【2012年5月】のアーカイブ

 天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方の護衛や皇居、御所の警備にあたる皇宮警察の吹奏楽団、皇宮警察音楽隊によるランチタイムコンサートが31日、皇居東御苑内本丸跡の芝生広場で開かれ、訪れた観光客やパレスサイドビルに勤める人たちなど約500人が聴き入っていました。

 皇宮警察音楽隊は1952(昭和27)年に結成され、今年が結成60周年。2006(平成18)年から1~2か月程度に1回、本丸跡の芝生広場でコンサートを開いているほか、昨年は東日本大震災の被災地、茨城県の北茨城市や千葉県旭市で演奏しています。

 31日は曇り空の下で、「リンゴ追分」「港町十三番地」「柔」「悲しい酒」と続く「美空ひばりメドレー」や「ドラえもんの歌」「幸せの黄色いハンカチ」など予告した5曲のほかアンコールとして「いい日旅立ち」を演奏しました。外国人観光客や近くのオフィスに勤めるサラリーマンやOLらも足を止め、芝生に座ったり、持参した弁当を食べながら、リラックスして演奏を楽しみ、曲が終わるごとに大きな拍手を送っていました。

 次回は6月21日(木)に開かれる予定です。

 ワーグナーやラフマニノフが暮らしたことのあるスイス中央部ルツェルンで最初の音楽祭が開かれたのは、ヨーロッパに戦雲が立ち込めていた1938年のことです。ナチスによってオーストリアのザルツブルグ音楽祭を締め出された音楽家たちが、風光明媚なルツェルン湖のほとりに集ったのです。

 湖に突き出たトリブシェン岬のワーグナーの住んでいた館が会場になりました。スイス・ロマンド管弦楽団、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団、バーゼル交響楽団などのオーケストラの演奏家を集め、トスカニーニの指揮で最初の演奏を行ったそうです。

 戦火が激しくなって中断された時期もありましたが、1970年以降は毎年テーマを決めての開催になっています。

 ルツェルンと言えば、ロイス川に架かる木造の屋根付き橋、カペル橋が有名です。城砦の一部として14世紀に建造されたもので、観光の名所になっています。

 パレスサイドビルに入っている毎日新聞社が主催する日本音楽コンクールなどの入賞者から世界的な演奏家が出ていることは言うまでもありません。そのうちの何人かはもちろんルツェルンで演奏しています。音楽の街らしく、広場で演奏する姉妹の姿=写真=は実に微笑ましいですね。

 先週も紹介した皇居東御苑の本丸跡にあるバラ園で、ハマナスの赤い花がきれいに咲いていました。漢字で浜茄子とも浜梨とも書くハマナスがバラなの? と思われるかもしれませんが、バラ科バラ属で、英語名は「Japanese Rose」とれっきとしたバラなのです。茄子でも梨とも関係はありません。ただ、ハマナスの実が梨に似ていることからハマナシ(浜梨)と呼ばれていたものが、なまって「ハマナス」となったそうです。

 ハマナスといえば、森繁久弥作詞・作曲の「知床旅情」や、映画「網走番外地」主題歌で歌われているように北海道のイメージですね。実際、北海道の花はハマナスです。でも、原産は東南アジアなのです。また、オランダではハマナスの街路樹が多く見られます。シーボルトがオランダにハマナスを持ち帰って広まったといわれています。

ハマナスは秋になると赤い実をつけますが、その実はビタミンCが豊富なだけでなく、抗酸化作用があり、過剰な活性酸素を除去するといわれるポリフェノールも多く含まれ、血中の中性脂肪を低下させる効果もあるといわれています。動脈硬化や脳梗塞の予防にも良いそうで、健康が気になる方は自宅で育てて、実を食べてはいかがですか? ただし「綺麗なバラには棘がある」の通りトゲがすごいのです。英語の別名で「Hedgehog Rose」とも言います。Hedgehogはハリネズミの意味です。実を取る際には十分気を付けてください。

梅雨、集中豪雨シーズンを前にパレスサイドビルは27日、ビル関係者による水防訓練を行いました。日本列島は2009年、2010年に山口県で、昨年は紀伊半島でと3年連続で大水害が起き、最近でも茨城県などで大竜巻が発生するなど異常気象による被害が続出しているだけに水防訓練2012.5 1.jpg、参加者はいざという時のために備えることの大切さを感じながら真剣な表情で訓練に取り組んでいました。

