一帯のこの季節の名物ですが、いただいたのは鳥取県・鳥取港からの直送品=写真㊤。朝水揚げされた生のカニがその日のうちに東京に届けられ、サッと茹でただけ。何もつけずに頬張ると、ジワーと味が口いっぱいに広がります。臭みはまったくありません。「レモン醤油などをつけるのは、冷凍物の臭いをごまかすため」と、お店の人が話していました。

 「松葉がに」は成長した雄のズワイガニですが、呼び名は地域によっていろいろ。福井では「越前がに」、石川の加賀、能登地方では「加能がに」、京都でも丹後半島の間人(たいざ)漁港で水揚げされるものは「間人がに」など。兵庫の城崎温泉に近い津居山港、柴山港で水揚げされたものは、それぞれ「津居山がに」「柴山がに」のブランド化に躍起とか。「北海道松葉がに」という呼称も耳にするようになりました。タラバガニ、毛がになどが有名な北海道は、ズワイガニの売り込みにさほど熱心でなかったのが、水産業の景気が悪いため、最近は力を入れているのでしょう。

 これらの呼び名は、あくまで雄だけ。雌はセコガニ(福井、京都、兵庫、鳥取)、オヤガニ(鳥取)、コッペ(京都)、コウバコ(石川)などと呼ばれるそうです。雄は大きいもので甲幅(甲羅の幅)が15センチにもなる一方、メスは7~8センチどまりなので区別しているんですね。

 ズワイガニよりやや小ぶりで、よく似たベニズワイガニもあり、これと区別するため「本ズワイガニ」という言い方もします。「ベニ」の方が赤いのですが、茹でると同じような色で区別がつきにくいですね。一般に味は「ベニ」の方が水っぽいと言われますが、モノにより、鮮度により、一概には言えないかもしれません。

 全国の漁獲量は2011年度4717トン・95億円、府県別では①兵庫(1418トン・34億円)②鳥取(1119トン・20億円)③福井(607トン・15億円)のトップ3で約7割を占めます=上図、兵庫県・浜坂町漁協サイトより。

 書いていたら、また食べたくなっちゃいます。日本海方面でカニを食べられるツアーはパレスサイドビル地下1階の毎日旅行でも扱っています。「若狭お水送りと東大寺お水取り小浜・天橋立・伊根舟屋巡り」(2泊3日)なんていうのもあって、2日目昼食は天橋立で「カニ会席」だそうです。

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 東日天文館(東京・有楽町、毎日新聞の前身・東京日日新聞のビル東日会館内)の東京で初めてのプラネタリウムを広めようと、開館1か月後の1938(昭和13)年に東京日日新聞が全国で募集、翌年2月1日に発表された懸賞歌「星月の歌」の童謡部門で入選となったのは東京・代沢小5年の目崎志眞子さんの詞でした。

 歌謡曲部門で入選した北里悦雄さんの詞と同様に4番まであり、

1) 大きな大きなお月さま

  ぢっとみてるとお父様の

  まるいおかほを思ひ出す

  強い良い子になるやうに

  遠いお国でおたよりを

  わたしに書いているのでせう

2) きれいなきれいな三日月を

      見上げる度に母さまの

      やさしいまゆを思ひ出す

      でんでん太鼓の子守うた

      きいて眠った遠い日の

      三日月さまよどこにゐる

3) かはいゝかはいゝお星さま

  お嫁に行った姉さまの

  ちらちらかんざし思ひ出す

  織姫様もあのやうな 

  花嫁すがたで天の河

  渡って行かれたことでせう

4)ぽっかり浮かんだ白い雲

  お月さんどこかへかくれんぼ

  お目めパチパチお星さま

  とろりとろりこおねむでせう

  坊やもいっしょに、ゆめのくに

  おやすみなさい、さやうなら

 

 というものです。この詞も北里さんの歌謡曲と同様、山田耕筰が曲をつけ、飯田ふさ江の歌でレコードとなり、1939(昭和14)年5月にコロンビアレコードから発売されました。

 一方、歌謡曲部門で佳作になった東京の小杉重夫さんの詞は古関裕而作曲でミス・コロムビア歌って、同様にレコードとして出されていたのです。

 入選発表を報じた同年2月2日付の東京日日新聞には「目崎さんの作品は実にあどけなく、可愛らしさと純真さにあふれている。それに偉い先生達の真似をしないで、オリジナリティがある点に値打ちがあると思います」という審査員、サトウ・八ローの談話が掲載されています。

