【2012年2月】のアーカイブ

 29日未明から降り出した霙(みぞれ)が都心では雪に変わり、出勤のときも皆さん、結構苦労されたのではないでしょうか。今日の帰り、そして凍結する明日の朝はどうぞ気を付けてください。

 パレスサイドビルからの雪景色、なかなか素晴らしいですね。皇居・平川門が真っ白に雪化粧しています=写真。本州南岸にある低気圧のせいで、この雪は夕方まで降り続くみたいです。この程度の雪で大騒ぎして、東北や北陸地方の方々に笑われてしまいますね。

 今日で2月も終わり。あすから3月、そしてひな祭りです。着実に春は近づいてきているはずです...。

  暁くらく春雪樹々を蔽ひけり(蛇笏)

2012

29

2

北斗七星?

平将門公PART6です。
伝説を追って、将門(首)塚、兜神社、築土神社をめぐってきました。ほかの4地点を加えて地図上に記すと北斗七星になるという説があります。「平将門は神になれたか」(加門七海著、1993年)によると、7地点は①鳥越神社(台東区)、②兜神社、③将門塚、④神田明神、⑤筑土八幡神社(新宿区)、⑥水稲荷神社(同)、⑦鎧神社(同)です=写真。兜神社、将門塚そして、将門公をまつる神田明神は問題ありませんね。鎧神社も、神社自身が公式サイトに「将門公が討たれると、この地の人々はその死を悼み、将門公の鎧を埋めた」などの説もあると書いています。
他はちょっと「?」です。筆者は鳥越神社の名が「将門の首がここを『飛び越え』たところからついたと言うことである」とし、水稲荷神社についても「稲荷の神託によって、源経基(将門討伐軍の副将)は将門を滅ぼしたと伝えられる」と書いていますが、いずれも根拠はよく分かりません。筑土八幡神社も公式に将門公とのかかわりは伝えられていませんし、逆に、前に紹介した築土神社(将門公の首をまつると伝えられる)が7地点に入っていません。この点は筆者も「一番の弱み」としつつ、築土神社が江戸時代に筑土八幡神社のところにあったことを重視し、筑土八幡神社の場所を7地点に入れたとのこと。そして、北斗七星の柄杓(ひしゃく)型の配置を「幕府は江戸だけの守護とするために外部に霊力を漏らさない工夫をした」などと推論しています。
英国人作家、グラハム・ハンコックの「神々の指紋」をちょっと思い出しました。ピラミッドと天文学や数学との関連の謎ときなど、なかなか刺激的でしたが、さて、将門と北斗七星はどんなもんでしょうか。

 少し春が見えてきたかと思うと、また冬に逆戻りしたような寒い日が続いています。「例年だと......」という言葉も、もう耳にタコができるほど聞かされましたが、やはり使いたくなくなります。

東京・竹橋のパレスサイドビル周辺では一番早く私たちの目を楽しませてくれている丸紅のビルに植えられているカワヅザクラは、例年だと今頃は見ごろに近いはずなのですが、今年はやっと花をつけたという状態です。淡い紅色の花びらが開いているのはまだ五輪ほど。紅色のつぼみは膨らんできていますが、満開までにはもう少し時間がかかりそうです。

カワヅ桜の開花が遅いのは名前の由来にもなり、25日から「河津桜祭り」を催している静岡県の河津町でも同じで、28日現在、原木がやっと三分咲き、その他の地区で一~三分咲き程度だそうです。あまりの遅れで祭りは3月10日までの予定だったのが、18日(土)まで期間延長することになったそうです。主催者も何とか観光客を呼ぼうと、春の遅れに四苦八苦しているようで最終日には甘酒の無料サービスも予定しているとか。

でも、冬がこれまで以上に寒く、長くなったということは、逆に春は「北国の春」のようにいろんな花が短期間に一斉に咲き誇るのではないかと、楽しみが膨らんできます。

 世界の秘境といわれたチベットでしたが、いまやボーイング747やエアバス300などの大型旅客機が離発着する滑走路を持つ空港があり、また青蔵鉄道が2006年に開通して北京や上海から丸2日間列車に乗り続ければ行くことができるようになりました。日本人はもちろん、ヨーロッパやアメリカからも多くの観光客がやってきます。

