【2012年7月】のアーカイブ

 竹橋のパレスサイドビル界隈を歩く「ぶらパレス」シリーズ2回目。7月25日紹介した常盤橋公園に銅像がある渋沢栄一18401931年)のお話です。

渋沢といえば「日本資本主義の父」。国立第一銀行(現みずほ銀行)、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙と日本製紙)、田園都市(現東急電鉄)、帝国ホテル、キリンビール、東洋紡績など多様な企業の設立に関わり、その数は500以上といわれます。

江戸時代末期の天保11年、今の埼玉県深谷市に生まれ、尊王攘夷に目覚めた時期もありましたが、一橋家の家臣の推挙で一橋慶喜に仕えたのが人生の転機。慶喜が将軍になるとともに幕臣になり、パリ万国博覧会に将軍の名代として出席した慶喜の弟徳川昭武(後の水戸藩主)の随員として訪仏し、そのまま欧州各国を回り、西欧の近代的産業や経済制度を見聞して帰国。明治新政府に奉職したものの、明治6(1973)年、大隈重信らと対立して下野し、以後、実業家として活躍するとともに、金融業の指導に尽力します。渋沢像が日本銀行の真正面の常盤橋公園にあるというのも、なるほど、です。

渋沢の評価が今も高いのは、「道徳と経済の合一」、つまり、「私利を追わず公益を図る」との考えを生涯貫き、「渋沢財閥」を作らなかったからでしょう。

三菱グループのサイトに、三菱財閥創始者の岩崎彌太郎と、三菱系企業にも深く関わった渋沢を比較した興味深い記述があります。

「・・・渋沢は民にあって合本主義すなわち多数の株主による会社の設立を推進した。・・・儒教の精神を西洋流の企業経営に採り込み、義に叶った利を求め・・・一方、エネルギーの塊のような男、彌太郎は社長独裁こそが企業の活力の源泉と信じて疑わなかった・・・『会社に関する一切のこと・・・全て社長の特裁を仰ぐべし』」(http://www.mitsubishi.com/j/history/series/yataro/yataro22.html

渋沢像は昭和8(1933)年に建立されましたが、第2次世界大戦中の金属供出により失われ、昭和30年に再建されたもの。いずれも、「日本のロダン」と称される朝倉文夫の製作ですが、朝倉の話は、またいずれ。

公益法人渋沢栄一記念財団が運営する渋沢史料館(北区西ヶ原2JR京浜東北線・王寺駅5分)が全生涯にわたる資料を収蔵、展示しています。

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山岳鉄道の国スイスで、いやヨーロッパ全体で一番高い標高の駅をご存知ですか?

その名もTop of Europe ユングフラウヨッホ駅です。標高3,454 で富士山山頂より少し低いくらいです。

 登山基地の町、クライネシャイデク駅(標高2,061m)を出発した列車は20分ほどするとトンネルに入ります。有名なアイガー北壁の裏手になり、列車はその岩盤を掘り抜いたトンネルを進むのです。途中にアイガーヴァント駅(標高2,865m)、アイスメイア駅(標高3,158m)というふたつの駅があり、列車はそれぞれ数分間の休憩を取ります。列車を降りて通路を少し歩くと厚いガラスの窓にたどり着きます。眺めてびっくり、そこはアイガー北壁の中腹なのです。

 そしてゆっくりと列車は進み、ユングフラウヨッホ(ユングフラウの肩の意味)駅に到着します。ユングフラウは若いお嬢様の意味。お嬢様の肩に乗っての眺めは最高です。360度、スイスアルプスが白銀に輝いています。高低差108mのエレベーターを昇り切るとスフィンクス展望台です。眼下に世界自然遺産のアレッチ氷河が広がっています。

 ユングフラウ鉄道は19世紀から計画され、最終的に貫通したのがちょうど100年前の19128月です。観光立国しかない、ということで、国中に鉄道網を張り巡らせたスイス国民の計画性、根気強さ、団結力...。頭が下がるばかりです。

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 東京地区の気温、湿度、雨量など気象観測の拠点だった大手町にある東京管区気象台の露場(ろじょう)が、同気象台の虎ノ門への移転計画ともなってパレスサイドビルをはさんで反対側の北の丸公園に移るという話は先日紹介しましたが、風速、風向、全天日射量などの観測機器は平成1911月に別の場所に移転して正式な観測を行っているのです。

