【2012年11月16日】のアーカイブ

  1878(明治11)年に近衛砲兵第1大隊の兵260余名が反乱を起こした「竹橋事件」では、竹橋の営所から直線距離300400メートルの清水門前にあった大隈重信参議18381922年)=写真=の邸宅が砲撃を受けたことは、以前に紹介しました。反乱の直接の引き金が、前年の西南戦争での行賞への不満で、大隈が行賞をケチった張本人として標的にされたのでした。

竹橋交差点から専大前交差点に向かってすぐのところに雉子(きじ)橋がかかります。今は30メートル以上の長さですが、江戸時代は、共立大の前の小さい橋だったようです。そこから皇居側の清水堀の手前、今の自動車ディーラーの辺りに雉子橋御門がありました。大隈邸は、ここから清水門前付近まで、現在は九段合同庁舎、東京法務局、千代田区役所になっている一帯を占める大邸宅でした。大隈がこの地に住んだのは1876(明治9)~84年の8年足らずですが、この間、81年の下野(明治14年の政変)を経て8210月には東京専門学校(現早稲田大学)を開いています。

邸宅の用地はその後、フランス公使館、憲兵練習場などになり、1935(昭和10)年に国営竹平住宅(憲兵隊宿舎、後に公務員宿舎)が建てられ、2001(平成13)年から解体された後、2007年に地上23階建ての区役所が完成したのです。

 1019日の当ブログで、竹橋事件を描いた作家の澤地久枝さんが、反乱兵士たち鎮魂の碑(青山墓地)に「自由民権運動につながる志向も、兵士たちをささえる火であったと思われる」と書いていることを紹介しました。その兵士たちが砲弾を撃ち込んだのが、立憲改進党を設立した自由民権運動の旗頭の一人である大隈の邸宅だったのは、歴史の皮肉な巡り合わせです。

竹橋ガイド

calender

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

November 2012

category

カテゴリ

月別アーカイブ

月別 アーカイブ

eBook

  • 江戸城散歩2008年3月、毎日新聞掲載
  • 江戸城今昔ものがたり
  • 東京・竹橋 花図鑑
  • 東京・竹橋 続花図鑑
  • 東京・竹橋 新緑図鑑
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 原始〜江戸時代初期
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 江戸時代前期〜現代
  • 東京・竹橋 国際図鑑
  • 東京・竹橋 アカデミー図鑑
  • 東京・竹橋 文学散歩
  • 東京・竹橋 紅葉図鑑
  • 東京・竹橋 歳時記
  • 東京・竹橋 さくら図鑑