訓練には、毎日ビルディング社員のほか、パレスサイドビルの警備員、設備管理員、清掃員計43人が参加しました。まず、地下2階東京メトロ竹橋駅わきの2か所のビル入口にある防潮扉の設置訓練。床のブロック石や天井の鉄の板を外して厚さ約20センチ、天井まである防潮扉を引き出して、補強の鉄棒を取り付けて固定するなどして設置しました。続いて駐車場入口スロープ上での防水板設置訓練を行い、防水対策に怠りがないように点検、整備も行い、ゲリラ豪雨への備えも万全にしていました。

 このあと参加者は、ビルに設置してある1回で35トンの濁水を飲める水にする非常用整水器を運転したり、ビルの外周を回って大洪水時に万が一水が浸入する恐れのあるところの点検をし、安心、安全なビルへの取り組みを再確認していました。

パレスサイドビルすぐ南にある皇居東御苑内のバラ園で、フローレンス・ナイチンゲールというバラ2本がきれいに咲いています。クリーム色の花は、クリミア戦争で傷病兵の看護に尽力し、「白衣の天使」といわれる看護師の祖、フローレンス・ナイチンゲールの献身的な姿を連想させてくれるようです。オスカーワールドの童話に「ナイチンゲールとバラ」という作品がありますが、この中に登場するバラは真っ赤なバラで、同園のバラとは関係なさそうです。

 同園のバラは「フローレンス・ナイチンゲール国際基金」(1899年発足、本部・ジュネーブ)発足75周年を記念して造られた品種で、国際看護師協会などを通じて、皇后さまに贈られたものだそうです。皇后さまは「国民にも見てもらいたい」と2009年9月、一般公開されている同園に天皇陛下とご一緒に植えられました。

 同園は、昭和天皇が献上を受けて吹上御所で育てていたバラを、天皇陛下の考えで1996年に東御苑本丸跡に移植・整備されたもので、「フローレンス・ナイチンゲール」だけでなく、イザヨイバラ、コウシンバラなど計15種類のバラが植えられており、今はそれぞれのバラが美しさを競っています。

 

お待ちかね、東京スカイツリーがオープンしました。連日テレビも大フィーバー! ン? この表現はパチンコを除けば、ほとんど死語......と思いきや、金環日食の際には「県内もフィーバー」(産経新聞奈良版)「"金環日食フィーバー"TV各局が全国中継」(スポーツ報知)などの記事がありましたから、まだ生きているのかも。

新聞紙面も連日、スカイツリーを熱く報じています。その中で、519日毎日新聞朝刊の東京版に、スカイツリーから撮影したパレスサイドビルの写真が掲載されました=毎日新聞紙面から。ちょっと粒子が粗いのは200ミリ望遠レンズを使った上にトリミングしたからですが、皇居の緑をバックに、いい雰囲気じゃありませんか?

この記事は毎日新聞とうきょう支局長の平井桂月記者が、開業前の事前取材で「展望デッキ」(地上350メートル)に上った時のルポ。以下、記事の関係部分です。

「東京ドーム(文京区後楽)は肉眼でもすぐに分かる。ドームを起点に探したが、ビルが多過ぎて見分けがつかない。そこで活躍したのが、一眼レフカメラの200ミリ望遠レンズ。望遠鏡代わりに使うと、パレスサイドビルから1キロほどの明治大のドームを見つけた。経団連会館(千代田区大手町)も見つかった。さらに探すと、パレスサイドビルの特徴でもある二つの円筒形のエレベーターホールに気付いた。探し始めて10分ほどかかっただろうか」

ちなみに、パレスサイドビルはスカイツリーから直線で約5キロ、東京タワー(ツリーから約9キロ)の方向やや右側、東京タワーとツリーの中間点くらいになります。

スカイツリーに登る機会があれば、何かお目当ての目標を考えておくと、楽しめるかもしれませんね。

 このブログの舞台としてたびたび登場する皇居東御苑。パレスサイドビルからはすぐ目の前の大手濠に架かる太鼓橋、平川橋を渡って平川門から気軽に入っていけます。東京ドームの4.5倍の広大な敷地には本丸跡の芝生広場、小堀遠州作の回遊式の日本庭園を復元した二の丸庭園、雑木林、竹林や百人番所、同心番所、松の大廊下跡などがあり、自然や歴史をたっぷり感じさせてくれる都心のオアシスとして知られ、内外の観光客が訪れるスポットだけてなく、近くで働くサラリーマンやOLたちにとってもいこいの場となっています。