 風速計などが移転した先は北の丸公園内の科学技術館屋上で、地上から約35mのところです。それまでは大手町の気象庁庁舎屋上の74.5mのところにあったのです。移転の理由は同気象台移転とは関係なく、周辺、特に南側にJA、経団連、日本経済新聞社の3つの超高層ビルが建ってきたため、観測に影響が出る恐れがあるからだそうです。

 これまで東京都内で一番高い気温を示しています練馬区の武蔵中高の正門近くにある気象庁のアメダス観測所も今年度いっぱいで、約7㎞西の日本銀行石神井運動場跡地に移転するそうです。周辺にビルが建つなどして風通しが悪くなり、正確な観測が難しくなったためといいます。地元では「とうきょうで一番暑い、というイメージが変わるかも」と期待する人もいれば、「武蔵名物が一つなくなるのは寂しい」という声もあります。都市化が進み、高いビルが建つというのは、長年録りつづけてきた観測データも、観測ポイントも変わり、町のイメージまで変えてしまうようです。

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 味噌カツ、味噌煮込みうどん、味噌おでんなどなど、なんでも味噌が絡むのが名古屋グルメ。「つけてみそ かけてみそ」なんていうチューブ入りの調味料まであります。愛知県では味噌のない食生活は考えられません。

その中でもNHKの朝ドラ「純情きらり」でフィーバーしたのが岡崎の八丁味噌。「純情きらり」は2006年に宮崎あおいさんが主演したドラマ。八丁味噌の蔵元に生まれた有森桜子が戦前・戦中の激動の時代にピアニストをめざして奮闘するストーリー。東海地方のローカルブランドから、八丁味噌が一気に全国ブランドになりました。

真夏でもコンビニのおでんが何故かよく売れる、といわれていますが、名古屋でおでんといえばもちろん味噌おでん。竹串に刺したブタのバラ肉、焼き豆腐、卵、ダイコン、コンニャクなどが入ります。八丁味噌と赤味噌を31の比率で溶きます。それにびっくりするくらいの量の砂糖かザラメ、お酒少々というのがレシピです。だから、おでんといっても、ものすごく甘いものになります。関東のしょうゆ味に慣れていると、「えっ!」ということになります。

味噌おでんに使うお鍋は、砲金のものが理想的です。銅90%、錫10%の合金で、大砲の砲身に使うことから、この名前がつけられています。靭性(ねばさ)に富んでいて、耐腐食性、耐摩耗性に優れているといわれています。

暑い夏、暑い名古屋で熱い味噌おでんに熱燗、挑戦してみてはいかがですか。

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  いまさらですが、皇居のお堀端という絶好のロケーションで知られる竹橋のパレスサイドビルの一帯は、江戸時代以降の日本の中心地であり、幾多の歴史の舞台になり、また歴史に名を残した人々所縁(ゆかり)のスポットも多くあります。

 というわけで、「ぶらパレス」と称して、竹橋界隈を中心に「ぶらっと」歩いて紹介するシリーズを不定期掲載で始めます。今までもそんな風なことを書いてきましたが、もっともらしくしようという魂胆です。えっ、パクリじゃないかって? 否定しようがありませんね。もっとも、「ブラタモリ」も「タモリ倶楽部」に激似だと思いますけど・・・。まっ、それは置いといて。

 1回は日本橋川にかかる常盤橋と常磐橋です。パレスサイドビルから歩いて20分ほどですから、この季節は辛いかもしれません。住所は千代田区大手町2丁目~中央区日本橋本石町2丁目の間、最寄駅は半蔵門線三越前駅です。どちらも読みは「ときわばし」ですが、漢字が違います。二つの橋を結ぶように「常盤橋公園」があります=写真㊤は手前が常磐橋、向こうが常盤橋、右側の川の対岸が公園。

 橋自体が造られたのは、江戸城を築城した太田道灌にさかのぼるといわれますが、三代将軍家光時代の1629(寛永6)年、橋の前に常盤橋門が築かれているので、少なくともこのころには「常盤橋」の名があったと思われます。ちなみに、常盤橋門は、1973(明治6)年に撤去され、石垣の一部が公園に現存しています。

 さて、橋ですが、ほぼ南北に走る日本橋川200メートルあまりの間に、北から新常盤橋、常磐橋、常盤橋と三つかかっています。新常盤橋は新しい大きい橋。真ん中の常磐橋が江戸時代に門に続いていた元からの橋で、1877(明治10)年、門に使っていた石で建造され、今は人だけが渡れる橋。そこから50メートルほど下流の常盤橋は関東大震災後の1926年(大正15)年に建造され、自動車も通れる橋として機能しています。