 観光の最大の目玉はやはりポタラ宮でしょう。歴代のダライ・ラマが執務し居住していた宮殿です。標高3700㍍、富士山の頂上に近い高さです。丘の上の13階の建物で1600年代に建立されました。2000もの部屋があるそうです。

 観光客に対しての警備は厳重です。入口には空港の搭乗口のように金属探知機があり、手荷物検査も行われます。チベット仏教の聖地で爆弾事件でも起きたら大変です。中国の公安(警察)もピリピリしています。

 宮殿からの眺めは最高です。ラサの街を一望できますが、町並みのはるか向こうにヒマラヤ山脈を臨むことができます。ラサから大型ジープをチャーターして12日でエベレスト(チベット語でチョモランマ)のふもとまで行くツアーもあります。テレビなどでよく見るネパール側から見るエベレストとはまた違った表情を見ることができます。

 神田神保町にある旅行会社などはチベット関連のツアーをいろいろ用意しているようです。パレスサイドビル3階の毎日新聞旅行もチベットそのもののツアーはありませんが、四川省の奥地やネパールの山歩きなどがあります。

平将門公にまつわるお話PART5です。
パレスサイドビル近辺には、将門公ゆかりの場所がまだあります。竹橋駅から地下鉄東西線で北西に1駅、九段下駅の築土(つくど)神社もその一つ。駅前の北の丸スクエア(旧日本債券信用銀行本店跡)の裏のビルの谷間にあり、1994年の大改築でコンクリート壁の社殿とビルに生まれ変わりました。
神社のホームページ(最近更新されていないようですが)によると、940年に討たれ京都にさらされた将門公の首が首桶に納められて密かに持ち去られ、今の大手町近辺の観音堂にまつられて「津久戸(つくど)明神」と称したという言い伝えが神社の始まりとか。
えっ、首は京から将門塚まで飛んできたんじゃなかったっけ? まあ、伝説ですから。
神社は江戸城築城後の1478年に城の北西に社殿が置かれ、その後、田安明神、江戸明神と呼ばれた時期もあり、山王(日枝神社)、神田(神田明神)とともに江戸三社の一つに数えられました。所在地も田安、牛込、筑土八幡町、富士見などと移り1954年に現在の九段北に移転しました。
徳川幕府とはいい関係だったみたいですが、明治になって1874年(明治7年)、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫、天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を「主神」としてまつり、将門公はいっしょにまつる神に"格下げ"されました。ホームページはこのあたりの事情について、「将門を天皇に反抗した『逆賊』と評するような風潮も一部に見られるようになった」ことから、「便宜上、天皇と関わりの深い神を『主神』として祀り上げ......」などと説明。将門公をまつる神社だと再び公言したのは1990年になってからといいます。
将門公の首桶が神社の「社宝」として保管され、「見ると目が潰れる」と恐れられたといいますが、昭和20年に空襲で焼失。大正時代に撮影された写真がホームページに載っています。

  男子サッカーが22日夜マレーシアに大勝、ロンドン五輪出場が見えてきました。なでしこジャパンとともに楽しみが増えました。

 なでしこジャパンの澤穂希選手は佐々木監督とともに昨年秋の園遊会に招かれ、天皇・皇后両陛下からねぎらいのお言葉をかけられていましたね。

 園遊会は春、秋の2回開かれます。その時々の話題の方々が招かれます。ノーベル賞受賞だったり、オリンピック金メダリストだったりします。今年4月に開かれる園遊会にはどなたが招かれるのでしょうか。まさか芥川賞もらいたてのあの人ということはないでしょうね。

 会場は残念ながらパレスサイドビルの目の前の皇居ではなく、東宮御所のある赤坂御用地内です。広々とした庭園で酒肴のもてなしを受けて、帰りにはお土産をいただきます=写真。菊の御紋の入ったどら焼きだった時もありました。心臓手術を受けられた天皇陛下が、東日本大震災1周年の追悼式典に続いて、春の園遊会でもお元気な姿を見せられることを祈るばかりです。

竹橋のパレスサイドビル屋上からもよく見える東京スカイツリーの最寄駅となる東武鉄道の「業平橋」駅が3月17日を期して「とうきょうスカイツリー」駅という名に変わるそうです。