 月、金曜日を除いて無料で公開されていますが、入園方法が22日から変わりました。同苑は震災時には千代田区の帰宅困難者支援場所に指定されていることから昨年3月の東日本大震災以来、大手門、平川門、北詰門の3か所にある発券小屋の前を通ってそのまま入っていけました。しかし、22日からは小屋で白いプラスチックの「入園票」を受け取って入り、出るときにはその票を小屋の係の人に返すという大震災前のシステムに438日ぶりに戻りました。

 同苑を管理する宮内庁は、5月22日に入園票を復活させたのは「準備が整ったためで、東京スカイツリーのオープンに合わせたわけでも、特にこの日にこだわったわけでもありません」と説明していました。22日は「大安」。縁起を担いで大安の日にしたのでは、というのは勘繰り過ぎでしょうか。

  もうすぐ6月です。6月第一日曜日(今年は3日)に上高地でウエストン祭が開催されます。これが事実上の夏山の「開山式」です。

 日本の山の美しさを世界に紹介した英国人宣教師、ウォルター・ウエストン(1861-1940)を記念しての催しであることは言うまでもありません。1896年(明治29年)に「日本アルプスの登山と探検」という著書で、ヨーロッパやアメリカに北アルプス、南アルプス、中央アルプスの素晴らしさをアピールしました。

 その上高地でのウエストン祭、河童橋の向こう、穂高連峰にアルプホルンの音がこだまします。地元の合唱団の歌声と、アルプホルンの音色が調和して、上高地に夏の訪れを告げるのです。

 スイスの名峰マッターホルンの登山基地、ツェルマットのレストランでも、アルプホルンの演奏が行われています。70歳代の元気な山男たちの楽団の演奏に合わせて、老若男女がダンスを踊ったり、アルプホルンに聴き惚れたりしています。

 アルプホルンはトウヒをくりぬいて作ったものが主流です。乳牛を連れて高地に行き、チーズなどを作るときに、有名な旋律「ラン・デ・ヴァシェ」などを奏でたと伝えられています。長さ23㍍の管に、音孔もバルブ機構もなしでの演奏になります。

 ウエストン祭まであと10日あまり。アルプホルンが今年も残雪の穂高に響き渡ることでしょう。

22日に開業する東京スカイツリーを設計したのが、竹橋のパレスサイドビルも設計した日建設計です。スカイツリーが法隆寺の五重塔をモデルに設計されたことはご存知の方も多いでしょう。中心を心柱(しんばしら)が貫く構造で、各層が独立した木組みにより共に支え合う相互作用によって免震・制震機能を備え、1000年を超えて地震や台風に耐えてきた法隆寺。その知恵がツリーに生きています。
 さて、ツリーのおひざ元、押上駅前広場(交通広場)に面して墨田区営の「押上駅前自転車駐車場」があります。言葉で説明しにくいのですが、墨田区がチラシなどで使った下の完成予想図が分かりやすそうで、2階建ての構造物自体が一つの小高い丘のような姿になっています。手すりがついた緩やかな木製スロープを登って行くことができ、登りきった屋上は「憩いのスペース」で、ツリーと広場、すぐ脇を走る東武線などが一望でき、とても気持ち良い空間です。図の右側が広場、それを挟んでツリーという位置関係です。写真㊤は先週平日の夕方ですが、ツリーをカメラに収めようと見上げる人が見られました。

この駐輪場も、日建設計の設計です。地下に都営浅草線の躯体があって、難しい構造の話はパスしますが、杭が打てないために色々と工夫されているそうです。ここは「水の循環の大切さを見直すきっかけになるように」と、「雨水循環屋根」を採用しているのも特徴です(写真㊦はその案内板)。スロープを兼ねる「木」と、「石」「緑」の3つのエリアから地下に設けた雨水貯水槽に無駄なく水を集め、植栽への水やり、トイレ洗浄などに活用、そのためのポンプアップの電源は太陽光発電を利用するという徹底したエコシステムです。