 ところで、「星月の歌」がレコードになった年と同じ1939年の10月には東京日日新聞の飛行機、ニッポン号が世界1周の大飛行記録を成し遂げました。同社はこの快挙とプラネタリウムをおおいにPR。東日会館を真ん中にニッポン号とプラネタリウムを描いたカラー絵葉書=写真、星の会、小川誠治さん提供=として東日天文館などで売っていました。

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 東京・有楽町にあった東日会館(毎日新聞社の前身・東京日日新聞社のビル)の東日天文館に設置された東京で最初のプラネタリウムは、昭和13年11月の開館以来大評判となりました。同新聞社では、さらにプラネタリウムの評判を広めようと、オープンから約1か月の12月9日には「星月の歌」のタイトルの天体、特に星、月を賛美する歌詞の懸賞募集を始めました。

 同日付の社告によりますと、「外国ではワグナーの名作『タンホイザー』のうち夕星のように世界に普(あまね)く愛吟されているものであり、或は国民的に、或は民族的詠唱歌として幾多の名歌佳曲が生まれているのである。然るにわが国においては未だ現代歌曲として一般に歌われるものが世に現れず、最も自然現象に敏感な現代日本人に雄大にしてしかも優美な天象の歌曲の乏しいことはむしろ不思議である。この企てによって一世を風靡する星、月の詩歌の出現を希望する」と説明しています。

 募集したのは歌謡曲1曲、童謡1曲で、入選作の賞金は歌謡、童謡とも200円。童謡については賞金のほか所属校、団体に記念品を贈ることになっていました。あんぱん、鉛筆が5銭、そば10銭、米10キロ2円28銭――などの時代なので、懸賞金の200円というのは当時としてはかなり高額です。

 で、懸賞には約5000通の応募があり、西條八十、佐藤惣之助、サトウハチロー、久米正雄、山田耕筰の5氏が審査に当たりました。

 その結果、歌謡曲部門では熊本県の北里悦雄さん、童謡部門では東京・代沢小学校の目崎志真子さんの作品が入選と決まりました。これとは別に佳作として歌謡曲で5、童謡で2作品が選ばれました。

 歌謡曲入選の北里さんの作品は4番まであり、 

1) 幼きころよ「のの様」と

  胸にいだかれ仰ぎたる

  月の光の美しさ

  未だうら若き母上の

  月のおもわにほのぼのと

  うかびいづるもなつかしや

2) 優しき月は母にして

  星は小さきはらからと

  語りたまひし母こひし

  そのオリオンの三つ星に

  つきぬ訓(おし)への真善美

  高く今宵もかゞやけり

3)七ツの星はゆるぎなく

  北に連なる銀の百合

  めぐるみ空の春秋に

  光正しく身にうけて

  この世の旅をたどれよと

  さとし給ひしそのみ声

4)おもひでつきぬ星月に

  母の教へを道しるべ

  智慧の高根を極めても

  なほむらさきの雲のはて

  神秘は深き大空に

  永久(とわ)のひかりを仰げかし

 というものです。

 この作品は山田耕筰作曲、二葉あき子の歌で、「星月の歌(此の一篇を慈愛深き母に捧ぐ)」というタイトルのレコードとなって、1939(昭和14)年5月にコロンビアレコードから発売されました=写真、星の会・小川誠治さん提供。

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  「冬来りなば春遠からじ」といいますが、冷たい風が和らぐ日も多くなってきました。立春を前に春の足音が遠くの方から聞こえてくるような気もします。

 いま全国の鞄メーカーでは、ランドセルの製作のラストスパートです。新入学を控えた子供たちは大張りきり、親御さんは「ここまで育ってくれたか」と感慨に浸る季節かもしれません。

 老舗の土屋鞄製造所はお祝いののし紙を思わせる段ボールにランドセルを入れて宅配便で新入生の家庭にランドセルを送り届けています。そこには「丈夫で綺麗なランドセルが仕上がるよう、大きなミシン、たくさんの工具たちと一緒に、職人たちが丁寧に大切に作りました。『なんだかランドセルが小さくなったみたい...』、そんな風に感じる6年生最後の日までどうぞよろしくお願いします」というメッセージが添えられています。頑固そうなオジサン職人のやさしいまなざしが感じられます。