 「業平橋」は近くの言問橋とともに伊勢物語の主人公のモデルとされる在原業平にちなんでつけられたとのことです。でも、業平橋というのは東武鉄道駅名だけではありません。都バスの停留所も「業平橋駅」なっていますし、系統は「業10」と業平橋からとった名称を付けています。駅前の信号も「業平橋」となっているのでこれらも皆、変えることになるのでしょう。地図やカーナビも変更しなければならないので影響は大きいですね。

東京の新名所・東京スカイツリーを売り込むためでしょうが、由緒となじみある名称を捨てて新しい名前にとは...。という気もします。やはりカタカナ名の方がいいのかもしれません。

竹橋駅も「パレスサイドビル」駅に変更してくれれば、と勝手に思ってしまいますが、「竹橋」だってその昔、竹で編んだ橋が架かっていたことから付いたといわれ、江戸城の竹橋門があったという由緒ある名前なので東京メトロもそんなに簡単にカタカナ名に変更してくれませんよね。

 

2012

21

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140年の歩み

 221日は毎日新聞の創刊記念日。しかも、今年は140年の記念すべき年ということで、その歴史を紙面でたどる「毎日新聞 140年の歩み展」がパレスサイドビル1階アートサロンで開かれています。

毎日新聞は、1872(明治5)年221日、東京で初めて発刊された日刊紙「東京日日(にちにち)新聞」がルーツです。4年後の1876220日に大阪で創刊された「大阪日報」の流れをくむ実業紙「大阪毎日新聞」と明治末期に一体化して今日に続きます。現存する日本の日刊紙では最も伝統がある新聞です。

「歩み展」は「東京日日新聞」創刊号=写真=以降、節目節目の紙面のパネル計24枚と、東日本大震災の写真22枚を展示しています。創刊号はガリ版刷りといった趣で、トップ記事が「官書公報」つまり「官報」のようなお知らせで、長野県の殺人事件などのニュースも伝え、全文計1239字、発行部数は1000部だったそうです。ほかには226事件(1936227日付)、米英への宣戦布告、つまり真珠湾攻撃(41129日付)をはじめ、広島の原爆は「新爆弾」として2日遅れで報じ(4588日付)、終戦を告げるポツダム宣言の詔書を掲載した45815日付紙面は玉音放送の後に配られたとか。

戦後は、新憲法公布(46114日付)、東京五輪開幕(641010日付)、アポロ11号の月面着陸(69721日付)、ロッキード事件で田中角栄前首相逮捕(76727日付)、日航ジャンボ機墜落(85813日付)、ベルリンの壁崩壊(891110日付)、阪神淡路大震災(95117日付)、地下鉄サリン事件(95320日付)、米同時多発テロ(2001912日付)、そして東日本大震災(2011312日付)など、記憶に残る紙面が並びます。

同展は24日まで(午前10時~午後5時)。入場無料。ちょっとのぞいて、人生の記憶と照らし合わせてみてはいかが?

 東日本大震災からもうすぐ1年。東北地方沿岸部の被災地の復興に大きな重しになっているのが、今でも大量に残っているガレキです。岩手県、宮城県に残る災害廃棄物の現状を写真で見てもらい、多くの人たちに理解を深めてもらおうと写真展「知ってほしい岩手・宮城のガレキのいま」(主催・毎日新聞社、協力・環境省)がパレスサイドビル1階、オープンスペースで始まりました。

 会場では東北のさまざまなエリアで今だに残る山と積まれたガレキや雪で覆われた仮設住宅の現状写真、毎日新聞社が新聞協会賞を受賞した津波が襲う瞬間など計42点の写真パネルを展示。岩手県、宮城県の災害廃棄物の受け入れについての広域処理情報VTRも放映しています。

 初日の20日には細野豪志環境大臣も訪れ、「木の廃材の処理などは大変」など話しながら通学路の周りに積まれたガレキの写真などをじっくり見て回っていました。細野大臣は記者団に囲まれ「岩手、宮城県で処理するガレキは一人当たり4.5トンにもなります。被災3県と沖縄を除く各都道府県で残りを処理をすると一人当たり33㌔程度です」と、各自治体での積極的なガレキの受け入れをPRしていました。