駐輪場は朝445分~深夜045分オープン。当日スポット利用も150円と格安料金です。

 都心のど真ん中の滝――東京・竹橋のパレスサイドビル近くの北の丸公園内に小さな滝があります。落差3mほどで、特に名前もありませんが、ヤマモミジ、ウツギ、クヌギなどの木々の中で響かせる滝の音は涼感たっぷりです。

1969(昭和44)年の北の丸公園オープンに合わせて造られたもので、造園家で環境デザイナーの伊藤邦衛さんが設計しました。伊藤さんはこの池を中心にした作品で日本造園学会賞を計画設計作品部門で受賞しているそうです。

滝から落ちた水は渓流風の川を通って、上の池、中の池、下の池と三つの池に流れていきます。公園事務所によりますと、滝の水は下の池からポンプで汲み上げて流しているそうです。

電力制限令が発令された昨年の夏は、池の水が淀まないようにと、夜中の1時間だけポンプを回しただけで、昼間はポンプを停めたため、滝は流れていませんでした。制限令が出ていない今年夏は? 「環境省が管理している公園ですので......。」と話し、ポンプを停めるかどうか、検討中だそうです。

2012

17

5

ドラマの舞台

  映画やテレビドラマで、政治家やお役人が赤じゅうたんの上でヒソヒソ話をするシーンがよくあります。国会議事堂の中でよく撮影ができたな、なんて思われる方も多いかも知れません。国会議事堂を正面から見るシーンの後に赤じゅうたんの廊下が来れば、誰でもそう考えても不思議ではありません。

 でも、国会議事堂内でドラマ撮影はできません。映画監督やテレビドラマのプロデューサーの頭の中には、どの場面はどの建物で撮影する、というノウハウが詰まっているのです。国会議事堂廊下のシーンによく使われるのは、パレスサイドビルからほど近い学士会館です。重厚な造りで、国会議事堂に負けない荘重なイメージを持っています。

 パレスサイドビルでもよく撮影が行われています。屋上を警視庁や病院、ホテルの屋上に見立ててのシーンが多いようです。警視庁にパレスサイドビルのような屋上はありませんが...。

吉永小百合が新聞社の論説委員として主演した「女ざかり」(丸谷才一原作)では、ビル4階の毎日新聞社編集局がよく使われました。フジテレビの連続ドラマだった「不毛地帯」(山崎豊子原作)では1階東側の正面玄関がいきなり「近畿商事」の玄関になっていて、唐沢俊明が玄関から階段を登ってきていました。

 さまざまな名画、名ドラマの舞台になったパレスサイドビル、いつかブラッド・ピットやトム・クルーズ主演の映画が撮影されるかも知れません。

 

交番の名前を調べていて気付いたのは、「○○駅前交番」「△△駅南口交番」など駅名を含むものが多いこと。東京スカイツリー(墨田区)が22日に開業しますが、その最寄り駅の東武線業平橋駅が3月に「とうきょうスカイツリー駅」に改称したので、「とうきょうスカイツリー駅前交番」(1文字)という東京一長い名前の交番誕生か、と思いました。でも、この駅前には交番がありません。

スカイツリーに一番近い交番はツリーをはさんで東側の押上駅(京成線・都営地下鉄浅草線と東京メトロ半蔵門線)の押上駅前交番。ちょうどツリー建設に伴う区画整理で、最近、ツリー敷地東側脇(商業施設「ソラマチ」前)に新たにできた駅前広場(正式には「交通広場」)の一角に移転しました。写真の右下手前のクリーム色の四角い2階建てがそれです。駅名はツリー開業に合わせて「押上駅(スカイツリー前)」と副駅名がつくそうです。パレスサイドビルの「竹橋駅」が「毎日新聞社前」みたいなものですね。ただ、交番名は「押上駅前」のまま変更予定はないということです。港区に「東京タワー前交番」もあることだし、この際、「東京スカイツリー前交番」に改名したらいのに、って思いませんか?

