【2012年11月 8日】のアーカイブ

 11月8日は「ふいご(鞴)祭り」の日です。毎年、ふいごゆかりの神社やスポットで、それぞれの儀式が行われました。

 「ふいご」と言っても、ふいごそのものを知っているのは結構年配の人ですね。鍛冶屋で鉄、金属を加工する際に、炭や石炭の火の温度を高くするために使った道具で、今風にいうと人力強制送風装置とでもいうのでしょうか。タヌキや羊の革で作った袋を膨らませたり、しぼめたりして空気を送るようにしたものから大きな箱で手押しポンプのようにして風を送るものまで大小さまざまありました。

 祭りは、鍛冶屋や鋳物屋、風呂屋など火を扱う職人や商売の人たちは仕事を休んで稲荷神社に詣でた後、お札を仕事場に貼り、ふいごを清めてお神酒や餅を備えて商売繁盛と一年の無事を祈願したものです。そのあとミカンを参列者や近所の子供らにふるまったのです。ふいご祭りのミカンを食べると風やはしかにならないといわれていたため子供たちは競ってミカンもらいに行ったようです。江戸でのこの風習に目を付けたのが紀伊国屋文左衛門です。文左衛門は嵐をおして紀州から船で特産のミカンを江戸に運び、大儲けをしたということです。

ふいご祭りの起こりについてはいくつか説があるようです。その一つは、神武天皇説です。神武天皇が高千穂の峰から東にいる多くの敵を平定しようと太陽に向かって祈りました。そこへ飛んできたカラス(八咫カラス?)の案内に従って東方に出陣すると、多くの陪臣たちがはせ参じて来ました。神武天皇は陪臣の中から天津麻羅という鍛冶師に、剣一千振り、斧一千振りを作るように命じると、またカラスが丸鎖をくわえて飛んで来ました。神武天皇がこれを天津麻羅に与えると、天からふいごなどが降ってきたのです。その日が11月8日だったということです。天津麻羅は早速、鍛冶場を剣、斧矛など命じられたものすべてを作り献上しました。神武天皇は天津麻羅を鍛冶の庄として天国の名を与え、以後11月8日を鍛冶職のふいご祭りとしていわうようになったということです。

これとは別に、鍛冶屋がふいごに男をかくまったという説もあります。11月8日に仕事を休んでいると、凶状持ちとも思われる男が鍛冶場に飛び込んできました。追われているのでかくまって欲しいと頼まれたため、大きなふいごの中に入れて隠したのです。そしてそのふいごにしめ縄を張りお神酒、灯明をかざしていると大勢の追手がやってきました。追手たちはふいごの中まで捜そうとしましたが、鍛冶屋は「今日はふいご祭りである。中を改めたいのなら明日まで待って欲しい」とかわしました。追手が帰った後ふいごの中を見ると男の姿はありませんでした。その後、その鍛冶屋は繁盛し、大金持ちになったということから、ふいご祭が起きたということです。

東京・竹橋のパレスサイドビルでもこの日の午後、ふいご祭りを実施。丸い搭屋の中にあるボイラー前に祭壇を設けお神酒などを供え、参列者が玉串を奉奠して一年の無事と商売繁盛を祈念しました。もちろんミカンも振舞われました。

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