【2012年12月25日】のアーカイブ

 1936(昭和11)年の2・26事件を契機に加速した軍国主義。財政面でも、事件が転換点になりました。

 東京日日新聞(毎日新聞の前身)の紙面を追うと、事件が一段落ついて広田弘毅内閣誕生に合わせて「増税」の見出しが連日のように紙面に登場します。岡田内閣の高橋是清蔵相が2・26事件で暗殺されたことの帰結でした。

 高橋と言えば、思いきったリフレ政策、つまりお札をバンバン刷って世界恐慌のデフレから日本経済を脱出させたことで有名ですが、岡田内閣ではデフレ退治の反動で、逆にインフレの恐れが高まったとして緊縮路線を進め、軍事予算の縮小を図りました。これが軍部の反感を買っていたのです。

 広田内閣で蔵相に就いたのは馬場鍈一という人です。大蔵官僚から政界に転じた人ですが、あまり知られていませんね。

 3月6日朝刊は馬場蔵相就任の見通しになったことを受け、「増税は必至 高橋財政の修正不可避」との見出しの記事を掲載し、「四囲の情勢は高橋財政に若干の修正を加へざるを得ぬものがあり」として、外国の軍備拡張、北支の新情勢展開、ソヴィエトの極東政策等に対応するため、財政の膨張は必至で、「財源を増税乃至新税に求める以外公債の増発によらんとするは当然」と論じます=写真㊦。そして、内閣発足を報じた10日朝刊トップ記事では「国費累増は不可避 財政の基礎確立肝要」の活字が躍り、財政拡大を謳った馬場蔵相の談話を伝えています=写真㊤。6日朝刊では、馬場について「勧銀(日本勧業銀行)総裁の地位にあってよく農村の実情を理解し......農民同情者とさへいはれてゐるから現下の疲弊せる農村更生の上には相当程度の予算も獲得出来るものと期待されてゐる」と、農村理解者の一面を紹介しています。

 ちなみに、馬場蔵相は歳出を前年度比34%増、軍事費を同33%増、公債発行を同41%増という大盤振る舞いの37年度予算案を編成したそうです。広田内閣が37年1月に総辞職し、この予算案自体は日の目を見ず、馬場自身もその後、病に倒れて37年末に他界します。」

 いずれにせよ、2・26事件を境に歯止めを失った財政は、中国から太平洋へと戦線が拡大するのに引っ張られて拡大を続け、戦後の超インフレにつながります。

竹橋ガイド

calender

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

December 2012

category

カテゴリ

月別アーカイブ

月別 アーカイブ

eBook

  • 江戸城散歩2008年3月、毎日新聞掲載
  • 江戸城今昔ものがたり
  • 東京・竹橋 花図鑑
  • 東京・竹橋 続花図鑑
  • 東京・竹橋 新緑図鑑
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 原始〜江戸時代初期
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 江戸時代前期〜現代
  • 東京・竹橋 国際図鑑
  • 東京・竹橋 アカデミー図鑑
  • 東京・竹橋 文学散歩
  • 東京・竹橋 紅葉図鑑
  • 東京・竹橋 歳時記
  • 東京・竹橋 さくら図鑑