地元で交番名に使っていないということは、おそらく「スカイツリー」の名を冠した交番はないはず。そこで、考えました。「富士見交番」は板橋署(板橋区)、浦安署(千葉県)、東入間署(埼玉県富士見市)......そして大津署(滋賀県)や釧路署(北海道)と、日本中にあるんだから、どこかの警察署が、ツリーが見える交番に「東京スカイツリー見交番」と名付けたらいかがですか。

ちなみに、「東京スカイツリーここから見えるよMAP」というコーナーを設けているサイト(http://www.1101.com/skytree/)もあります。地図上の無数の撮影地点のマークをクリックすると、そこからの写真と簡単なコメントが出てきます。遠くは100キロ以上離れた富士山頂、114キロの榛名山中腹、140キロの茨城・福島県境の八溝山などからもスカイツリーが見えるんですね。

緑色の葉っぱの真ん中にちょこんと乗った小さな粒――。これ、何だかわかりますか? そう、ハナイカダですね。

パレスサイドビルすぐ前の皇居東御苑内の富士見櫓近くで、今まさに咲こうとしています。これから白い花を開き、夏には黒紫色の実になります。

花といえば茎から咲くのがほとんどですが、これは葉の真ん中に花や実がつく面白い種類です。葉っぱを筏に、花や実を人に見立ててその名がついたそうです。学名はHelwingia japonica(ヘルウィンジア ジャポニカ)と、これまた"ジャポニカ"がつきます。

「ままっこ」「ヨメノナミダ」と面白い別名もついています。「ままっこ」といっても、母親べったりの「ママっこ」からついたわけではありません。若葉をご飯に炊き込んで「菜飯」の材料にするところから「飯子(ままっこ)」といわれるようになったそうです。

「ヨメノナミダ」は姑のいじめや夫のDVにあった嫁が流した涙が葉っぱの上に落ちたことから付いたのかと考えましたが、どうやらそうではなさそうです。

その昔、殿様の使いの者から「葉に実のなる木を見つけてこい」と命じられた若いお嫁さんが、夜遅くまで山中を必死に探したもののどうしても見つかりませんでした。その悔しさから流した涙の一粒が足元に落ちて、木の葉の真ん中で月の光に照らされて真珠のように輝いた、という民話から由来したようです。俗名といい、別名といい、何とも趣と味わい深いネーミングですね。

警視庁のホームページで交番を調べていて、各警察署それぞれに、意外と個性的なことを知りました。統一の仕様はなく、各署の裁量で工夫しているようで、管内の名所旧跡などを上手に紹介している警察署もちょくちょくあって、結構、飽きません。

ちなみに、竹橋のパレスサイドビルは、先日紹介した丸の内署ではなくて、麹町署の管轄。この警察署は国会、首相官邸、最高裁判所など日本の中枢を管内に持っていて、パレスサイドビルは、管轄エリアの北東の端っこです(写真㊦は麹町署管内図=麹町ホームページ「http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/1/kojimachi/koban/koban.htm#koubantop」から)。

さて、交番のホームページ比べです。ちょっと気に入ったのが、光が丘警察署(練馬区)。各交番の今の写真だけでなく、昔の白黒写真も、簡単な年表付きで載せているのが目を引きます。写真㊤は田柄(たがら)交番のページ(http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/10/hikarigaoka/)で、昭和2648年の改築時の写真が見られます。赤坂警察署も昔のセピア色の写真を載せていますが、いつごろ撮影か、書いていないのがちょっと残念。

 パレスサイドビルすぐ南側にある皇居・東御苑の二の丸雑木林でフタリシズカが清楚な白い花を咲かせています。雑木の下で高さ3040㎝のところに5㎝位の2本の花茎が立ち、米粒ほどの小さな花が付いています。ひっそりと、ややもすれば気づかずに通り過ぎてしまうほど静かに咲いています。

 その昔、源頼朝に捕らえられた静御前が頼朝と妻政子の前で「吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」「しづやしづ 賤のをだまき 繰り返し 昔を今になすよしもがな」と義経を慕って歌いながら舞い、頼朝の怒りを買いましたが、政子が「主を思う女心は、女しかわからないものです」と言って静御前を助けたという話は有名です。静御前はその後、義経が平泉で亡くなったことを知って、身も心も弱り果てて義経を弔う日々を送る中、「九郎(義経)殿」と一言残して義経のもとに旅立ったということです。

花の名前は花茎が2本あることから、静御前の霊と静御前の霊に魅かれた菜摘女(なつめ)が舞う姿に見立ててその名がついたといわれています。

 別の花で、花茎が1本のヒトリシズカという花もあります。フタリシズカには花茎が3本あるものも、4本、5本出るものもあるそうです。でもサンニンシズカ、ヨニンシズカとはなりません。もっとも、3人とか4人になると、おしゃべりなどが多くなって静かではありませんからね。