 同展は22日まで(午前9時~午後8時)。入場無料。

 佐久間良子さんの「私の履歴書」(日本経済新聞連載中)が話題を呼んでいます。

 昭和の名優、鶴田浩二さんとの不倫の恋から、いよいよ平幹二朗さんと知り合い、恋に落ちる場面になってきました(217日付け、第16回)。

 「...時間を見つけてはつかの間のデートを楽しんでいた。恋人であれば時間は必ず作れるものだ。平さんには5時間待たされた経験もある。場所は東京・一ツ橋のレストラン『アラスカ』」と書かれています。

 あの絶世の美女を5時間も待たせるとは、とも思いますが、パレスサイドビル9階でただひたすら恋人を待つ佐久間さんを想像すると、それだけで映画の1シーンになるような気もします。

 「頻繁に会えるわけではないので私はひたすら待った。待つことさえ楽しく思えた。愛の力が私を忍耐強くさせていた」と佐久間さんはけなげな女心を表現しています。

 バレンタインデーが過ぎ、次はお返しのホワイトデー。女性を待たせないデートをしましょう。

パレスサイドビルがある竹橋から地下鉄東西線で東へ3駅、茅場町駅を降り立つと、兜(かぶと)町です。正式な地名は中央区日本橋兜町、言わずと知れた日本のウォール街で、中心が東京証券取引所です。その向かい、日本橋川の畔に、小さな神社があるのをご存知ですか。「兜神社」。狭くて神主さんも常駐していませんが、気になるのは、境内にある「兜岩」(元々は兜塚とも)。神社名と地名の元です。
由来は、八幡太郎として知られる源義家公(頼朝の高祖父=祖父の祖父)が前九年の役(1050年代)の折に岩に兜を置き戦勝を祈願したという説が有力ですが、将門伝説もあるんです。940年に藤原秀郷が将門公を討って首を持ち帰る道中、この地で兜を落としたため、兜を埋め、塚を築いて供養した――。首は都にさらされたが、天に舞い上がって大手町の将門塚に落ちたという伝説につながるわけです。
江戸時代、近くに将門公をまつる鎧(よろい)神社(現在新宿区にある同名の神社とは別物のようです)があり、明治になって神社と兜塚が合併して兜神社が生まれたとか。この一帯を払い下げられた三井財閥の関係で将門公や義家公とは縁が切れ、商業の守護神・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト=お稲荷さん)が主神になり、明治11(1878)年に東証が開設されてからは "株の守り神"となりました。
「兜神社」の名は他にもあって、例えば秋田県能代市の神社は奥州藤原氏絡みの伝承があるとか。あなたの周りの神社にも面白言い伝えがありませんか?

2012

16

2

梅が咲いた

ビル東側の平川門前交差点から平川門橋を渡って、皇居・東御苑の御堀端の木々の向こうに見えるビルを右手に眺めながらさらに右の方へ行った江戸城の二の丸から本丸へと上がる坂に約50本の梅の木の林があります。太田道灌が菅原道真を祀って梅を植えたことから梅林坂というそうですが、そこの梅がやっと花を咲かせました。といっても花をつけているのはほんの数本。同坂の約50本あるうちの残りの梅はまだつぼみが少し膨らんだという程度で、見ごろはこれからという感じです。

いつもならこの時期には半数以上の梅が開花していますが、今年はかなり遅れているようです。これからは1日1日と花も増えていくと思われます。また、ほかの種類の花も次々に開花していくでしょう。今年は寒かった分、花粉の飛散も少ないようです。天気のいい日にはビルを出て、散歩がてらに訪れてみてはいかがですか?

  スイスとイタリアの国境にそびえるマッターホルン(標高4478㍍)はヨーロッパアルプスのシンボルです。1865年にイギリスのエドワード・ウィンパーが初登頂をしましたが、同行者が遭難死したほど厳しい山です。それでも観光客にとっては「一度は見たい山」であり、アルピニストにとっては「一度は登りたい山」です。

写真右側がクライマー憧れの北壁です。アイガー、グランド・ジョラスとともに三大北壁と言われています。少し登山の心得のある人が登るルートが写真中央のヘルンリ尾根です。3260㍍地点と4003㍍地点の山小屋を基地にします。