 「新」は除き、2つの橋の名前の由来を調べてみたら、諸説あるようで、まず、「家光自ら改名を命じ、『常磐橋門』と名付けられた」とか、「金葉集」の歌「色かへぬ松によそへて東路の常磐のはしにかかる藤波」から、徳川家ゆかり「松平」姓にかけて命名されたなどの説があります。橋の名称も、江戸時代から「常磐橋門」だったという説があります。ちなみに、千代田区や中央区の公式文書は「常盤橋門」、正式な公園名も「常盤橋公園」です。

 あるいは、明治10年の建造時に、「般」の下が「皿」だと壊れてしまうので、「石」にして「常磐」に改称したという説があります。

 さらに、今の常盤橋ができた大正時代、古い橋を「常磐橋」と改めたという説もあるようです。正解をご存知の方、教えてください。

 昨年の大震災のため公園に残る旧常盤橋門の石垣がちょっと崩れかけたため、今は公園の一角が銀色の柵で囲われ、改修中(10月末までの予定)=写真㊦。常磐橋も、危険があるということで通行禁止です。早く、また市民の憩いの場として復活してほしいですね。

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 東京の気温や雨量は大手町の東京管区気象台の観測場所である露場(ろじょう)で観測されていることはご存じだと思います。その東京管区気象台は気象庁とともに来年度を目途に港区虎ノ門の旧鞆絵小学校跡地に移転する計画になっていました。大手町の敷地は処分されるため露場も移転しなければなりません。

 東京の気象観測場所は明治15(1882)年から大正121923)年までは皇居旧本丸北桔橋、大正12年から昭和391964)までは現在の竹橋会館付近にあり、昭和39年から現在の場所になっています。つまり約130年間にわたって竹橋付近の地域で行われていたわけで、気象変化の監視のために東京管区気象台が移転したとしても同じ地域で継続して観測すべきであるということから、パレスサイドビルをはさんで反対側の北の丸公園内に移すことになりました。

 管区気象台の移転に先立って昨年夏には北の丸公園内の科学技術館から西約100mの場所に新しい露場が完成し、同年81日から試験的な観測を行っています。管区気象台によりますと、約1年間のデータで見ると、現在の大手町の露場と比べ平均気温と最低気温が北の丸公園の方が若干低め、湿度は若干高めで、最高気温や降水量の差はほとんどないそうです。

 東京管区気象台は昨年8月から3年間の観測データとの差異をみて今後の気象観測に役立てるとしています。ただ、管区気象の移転については予定が大幅に遅れており、現時点ではいつ移転ができるか不明ということで、北の丸公園の露場での観測結果が本格的に東京の気象データにいつ採用されるかも決まっていないそうです。でも、いずれにしても、パレスサイドビル付近の気象データが東京の気象データであるということですね。
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  梅雨も明けて、日本列島は夏真っ盛り。家族連れは大自然を満喫したり、ふるさとに帰ったり、テーマパークで存分に楽しんだり...。若い男女は海に山に...。そしてこの夏を海外で過ごす人たちは大震災直後の昨年に比べて大幅増とか。

 でも、海外にも行けず、ふるさとに帰れないお年寄りたちもいます。そんなお年寄りたちを囲んでの納涼祭がこのほど都内の介護老人ホームで行われました。

 盆踊りに花火、屋台では焼きそば、綿菓子、かき氷、生ビールなどなど...。街の公園などで行われる町内会主催の盆踊り大会と同じです。活躍しているのは町内会の世話役さんたちではなく、日頃からお年寄りの面倒をみてくれている介護士さんたちと、家族会のメンバーです。介護の制服をハッピに着替えて介護士さんたちは大忙しです。車いすのお年寄りにできるだけ楽しんでもらおうと頑張ってくれています。

東京音頭や炭坑節が流れると、歩けるお年寄りたちは盆踊りの輪に加わります。車いすのお年寄りも手だけで踊りに合わせています。訪れた家族に囲まれながら、笑顔を取り戻して、お祭りを楽しんでいます。