 ランドセルの語源は江戸時代末期にさかのぼるといわれています。いまNHKドラマ「八重の桜」でもご覧の通り、幕府も諸藩も洋式軍隊を作ろうと躍起になっていました。さまざまな携行物を兵隊さんが担ぐ背嚢が「ランセル」とか「ラヌセル」(ransel)と呼ばれていました。当時の西洋文明と言えば蘭学です。つまりはオランダ語です。それがなまって「ランドセル」になったといわれています。

 孤児院「ちびっこハウス」出身のタイガーマスクこと伊達直人さんが、全国いろいろなところの児童養護施設にランドセルを寄贈して話題になりました。タイガーマスク運動と言われています。もちろん伊達直人さんは一人ではありません。あなたの隣のAさんがマスクをかぶればタイガーマスク、マスクを取れば伊達直人さんに変身することでしょう。

 「いちねんせいになったら、ともだちひゃくにんできるかな」の歌声とともに、ランドセルたちが入学式を待っています。

 パレスサイドビル近くの北の丸公園の武道館でも、3月は卒業式、4月は入学式のラッシュです。春が待ち遠しいですね。

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 上の写真を添付した「友人の友人」のFacebookの書込みを、友人がシェアしたのを知りました。1日1%(0.01)ずつ努力を重ねると1年365日で1が約37.8になる(1.01の365乗)一方、0.01サボると1年で0.03になる(0.99の365乗)という計算。日々の積み重ねの大切さを分かりやすく説く話っていうわけです。(表題はGoogleの電卓機能を使った計算式で、0.99の方は「0.99^365 = 0.0255179645」)

 友人のFacebookには「なるほど~、おもしろいですね。自戒を込めて、シェアさせていただきます。」とのコメント。元の「友人の友人」の書込みに「勝山小学校の校長室にて。」とありました。(勝山小は、別のブログで「長崎市立」と書く人もいますが、長崎は統廃合で今はなく、ネットで検索すると前橋市、大阪市、千葉県鋸南町にあります。書きこんだ「友人の友人」が千葉県在住なので鋸南町のようです)

 元の書込みは1月21日にされていて、2日1日正午時点でこの写真をシェアしたのが9000件近くで、今も増え続けています。顔の広い人なのでしょうが、それにしても凄い。コメントを読むと「素晴らしい!!」「数値化すると、はっきり分かりますね!」「たった0.02の違いが一年でこの差!」など評価、評価、また評価の声。この法則、日本人の勤勉さや向上心を裏付けているようにも思います。さらにググってみても、いろんなブログやホームページに出てくる出てくる。パレスサイドビルに本社を置くマイナビのサイトの「マイナビニュース」でもこの法則を紹介する記事があって、「この言葉に、多くのビジネスマンが感銘を受け、モチベーションを上げている。そして、これは美容にも言えることだ。......毎日たった0.01でも努力の積み重ねをしていけば、十分効果的なアンチエイジングになる」とあります(http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/tokyodokujo/2013/01/001101099.html=「東京独女スタイル」から転載)。

 この記事などによると、「法則」の出どころは、楽天の三木谷浩史社長の「成功のコンセプト~Principles for Success」(2009年12月、幻冬舎文庫)とのこと。彼のオリジナルなのか、さらに原典があるのかは分かりません。

 ネット上では批判的な声もあって、結構面白いです。「積み重ねという言葉から、なぜ乗ずるのか。加算ならまだしも」「もし1日でもさぼった場合、0がかけられて0になり、コツコツした努力も水の泡です」「努力したらステージが上がって優秀な奴ばかりのその中でまた努力しなきゃならないから無限地獄ってこと」「1日1歩、3日で3歩、3歩進んで2歩下がる、のが人生の真理」「言いたいことはわかるが、うまいことを言おうとしてる感が臭すぎ」といった具合。個人的には1日0.01ずつ足し上げても1年で4.65(元の1+0.01×365)だから、これでも私にはとても無理。この手の数字は喩(たとえ)ですから、突っ込めばキリがないですけどね。

 この「法則」でもう一つ面白いと思うのは、「小学校の校長室のステッカー」の写真が広がっていること。我流に解釈すれば、経営者(それもハーバードビジネススクール出身の日本でも有数のモーレツ経営者)の教訓話としてではなく、教育の場の話題だから、世間の抵抗感が薄くてワーッと広がっている面もあるんじゃないでしょうか。

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