このルートを登った方に話を聞いたことがあります。ふもとのツェルマットのガイド組合に登山の申し込みをします。これまでの登山歴などを申告した後、3000㍍前後の岩場や雪渓の上で実地テストが行われます。OKなら一緒に登ることになります。「まぁ行けそうだ」という程度の人は、12週間の訓練を受けて登るそうです。もちろん「どうぞお引き取りください」という人が大部分のようです。数年前に登ったその方は、その夏に登頂したただ一人の日本人だったそうです。

「アルプス三大名峰の旅」など海外旅行は、パレスサイドビル3階東側の毎日新聞旅行で申し込みができます。

東京・竹橋のパレスサイドビルから5分、大手町の「将門塚」PART3です。

10世紀の武将、平将門公をおまつりしている塚にまつわる「伝説」「言い伝え」は尽きません。前にも書きましたが、オフィス街の真ん中で、ここだけ、ちょっと寒々とした雰囲気なんですが、碑の周りにいくつものカエルちゃんの置物があって、これだけは思わず微笑んでしまい、ちょっとほっとした気分になります。なぜカエル? 赴任や出張の前のビジネスマンらが「無事にカエル」にあやかりお参りにくるといわれます。むろん、その話の大モトは、前にも書いたように、朝敵として討たれ、京の都にさらされた将門公の首が天空に舞い上がって関東に帰り、ここに落ちたという伝説です。変じて、誘拐されても無事帰れるというご利益が、かのWikipediaにも書かれています。これは、塚の隣りの三井物産のマニラ支店長が誘拐された事件(1986年発生、87年無事解放)からの連想でしょうか。ちなみに、このカエルの置物、私が確認できただけで56体ありました(1体の置物に何匹もいるのもあり、数え方は難しいです)。何年か前の写真と比べ、碑の右側に小さなものが少なくとも2体、増えていました。もっとも、塚の「保存会」や、将門公を神様としてまつっている神田明神が設置したわけではなく、「帰ってきたい」と願うビジネスマンが思いを込めて奉納したようで、あるブログには「地方支社に飛ばされ、本社に返り咲いた誰かが無断で置いた物らしい」との記述もありました。「お願い」するだけでご利益があるか、しかるべく"投資"(奉納)しないとご利益は期待できないか。カエルちゃんを眺めながら、ちょっと考えちゃいました。

寒波が断続的に日本列島を襲い、寒い日が続いていますが、日本武道館や科学技術館などがあり、パレスサイドビル近くの東京・北の丸公園では、晴れた日には春を待ちきれずに園内をゆっくり散歩したり、少し膨らんできたかなと思われる桜のつぼみにレンズを向ける人たちの姿が見られます。

 この北の丸公園の入口に犬の散歩に関する立札があるのをご存知ですか?「これから犬の散歩をされる方へ」などと赤字で書かれた表題の下に、遵守事項として「1年以内に狂犬病予防接種済みであること」「犬に噛みつき癖はないこと」「犬は必ずしっかりとリードでつなぎ、けっして放さないこと」「犬の糞の始末はきちんと行い、持ち帰ること」「犬のブラッシングはしないこと」などと7項目の注意が記され、「万が一、守られなかった場合は巡視が退園を命じます」となっています。そして、万が一の事故やトラブルに備えてのことでしょう。「私はマナーを守ります」と書かれたマナーカードを犬か飼い主の身に付けるよう求めています。

 さすが、国(環境省)管理の公園。マナーを守らない人が多いことから業を煮やしての苦肉の策でしょうが、その延長で、国会内に「私はマニフェストを守ります」という札を置いて、議員さんにつけてもらったら?

マッターホルンのふもと、スイス・ツェルマットの駅前では環境保全のための電気自動車(写真右端)のわきを、少年に引き連れられたヤギの一群がのんびり散歩しています。タイムマシンで19世紀のヨーロッパに田舎に逆戻りしながら、最先端の電気自動車がそこにある、という不思議な光景です。

 大手町や丸の内のビジネス街を歩いていると、街並みは整っていますが、あまりに機能的で整然とし過ぎていて、人間的なぬくもりや自然の温かみが欠けているような気がします。都市空間の中に、いかに緑や水を風景として取り入れるかが大事ではないでしょうか。