パレスサイドビル2階には認知症予防財団が入居して、ご家族などに心配のある方の相談に応じています。

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 パレスサイドビルのすぐ近くにある北の丸公園の休憩所裏の木立の中に近衛歩兵第一連隊の石碑があります。かつては近衛歩兵第一連隊、近衛歩兵第二連隊をはじめ近衛師団がこの地に駐屯していました。近衛師団司令部だった建物は現在、国立近代美術館工芸館になっているのはご存じのことと思います。近衛歩兵第一連隊は西郷隆盛が率いた御親兵を母体としていて、日本陸軍最初の歩兵連隊で、皇居、皇室の守りを大正、昭和天皇が皇太子時代に連隊付けとして所属していた名誉ある連隊でした。

 近衛歩兵第一、第二連隊の兵舎だった竹橋陣営et_00539s.jpgの建物の屋上には東京で最も古い時計塔があったのです。明治7(1874)年の竣工で、完成した時計塔は明治時代の文明開化、西洋化の象徴として新たな名所となりました。その後、日本各地に時計塔、時計台が続々と造られました。あの有名な札幌の時計台は明治11(1878)年の完成ですから竹橋陣営の時計塔の方が4年も前に造られていたわけです。現在は竹橋陣営の建物も時計塔もありませんが、もし残っていたら国立近代美術館工芸館の建物とともに竹橋のシンボルの一つになっていたことでしょう。

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  第83回都市対抗野球大会はいま熱戦の真最中。713日から12日間の日程で、東京ドームで開催されています。もちろん主催は毎日新聞社。パレスサイドビル1階東側玄関わきの壁に組み合わせ表が掲示され、試合結果が速報されています。

 この都市対抗、野球のレベルも高く、多くのファンがドームに詰め掛けています。昨年は東日本大震災の影響で初めての関西開催となり、10月に京セラドーム大阪で行われました。今年は東京ドームに復帰、32チームが熱い戦いを進めています。観客合計は約50万人という人気ぶりです。

 野球も面白いけれども、もう一つの焦点は応援合戦です。製造業のメーカーは応援リーダーが作業服に黄色いヘルメットだったりして、企業の特色を出しています。応援団コンクールとしての表彰もあります。1回戦の試合を対象に、前半8試合16チームについて「前期賞」、後半8試合16チームについて「後期賞」を出します。そして大会全試合を通しての「期間賞」があります。

 選考基準は「チームの健闘に貢献したか」「郷土食が豊かだったか」「リーダーの統制が取れてマナーがよかったか」「優秀なアイデアが盛り込まれていたか」などです。昨日で1回戦が終わり、今日から2回戦。決勝戦は24日です。暑い暑い夏に、涼しい東京ドームで熱い熱い戦い(ゲームも応援合戦も)を楽しんでください。

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日本の交番制度(1人が常駐する「駐在所」を含む)は地域密着の安全確保の仕組みとして、海外でも注目されています。199警察法改正で公式名称を「派出所」から「交番」に改めた背景に、海外で「KOBAN」として知られているという事情もあったとか。写真はサイパン島のパセオ・デ・マリアナス交番(ウィキペディアより)。ハワイやニューヨークにも交番は"輸出"されているそうです。

中でもアジアでの広がりが目立つようで、韓国や台湾には以前から、ほぼ同様の交番があるほか、インドネシアは2004年から交番を導入。これより早く交番制度を取り入れたシンガポールでは、正式名「ネイバーフッド・ポリス・ポスト」に代わり「KOBAN」の愛称が定着し、日本同様に24時間体制で巡回するほか、身分証の住所変更手続きができるといいます。その国に合った形で「進化」しているのはうれしいことですね。

竹橋のパレスサイドビルB1の毎日新聞旅行も各種海外ツアーをそろえています。異国での「KOBAN」との出会いを意識してみるのも一興か。でも、くれぐれもKOBANのお世話になるようなことは、ありませんように。

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 パレスサイドビル1階「MOTTAINAI STATIONSHOP」内に毎日新聞富士山再生キャンペーンの事務局があります。富士山を世界遺産に、という運動のほかアルピニストの野口健さんらと富士山や周辺のゴミの清掃活動など富士山の美しい姿を保つキャンペーンに取り組んでいます。

 ところで富士山について、最近話題になってきたのが大噴火です。富士山の噴火は直近では約300年前の1707(宝永4)年にありました。いわゆる宝永大噴火で、歴史に残る富士山三大噴火の一つです。この時は16日間にわたって断続的に噴火があり、東の方に火山礫や火山灰が降り注ぎ、火山灰は房総半島にまで達しました。現在の静岡県御殿場市や小山町では火山灰が3mに達するほど積り、周辺の地区も壊滅的な打撃を受けたそうです。

