漱石の随筆「硝子戸の中」に、「父はまだその上自宅の前から南に行く時に是非登らなければならない長い坂に、自分の姓の夏目の名をつけた。不幸にしてこれは喜久井町ほど有名にならずに、ただの坂として残っている。しかしその間、或人が来て、地図でこの辺の名前を調べたら、夏目坂というのがあったと云って話したから、ことによると父の付けた名が今でも役に立っているのかもしれない」と記しています。
「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」で明治の文豪といわれる漱石ですが、教員生活やロンドン遊学、そして朝日新聞に籍を置いた時代もありました。本郷から早稲田南町に引っ越して「三四郎」「門」「心」「道草」などを発表、「明暗」執筆中の大正5年12月に50歳で亡くなりました。
生誕の地には「夏目漱石誕生之地」と刻まれた黒御影石の記念碑が建てられています。また終焉の地は新宿区立漱石公園となり、平成3年に富永直樹作の胸像が出来上がりました。
明治から大正にかけて数々の名作を世に出した日本近代文学の巨匠は、早稲田に生まれて、早稲田に死したのです。