 パレスサイドビルは皇居の緑とお濠の水が目の前にあります。平日の昼間に開放している(午前1145分から午後2時まで)屋上は芝生で、天気のいい日はビルで働いている人たちや、散策に訪れる人たちの憩いの場になっています。昨年11月に83歳で亡くなったビル設計者、林昌二さん(日建設計)の思想が見事に体現されています。

 その林さんを偲ぶ人たちが3月上旬に9階のレストラン「アラスカ」に集います。

 

東京都心・大手町の「将門塚PART2です。

10世紀の武将、平将門公をおまつりしている塚も、明治以降、たびたびピンチがありました。明治になって神社への統制が強まり、将門公をまつる神社が神田明神から将門神社(千葉県柏市)に移されました。本人"専用"の神社ではありますが、格は下。サラリーマンなら"左遷"でした(将門公はなにせ「朝敵」でしたから)。塚は残りましたが、大正121921)年91日の関東大震災で崩れ落ち、そのあとに大蔵省の仮庁舎が建設されました。ところが、昭和21926)年6月に時の大蔵大臣が病死したほか、職員らの不審死が続くなどして、「祟りだ」との声が起こり、庁舎は取り壊し、丁重に鎮魂の祭事も営まれ、塚は生き残ったといいます。さらに、第2次大戦後、一帯は占領軍のGHQが接収(大蔵省は移転)、駐車場か何かの工事が始まりましたが、工事関係者の死亡事故が起き、地元民が「重要な人物の墓だ」と陳情して工事は中止に。昭和341959)年に都から民間に払い下げられ、塚は地元の管理となり、現在に至るというわけです。そんなわけで、塚はオカルトファンの間では「心霊スポット」として有名。隣接するビルは「塚を見下ろすことのないよう窓は設けていない」なんて"都市伝説"も聞いたので、竹橋・パレスサイドビルから5分歩いて確かめてみました。写真のように、正面ビルに窓はありました。ブラインドは固く閉ざされていましたが。

まぁ、「伝説」は虚実ない交ぜが常。さまざまな言い伝えのどこまでが本当かと思ったり......おっと、罰当たりなことは言わないでおきましょう。

2012

8

2

翼を広げて

 阿部寛主演の映画「麒麟の翼」がヒットしているそうです。直木賞作家、東野圭吾のサスペンス小説を映画化したものです。東京・中央区の石造りのアーチ橋・日本橋の中央の柱にある想像上の動物・麒麟の像を舞台回しにストーリーは展開していきます。翼を広げた麒麟は未来へ、希望に向かってはばたく象徴であり、日本橋は新たにはばたく出発点というわけです。

 東京・竹橋のパレスサイドビルには麒麟ではありませんが、翼を広げた鳩が3羽、翼を休めて遠くを眺めている鳩が3羽、計6羽の鳩の像が9階の東西の屋根の端にとまっています。パレスサイドビルを所有する毎日新聞社がかつて通信の手段に伝書鳩を使っていたことから、平和の象徴でもある鳩をビルの屋根に配置したというわけです。

 東京メトロ東西線竹橋駅から地上に出たところでビルの上の方を見上げてください。翼を広げ、大空に向かってはばたこうとしている鳩を眺めることができます。

2012

7

2

将門塚

 

東京都心のビジネス街にちょっと似合わない不思議な空間、「将門塚」をご存知の方も多いでしょう。名前のとおり、平安時代の武将、平将門公をおまつりしています。千代田区大手町1丁目2番、三井物産本社ビルに隣接し、まさにビルの谷間ですが、290平方メートルほどのスペースにちょっと木も茂り、うっそうとした林の一角のような雰囲気で、この季節、ちょっとサッブーッ!ですが、夏は涼しくていいかも、っていう雰囲気です。

それもそのはず、言い伝えは怖いです。将門公は10世紀、今の茨城県南部から千葉県北部を本拠に挙兵し、最終的に朝敵として討たれた武将ですが、平安京の都大路にさらされた首が天空に舞い上がって関東に向かい、途中で落ちたという伝説に由来するのが将門塚です。似たような伝承は何か所かありますが、一番有名なのがここ。鎌倉時代、飢饉などに苦しむ人々が「将門の祟り」と恐れたため、高名なお坊さんが慰霊碑を建立したと伝えられます。碑に刻まれた「蓮阿弥陀仏」は、将門公の戒名とか。ここは神田明神創建の地でもあり、徳川幕府の江戸城拡張に伴い神田明神が移転した後も、塚は残されました。現在は、地元町会有志や周辺の大手企業を中心に組織する「将門塚保存会」が浄財を集め、維持・管理にあたっているそうです。