 その時に幕府が被災地に対してとった復旧・復興策が注目されます。小田原藩独力ではとても手に負えないことから幕府は、一時的に周辺一帯を幕府直轄領として幕府が直接救済に当たりました。また、財政ひっ迫の折から、翌年には復興のために降灰除去を名目として全国に高百石につき二石(2%)の税を課しました。復興のための目的税で、江戸幕府では目的税を徴収したのはこの時だけでした。だだ、集まった40万両のうち、実際に被災地救済に使われたのは16万両程度で、残りは幕府の財政に流用されたそうです。現在と江戸時代を同じ土俵で論じるわけにはいきませんが、東日本大震災の復興策や最近の増税論議の中で何か参考になりそうな感じですね。

 この時の救済のために税を徴収したことについては、平成17年の「中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会」の報告書案にも記載されていますが、復興に使われたのは一部で、半分以上が幕府の財政に流用されたことは書かれていませんでした。報告するまでもなかったと判断されたのですかねえ。

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東国原さんが宮崎知事時代に宣伝に力を入れていたマンゴー。チェリモヤ、マンゴスヒンとともに世界の3大美果といわれるほどおいしい果物であることは言うまでもありません。宮崎のほか沖縄や鹿児島などの特産品です。もともとはフィリピンや台湾、タイなどのものです。

 日本人には糖度の高さときめ細かい食感からナムドクマイ種が好まれていて、輸入マンゴーの大部分はナムドクマイ種です。ナムドクマイはタイ語で「花のしずく」という意味です。マンゴーは雨季が明ける時期が最もおいしいとされています。

 美肌効果やがん予防、高血圧予防、動脈硬化予防などいいことだらけですが、ウルシ科マンゴー属ですので、アレルギーの人は皮や果汁でかぶれることもあるので要注意です。

 マンゴーのカットの仕方としては「花切り」が定着しています。「花切り」の要領は3枚おろしです。中欧の平たい種を避け、魚を3枚におろすように包丁を入れ、上下の切った面に、さいの目状に切り目を入れます。そして両手で皮を押して果肉をそり返すと花のような形になります。種の残った真ん中の部分をガブリと食べるか、カットして上品に食べるかはご自由です。

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警察庁とは何の関係もないようですが、「交番 KOBAN 掲示板」というサイトをみつけました(http://www.atlas-web.com/cgi-bin/fudo35/fudo.cgi?)。ファンが、全国の交番の写真にコメントを付けて投稿するページです。うーん、どんな世界にもマニアは居るんですね。116日のこのブログで、竹橋のパレスサイドビル西側、駐車場出口のところに、お巡りさんが帽子をかぶっているような形の旧竹橋交番(現在は竹橋地域安全センター)を紹介しましたが、これも投稿したら受けるかも・・・なんちゃって。

さて、掲示板には、いろいろな交番が登場します。京橋のたもとにあったガス灯の頭部の形の屋根が特徴の銀座一丁目交番、入り口屋根が神社らしい感じの水天宮前交番(以上東京)、お城を模った浜松城公園前派出所(静岡)、忍者屋敷をイメージした伊賀警察署・丸の内交番(三重)、洋館風の元町交番(神戸)、宮崎市内のメインストリートにあるロケットのような形の高千穂通交番などなど、特徴のある交番が多いです。

その中で、ちょっと気に入ったのが、横浜の中華街の入り口にある加賀町警察署山下町交番です。2階建ての正面2階部分の外壁を丸ごと覆うような大きな山水画のレリーフ=写真㊤=が特徴です。中国の山寺を題材にしたもので、まさに中華っていう雰囲気が、なかなかイケてると思います(写真㊦は全景写真=同交番ホームページより)。ちなみに、ホームページには「国内最大の中華街の入り口に位置し、休日ともなると地理案内や拾得・遺失物・・・の取り扱いに追われ、椅子に座る暇もないほどの忙しさになります」とあります。

ほかにも、「いい東京」というサイトの「交番建築のいろいろ」というページhttp://www.ee-tokyo.com/kenzoubutsu-2/kouban/kouban.html)に、都内のユニークな交番が紹介されています。

よくよくみれば、面白い発見があるかもしれませんね。あなたも、近くの交番をよーく眺めて、交番萌え~?!