 プロゴルファーの石川遼がここのところ、成績の方がいま一つパッとしないようです。婚約を機に、心機一転、大活躍してほしいと願っているゴルフファンは多数いると思います。

 その石川プロが世界最少スコアを出したのは2年前、201052日のことでした。第51回中日クラウンズの第4ラウンド、チップインバーデーィーなどであれよあれよという間にスコアを伸ばしての「58」。パー70と通常より2つ少ない名古屋ゴルフ倶楽部和合コースでしたが、とにかく12アンダーというすごい記録を出しました。

 石川プロ自身が「ゴルフの神様が降りてきた」というほどの神がかりショット、神がかりパットの連続でした。68sukoa.jpg707158の計267で、2位の藤田寛之、P・シーハンに5ストロークの大差をつけての優勝でした。

 その「58」のスコアカードや、その日に使ったクラブ、シューズ、バッグなど一式が倶楽部のレストランに、ガラス張りのケースに入って展示されています。石川プロ自身が記念に寄贈したもので、名門「和合」を訪れるゴルファーを喜ばせてくれています。「あの感動をもう一度!」と祈らずにはいられません。

 石川プロはパレスサイドビルに本社を置く㈱マイナビのイメージキャラクターでもあります。

引き続き警視庁のホームページの交番です。

ほとんどの交番の紹介には写真が付いているのはいいのですが、交番の前に直立した制服姿のお巡りさん(しかもほとんどは1人)が写っているという恐怖のワンパターン写真のオンパレードなんです。警棒握りしめて威嚇(?)していたり......。建物だけの写真という警察署もあります。そんな中で、ちょっと和めるのが上野警察署(台東区)。8交番のうち6つが交番前で市民と話したり挨拶している写真です(写真㊤は動物園前交番=上野署ホームページから、http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/6/ueno/index.htm)。本所警察署(墨田区)も1交番中8交番が、竹橋のパレスサイドビルに近い神田や神保町界隈を管内に持つ神田警察署も4交番のうち2交番の写真が、道案内っていう雰囲気です(写真㊦は水道橋駅前交番=神田署ホームページから、http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/1/kanda/policebox/pbox.htm)。指さしている姿なんかがちょっとわざとらしかったり、記念撮影風だったり、"やらせ"っぽい感じが否めない写真もありますが、努力は買いたいですネ

   パレスサイドビル近くの気象庁出身作家に、新田次郎さんがいます。「強力伝」「孤高の人」「八甲田山死の彷徨」「劒岳 点の記」など多くの山岳小説を書いていて、映画化されたものもたくさんあります。電機学校(パレスサイドビル近くだった電機大学の前身、今年4月に北千住に移転)を卒業したあと、中央気象台に入り、その後、満州国観象台に転職して終戦を迎え、1年間の抑留生活を送っています。

 出版界では一時期、「太郎、次郎、三郎に書いてもらえばベストセラー間違いなし」と言われた時代がありました。「太郎」は司馬遼太郎さん、「次郎」は新田次郎さん、「三郎」は城山三郎さんです。

 新田さんは長野県諏訪の出身で、菩提は諏訪市の正願寺にあります。小豆色の安山岩に「春風や次郎の夢のまだつづく」と刻まれています。

しかし、お墓がもう一つ、スイスにあるのです。

 藤原てい夫人のたっての希望で実現しました。藤原ていさんといえば、終戦直後の引き揚げ体験を書いた「流れる星は生きている」が有名です。満州国の「首都」新京から3人の子供を連れて、無蓋列車で朝鮮半島を南下してくる壮絶なノンフィクションです。3人の子供の一人が、「国家の品格」などの著者、藤原正彦さんです。

 その藤原ていさんがスイス・アルプスにもお墓を作りたいということで、ユングフラウへの登山電車の出発駅であるクライネシャイデック駅近くの丘にお墓を作りました。銅板の碑銘に「アルプスを愛した日本の作家新田次郎ここに眠る」とあります。山岳小説の大家らしい碑銘に、訪れる日本人観光客がそっと野の花を供えていました。