ちょっと調べてみると、伝説などいろいろと話題が尽きず、とても書ききれません。竹橋のパレスサイドビルから徒歩約5分。ちょくちょく足を運んで、身近なところにある「歴史」を勉強してみようかと思います。

マッターホルンの登山基地、スイス・ツェルマットの街は、バスも自動車も乗り入れ禁止。スキー、登山、観光のベースになっていますが、氷河特急の駅だけが外部との交通手段です。バスツアーの観光客も1駅手前で鉄道に乗り換えなければなりません。

 街の中の交通手段は、徒歩が基本。徒歩以外だと、観光用の馬車、そして電気自動車です。ゴルフ場のカートのような電気自動車が音もなく行き交っています。この主な用途は、観光客の大きなスーツケース運びです。旅行会社やホテル関係者が電気自動車で荷物を運び、観光客は歩いてホテルに向かいます。スイス人らしく、頑固に「原則」を守って、ツェルマットの環境を保持しているのです。

 日本でもガソリン車からハイブリット車、電気自動車へと流れが加速しつつあります。パレスサイドビルもいち早く高速充電器(地下3階駐車場)を設置して、ECOを実践しています。ECO21世紀を生きる私たちが身に備えなければならない美徳かも知れません。

 秋田県の玉川温泉で、悲惨な雪崩事故が起きてしまいました。癒しの温泉として有名なところですが、岩盤浴をしていた3人の方が豪雪の犠牲になりました。

 玉川温泉近くの秋田駒ヶ岳は高山植物がとてもきれいなところです。6月後半くらいから溶け始めた雪の下から、可憐な花々が顔を出します。ミヤマリンドウ、ノリウツギ、ヤマトリカブト、アキノキリンソウなどなど。なかでもミヤマアズマギク=写真=は、山の上部の礫地に健気に咲いている姿は感動的です。

 雪はまだまだ降り続くようです。春は遠く、花々が咲きそろう姿はまだ想像もできません。地震に豪雪...、北国は泣いています。

 雪が止んで春がきて、いずれ花が咲き、犠牲になった方々の霊を慰めてほしいものです。

東京・竹橋のパレスサイドビルのすぐ前にある皇居東御苑。緑豊かで歴史もあり、都心の観光スポットとしても、近くのオフィスに勤務している人たちの憩いの場としても人気の場所になっています。

休園日の月、金曜日以外、大手門、平川門、北詰門の3か所のどこからでも入園できますが、以前は入口の小屋で白いプラスチックの「入園票」をもらい、出るときにこの票を小屋に返すシステムでした。しかし、現在はこの「入園票」はなく、小屋の前を通り過ぎ、そのまま入っていくことができます。

「入園票」の発券中止は、昨年3月の東日本大震災からで、東御苑が北の丸公園や皇居外苑などとともに震災時の千代田区帰宅困難者支援場所に指定されているからだそうです。地震発生は曜日を選んでくれません。月、金曜の休園をなくし、北の丸公園などと同様にいつでも入れるようにしてもらいたいものです。

 この季節、山歩きはしたいけれど雪のあるところはちょっとなぁ、という方々にお勧めなのが「沼津アルプス」。

えっ、聞いたことないなぁ、という方も多いと思いますが、沼津市街地南部の香貫山から横山、徳倉山、志下山、小鷲頭山、鷲頭山、大平山と南に続く稜線のことです。標高は一番高い鷲頭山でも392㍍と低山ではありますが、起伏が激しく鎖を伝って歩くところもあり、登山気分を味わうことができます。
 なんといっても素晴らしいのが眺望です。手に取るようなところに聳える富士山、穏やかな駿河湾を見下ろしながらの山行は最高です。全体で67時間かかりますが、各峠に逃げ道もあるので安心です。帰りには温泉で疲れをいやした後、沼津魚市場の寿司屋で一杯、などいかがでしょう。

神田神保町やお茶の水の登山用品店によく来られるシニア世代は、ぜひどうぞ。

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