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 パレスサイドビル地下1階吹き抜けコンコースに7日まで飾られていた七夕の笹には、約2週間の間にビルで働く人たちや通りすがりの人、ビルの飲食店を利用した人たちの多くの願い事が短冊にしたためられ結び付けられていました。七夕飾りを企画した名店会が数えたところ、短冊は2,324葉ありました。東日本大震災の復興を願ったものが目立ち、過去最多だった昨年の2,693葉より369葉少なかったのですが、今年も切実な願い事も多くみられました。

願い事の中には、東京電力福島原発事故の影響で避難し、親子離れ離れになった子供が書いたのか「最終的に福島に帰れますよーに ママに会いたい!」と切実に訴えるものがありました。また、昨年も願い事を結びつけた人によるものでしょうか「去年のねがい事をお聞き届けくださいましてありがとうございました。母が病院から帰って自宅で過ごせた数か月は本当に天の賜り物でした。いつの日か天上でまた母とともに暮らせますように」と記され、心が洗われる思いのものも結び付けられていました。

「上司のイライラが収まりますように」「課長の四十肩が早く治りますように」といった職場で発生する願い事や、「おなかのおにくがどっかに行きますように」「隣の人の頭髪がこれ以上抜けませんように」などと健康や体に関してのお願い、「みんなが無事に実習を乗り越えて全員看護師になれますように」「今年中にプロポーズされますように」など就職、結婚祈願もありました。さらに、フランス語やハングル語で書かれた短冊もあり、バラエティーに富み、国際色豊かな七夕飾りの短冊でした。

短冊は近く神田明神に奉納される予定です。明神様はきっと皆さんの願い事をすべてかなえてくれるでしょう。

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優美な花の姿に魅せられて、高級ギフトの代名詞とも言える胡蝶蘭。学名をファレノプシスという洋ランの一種で、正しくはラン科ファレノプシス属。ファレノプシスの意味は「蝶のような」ということで、その名の通り、花の姿が飛んでいる蝶の姿に似ているところから、その名がつけられました。

原産地はフィリピン、台湾、インドネシアなどで、春から秋にかけて開花時期です。日本では温室の中の温度調整で、開花時期を人為的に操作して、一年中出荷できるようにしています。とはいっても、その苦労は大変なものだそうです。温度管理、水分管理、植え替えと細かい手入れが必要で、生産者は元気で新鮮な花を送り出すだけでなく、いかに長持ちさせるかも腕の見せ所だそうです。

お値段はちょっと高め。15000円から50000円くらい。よく贈答品として使われているのは20000円前後とか。

レストランの開店祝いや、誕生日のお祝い、企業の引っ越し祝いなどによく贈られます。花言葉は、白は「清純」、ピンクは「愛」とか。色合いに関係なく共通の花言葉は「幸せが飛んでくる」。そう、まるで蝶のように......。

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 東京・竹橋のパレスサイドビル屋上からもよく見える東京スカイツリーが5月にオープンして1か月半。高さ350メートルにある天望デッキへの入場はものすごい人気で、予約も簡単にはとれない状態が続いていました。だだ、完全予約制はあす10日までで、あさって11日からは当日券も売り出されます。当日はかなりの人が並ぶのではないでしょうか。

周辺の場所から東京スカイツリーを見上げるのもなかなかのものです。特に隅田川に浮かぶ屋形船から眺めるのはいっそう趣が増す感じです。ある場所からは整備された隅田川護岸の上に高速道路が走り、スカイツリーの根元部分が分断されて見えるのはちょっと無粋な感じもしますが、空にまっすぐ伸びるスカイツリーの景観には圧倒されます。

屋形船からで興味深いのが吾妻橋から少し上流に上ったポイントからの眺めです。孫悟空の筋斗雲のようなオブジェを載せたあのアサヒビール吾妻橋ホールの隣に建つアサヒビール本社ビルは金色がかった鏡のような外壁で、壁面にスカイツリーが映ります。墨田区役所のビルをはさんでスカイツリーの実像と虚像が見えるわけで、ちょっと不思議な光景でもあります。

屋形船東京都協同組合によりますと、東京には50を超す屋形船の業者があり、運航する屋形船は120隻以上といわれています。納涼の屋形船はこれからがシーズン。貸切だといくつかのコースも選ぶこともできますので、団体で屋形船からのスカイツリーツアーを堪能してはいかがですか。

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 いくつもの小さな白い花が一本の筋状に伸びて咲いていました。パレスサイドビルすぐ南にある皇居東御苑二の丸雑木林内のオカトラノオ。

