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ぶらパレス 2・26事件PART3

 竹橋を含む皇居一体、日本の中枢をマヒさせた2・26。この事件を毎日新聞の前身の東京日日新聞(1872年=明5年創刊)と大阪毎日新聞(1876年=明9年創刊)がどう伝えたか。その続きです。

 これだけの大事件ですが、関係記事は主に1面、2面、社会面及び経済面に関連記事と、案外あっさりです。もっとも、朝刊が8~14ページ、夕刊が4~8ページと今より少ないので、そこそこの紙面を割いていたとも言えますが......。

 先日紹介した事件と政局の推移は本筋の話で、主に1面で報じられますが、関連するサイド記事を社会面などでいかに読者に「読ませる」か、各紙腕を競ったはずです。

 まず、目を引くのが事件で殉職した5警察官に関する記事。首相官邸で4人、前内務大臣宿舎で1人が亡くなりました。3月1日朝刊1面で第一報が伝えられ、2日朝刊社会面は上3分の1ほどをこの記事で埋め、「首相官邸護衛の任に当たった四警官が岡田さんの奇跡的生存の事実を知ったならば定めし地下に奉公の仕甲斐のあったことを喜ぶであろう」と書きました=写真㊤。5警官には弔慰金が集まり、そのことが「悲壮な警察精神に挙国的な感激高潮」(3日朝刊)などと報じられると、さらに弔慰金が集まる、といった具合で、「遺族へ集る旋風的同情 忽ち三千円」(3日夕刊)、「義金 遂に十万円突破」(8日朝刊)と広がりました。「感激高潮」「旋風的同情」......ウーン、表現がすごい!!

 岡田啓介首相の身代わりになって死亡した義兄の松尾伝蔵大佐も2日朝刊社会面で5警官とともに人となりが詳報され、「剛直、人情に厚く宛(さなが)らの古武士」と賛辞で埋まりました。岡田首相脱出劇も関心を集めたのでしょう。7日朝刊で「岡田首相脱出秘聞 その機略と沈勇 決死三憲兵の殊勲」と見出しが躍り、記事本文は「......『死体安置の間は憲兵に任して貰ひたい』と提言し、占拠部隊を室外に出し、数分間の隙に岡田首相を弔問客の一人のやうに変装(モーニング、マスク、ロイド眼鏡)せしめたものであった......機を捉へて五重の警戒陣を隼のごとく突破し......」と、どこか講談調です=写真㊦㊧

 もうひとつ、「美談」として大きく報じられたのが警視庁の交換手。桜田門にある警視庁は反乱軍支配地域になったため、神田錦町警察署に「非常警備司令部」を設け、一般の治安維持に当たりました。警察の電話の中枢機能は移せませんから、警視庁でやるしかないというわけで、「不安な空気の中で電話線を死守 警視庁の交換嬢」(5日朝刊=写真㊦㊨)となりました。「嬢」とはレトロな響きですが、反乱軍の監視下、「はい」以外に言葉を発してはならないという命令を受けながら、事件から32時間にわたり業務を続けたことが写真付きで大きく報じられています。

 

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