東京都心・大手町の「将門塚」PART2です。
10世紀の武将、平将門公をおまつりしている塚も、明治以降、たびたびピンチがありました。明治になって神社への統制が強まり、将門公をまつる神社が神田明神から将門神社(千葉県柏市)に移されました。本人"専用"の神社ではありますが、格は下。サラリーマンなら"左遷"でした(将門公はなにせ「朝敵」でしたから)。塚は残りましたが、大正12(1921)年9月1日の関東大震災で崩れ落ち、そのあとに大蔵省の仮庁舎が建設されました。ところが、昭和2(1926)年6月に時の大蔵大臣が病死したほか、職員らの不審死が続くなどして、「祟りだ」との声が起こり、庁舎は取り壊し、丁重に鎮魂の祭事も営まれ、塚は生き残ったといいます。さらに、第2次大戦後、一帯は占領軍のGHQが接収(大蔵省は移転)、駐車場か何かの工事が始まりましたが、工事関係者の死亡事故が起き、地元民が「重要な人物の墓だ」と陳情して工事は中止に。昭和34(1959)年に都から民間に払い下げられ、塚は地元の管理となり、現在に至るというわけです。そんなわけで、塚はオカルトファンの間では「心霊スポット」として有名。隣接するビルは「塚を見下ろすことのないよう窓は設けていない」なんて"都市伝説"も聞いたので、竹橋・パレスサイドビルから5分歩いて確かめてみました。写真のように、正面ビルに窓はありました。ブラインドは固く閉ざされていましたが。
まぁ、「伝説」は虚実ない交ぜが常。さまざまな言い伝えのどこまでが本当かと思ったり......おっと、罰当たりなことは言わないでおきましょう。