先端がたれ下がりつつ少し上向きかげんに咲いた形が、トラの尻尾に似ていることからその名がついたようです。英名は「gooseneck loosestrife」でガチョウの首に似ているとしてつけられたとおもわれます。トラとガチョウ。同じものでも日本と外国とは随分と見方が違うことがよくわかります。まあ、この花からはトラというより猫の尻尾ぐらいの感じがしますがねぇ...。

「トラノオ」という名がつく植物は結構たくさんあります。ヌマトラノオがサクラソウ科でオカトラノオと同じ科というのは納得いきますが、ミズトラノオがシソ科、エチゴトラノオ、ヒメトラノオがゴマノハグサ科、イブキトラノオはタデ科と多くの科目にわたっています。これらは生えているところや花のつき方、のび方、花の色などで若干の違いがありますが、似たような感じの植物です。

観葉植物にもトラノオというのがあります。マイナスイオンを出すことで人気になっているもので、サンセベリアとも言います。こちらはオカトラノオなどとは全く違った形の植物で、硬い細長い葉っぱが地面からにょきにょきと立ち、緑色に黄色い縞が入っていることからトラの尻尾に見立ててその名がついたようです。

植物に名前を付けようという人は動物好きの人が多いのかもしれません。植物のトラノオを踏んでも大丈夫でしょうが、それ以外ではトラの尾を踏まないようにした方がいいですね。これは余談になりますが、プロ野球で鯉がトラのしっぽを捕まえて順位を上げたことはうれしい限りです。トラ好きの人には申し訳ありません。

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  パレスサイドビルに新しい冷凍機が導入され、5日、起動式が行われました。

冷凍機と言っても、お魚などを凍らせるわけではありません。ビルの空調を担う設備です。これで冷水を作ってビルのてっぺんまで送り、その水で冷やした空気をビル全体に送る仕組みです。

パレスサイドビルにはこうした冷凍機が4台あります。年数を経ればどうしても傷んでくるので、順番に入れ替えを進め、今回の2号機で更新を完了しました。新しい設備はインバーターを備えた新鋭機で、エネルギー効率が格段にアップし、省エネに大きな効果を発揮します。

装置の能力を大き目の家庭用クーラー何台分に当たるかで表すと、1号機と4号機が各1000台分、3号機が800台分、2号機が500台分になります。3号機を予備機として、1、2、4号機を、その日の天候により最も効率よく組み合わせて使います。例えば真夏は大型の1号機、4号機中心に運転し、春や秋は2号機だけで十分に賄える――といった具合です。

この日の起動式で㈱毎日ビルディングの三島誠社長が「安全、安心のビルとするために引き続き努力していきます」と決意を表明、工事を担当した三機工業㈱の藤井日出海常務執行役員東京支社長が「導入した機械が役割を全うできるよう精いっぱいフォローしていきます」と述べました。両氏が機械のスイッチを入れると、参列した関係者約30人から大きな拍手がわきました。

パレスサイドビルは、来館者やテナントの皆さんに快適なビルライフを送っていただくため、こうした設備の更新を計画的に進めています。

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  パレスサイドビルから約10分の明治大学駿河台キャンパス・中央図書館1Fギャラリーで開かれている「出版検閲と発禁本」の展示会(7月22日まで)。検閲によって発禁・押収等の処分を受けた書物の中に、児童文学、動物文学で有名な椋鳩十さんの本を見つけたと、6月29日、このブログで書きました。

その椋さんにまつわる思い出です

椋さんは本名・久保田彦穂といい、略歴を簡単に紹介すると、1905年、長野県に生まれ、東京の大学を25歳で卒業、南洋行きを目指しましたが、周囲に反対され、女医をしていた姉のいる鹿児島の教員に。以来、亡くなるまで鹿児島で過ごしました。先日紹介した「鷲の唄」が発禁処分になったのが28歳の時で、33歳で初めての動物文学「山の太郎熊」を出し、以後、旺盛な執筆活動を終生続けました。42歳で鹿児島県立図書館長になり、「母と子の20分間読書運動」を提唱し、全国に広がりました。その後、鹿児島女子短期大学教授なども務め1987年に82歳で亡くなっています。