 東京・竹橋のパレスサイドビル近くにある千代田区立神田一橋中学校。今年度の新入生の数は2年生の4倍と、大幅に増えました。

 といっても同校の通信教育課程の話で、昨年度は2人だったのが今年度は8人が入学、現在合計13人の"生徒"が学んでいます。

 同校はもともと千代田区立一橋中学校でしたが、都心の人口過疎化のあおりを受け、平成17年に同区内の2つの中学校と統合されて現在に至っています。

 中学校の通信教育課程は現在、全国で同校と大阪市・天王寺中学校の2校しかありません。戦中・戦後の混乱期に様々な事情で、尋常小学校、高等小学校、国民学校などを卒業したけれど、中学校に進めなかったり、中学校を中退して現在の義務教育を卒業していない人たちのために昭和23年に設置されました。

 今年度入学した8人のうち3人が80歳代で最高齢者は81歳。最も若い人で60歳だといいます。これまで義務教育だけは修了したいと、ずっと心の中に引っかかっていたものの勉強どころではなかったが、やっと学習する時間ができたという人がほとんど。自宅で勉強してレポートを提出するほか、日曜日に月2回、同校での面接授業(スクーリング)に取り組んでいるそうです。同校の関谷昇・通信課程教育主任は「該当者は歳をとってきて、年々減少傾向にありますが、今年はその中でも勉強したいという人が増えたのでしょう。皆さん学習意欲は旺盛で、熱心に勉学にいそしんでおられます」と話していました。

このブログを書くために、平将門公をまつる大手町ビル街の「将門塚」のネタをネットであさっていて、警視庁丸の内警察署のホームページに行きつきました。警視庁の各署は独自のホームページを作成していますが、丸の内署は交番ごとに「ONEスポット名所旧跡紹介」が載っているのが特徴で、竹橋のパレスサイドビルから徒歩10分ほどの「和田倉門外交番」=写真㊤=のページに将門塚が写真入りで登場していますhttp://www.keishicho.metro.tokyo.jp/1/marunouchi/koban/wada.htm)。うたい文句は「かるがも親子の住まいや将門塚を管内に持つ、ちょっと長い名前の交番」。んっ? 漢字7文字って、そんなに長いかなぁ? 「我が家の最寄り交番だって8文字だぞっ」と、一人で突っ込んでしまいました。

で、ちょっと興味がわいた勢いにまかせて、警視庁管内をザッと調べてみまたところ、いちばん長い名前は「お台場海浜公園駅前交番」(東京湾岸署)と「見沼代親水公園駅前交番」(竹の塚署)の11文字のようです(他に見落としがあったらごめんなさい)。ちなみに、後者は「みぬまだいしんすいこうえんえきまえこうばん」と読み、ひらがな21字は1字差で「お台場...」を抑えて首位のようです。

各署のページを見ていて、一部、使い勝手の悪さも感じました。気付いたところでは、八王子署や月島署は警察署のトップページのメニューに「交番」の項目がなく、「管内マップ」「地域活動」のページに進んで、現れた地図上の交番をクリックすると、ようやく各交番を写真付きで紹介した画面に到達(ヤレヤレ)。多摩中央署、三田署は「管内マップ」「管内図」のページに進み地図上に交番が記されるものの、個別交番の説明文や写真は見当たりません。せっかくのホームページですから、使いやすさにも、こだわってほしいとものです。

 初夏を告げるお花はいかが――。端午の節句を前に1日、パレスサイドビル地下1階中央廊下で、訪れた人たちに紫色の小さな花をつけたハナショウブがプレゼントされました。

 パレスサイドビルの飲食店、商店の有志で組織する「パレスサイドビル名店会」が、都会のビルの中でも季節を感じてもらおうと、毎年この時期に行っている「鯉のぼり飾り」のイベントの一つとして企画したものです。

 午前11時半から同会のメンバーが中央廊下に出て「お花をどうぞ」といいながら、セロファンに包んだハナショウブを、昼食のために飲食店前を通る家族連れやOL、サラリーマンに一輪ずつ配っていました。用意した600本は午後1時半前にはすべて配り終えてしまうほどの人気。名店会のメンバーが、「ハナショウブの花はあまり日持ちしない代わりに最初の花の後にもう一輪咲きます」などと丁寧に説明しながら手渡すと、通りがかった人たちは納得し、笑顔で受け取っていました。

 ハナショウブのプレゼントは2日にも行われます。

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