1980年代前半、鹿児島に居て、椋さんにお会いする機会がありました。82年、理論社から「椋鳩十の本 全25巻」の刊行が始まったころです。児童文学、動物文学の「椋全集」はありましたが、先日紹介した初期の「山窩調」(さんかちょう)、さらにそれ以前の詩集まで遡り、椋さんのすべてを網羅した文字通りの「全集」です。83年10月には鹿児島市の県立図書館前庭に椋さんの記念碑が建てられ、その除幕式にも伺いました。写真㊦はその時の毎日新聞鹿児島版の記事です。

そんな折、ご挨拶する機会を得て、「椋鳩十の本 第2巻」(山窩物語 鷲の唄)にサインしていただいたほか、年賀状をお送りすると、丁寧に返事を下さり、翌年からは年賀状をいただくようになりました。

87年の暮れも押し詰まった12月27日に椋さんの突然の訃報が伝わった5日後、年が明けた元日の朝、北九州に居た私に椋さんから年賀状が届いたのでした=写真㊤。私にとって、まさしく椋さんの"絶筆"。家宝として大事に取ってあります。「感動は人生の窓を開く」。鹿児島の記念碑にも刻まれた椋さんの言葉が、生前の温厚な表情とともによみがえります。

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 消費増税がいよいよ本決まりになりそうです。国の財政のことを考えれば仕方ないな、と思う反面、足元の生活を見つめればたまったものではない、というのが大方の感想ではないでしょうか。そんな中で楽しく税金を払ってみようかというお話しです。

ふるさと納税制度ができて4年が過ぎました。自分のふるさとでなくても構いません。自分の好きな自治体を探して寄附金を支払うのです。自治体によっては「町長からの感謝の手紙」だけを送ってくるところもありますが、いくつかの自治体はふるさとの特産品を送ってきます。10000円の寄附金に対して40005000円程度と思われるものが送られてきます。水産物であったり、リンゴやサクランボなどの果物であったり、野菜やお米であったりします。

ふるさと納税制度は2008年4月に公布された「地方税法等の一部を改正する法律」に基づくものです。個人住民税の寄附金税制が大幅に拡充されたもので、地方自治体に対する寄附金のうち2000円を超えるについて、個人住民税所得割の10%を上限として、所得税と併せて全額が控除されるというもので、翌年の確定申告で所得控除されます。つまりたとえば寄附金が10000円であれば、自治体から「10000円寄附金受領証」が送られてきて、翌年23月の確定申告時に控除申告ができるわけです。

送られてくる特産品は地元産業のものですから、地元の水産業、農業などの振興に役立つと同時に、寄附金は青少年育成事業や老人の健康増進事業などに使われます。その使用される目的もいくつかの項目の中から自分で選択できます。目的がはっきりしているものに寄附金が使われるのですから、払い甲斐があります。そのうえに特産品となれば、税金を支払うのが思わず楽しくなってしまいます。

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パレスサイドビルすぐ南にある皇居東御苑内二の丸休憩所前の"秋の七草園"で、秋の七草、キキョウの清楚で薄紫色の花が咲き誇っています。

秋の七草は、万葉集の山上憶良が詠んだ「秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 萩の花 尾花葛花 撫子(ナデシコ)の花 女郎花(オミナエシ) また藤袴(フジバカマ) 朝貌(アサガオ)の花」という歌から来ていますが、キキョウという名の記述はありません。

この歌に詠まれた尾花はススキというのははっきりしています。朝貌(アサガオ)の花については朝顔、昼顔、ムクゲなど諸説ありましたが、いつのころからかキキョウとする説が有力となり、現在に至っているようです。いわゆる朝顔については平安時代に遣唐使が初めて持ち帰ったので、憶良が詠んだころにはまだ国内になかったといわれていますし、万葉集には作者不詳で「朝顔は朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲き勝りけり」という歌もあります。これからしても憶良の朝貌が朝顔でないことはよくわかります。そういえば、秋の七草園の花の名前を記した札にはキキョウのわきにカッコして朝顔と書かれていました。

ところで、キキョウは朝鮮語にすると「トラジ」。朝鮮にはトラジという古い民謡がありますが、日本で「トラジ」と聞くと焼肉屋をイメージする人も多いでしょう。事実、焼肉「トラジ」などと焼肉屋さんの屋号に多く使われているようです。日本語で表現すると、焼肉「桔梗屋」ですか。でも、「桔梗屋」とすると、旅館や信玄餅などの和菓子屋さんを連想しそうです。まあ、キキョウが歌に詠まれたり、いろんな店の屋号に付けられているというのは、それだけ多くの人たちに愛されているということなのでしょう。

 

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